第一話
「…ぁ、あ」
私は突然現れた非日常を処理しきれず、頭がパニック状態に陥っていた。どう対処したら良いのかわからず、咄嗟に口を手で押さえる。
心臓がドクドクと波打った。私は頭が真っ白になって過呼吸になっていたので、平常に戻そうと必死になっていた。
「あ、あなた、誰、なんですか?」
パニック状態のまま目の前の幽霊に聞く。すると、心臓辺りを抑えていた彼は、少し考えた様子でこう言った。
「僕の名前………僕がどこの誰なのかもわからないや…、一応、すまないのだけれど君の名前は?」
「へ、え…湯澤 司…です…」
「司ちゃん……うーん、聞いたことないな…」
そして彼は俯いて悩み始めた。…記憶がないということは、ここの場所のことも知らない可能性が高い。でも、本当に記憶がないのだろうか…?多分初対面の幽霊だし、つい名前を答えてしまったが、もし彼の言っていることが全て嘘で私を騙そうとしていたら___
私も同じように俯いてぐるぐると思考を巡らせた。そして、しばらくしてから彼が口を開いた。
「まぁ、とりあえず、ここから出ないと話はすすまなそうだね…えっと、よろしく。司ちゃん。」
「えっ!?あ、は、はい…」
そういって、彼は薄暗い洞窟の奥へと進み始めた。スススーと足がない状態で進むので、後ろから眺めていたら恐怖を感じるが…早くここから出るためだ、と自分を納得させて、彼の後についていった。
「あの…名前、なんとお呼びすれば…」
彼と一緒に、不気味に青く光る岩の光を頼りに、真っ直ぐに続いている道を歩きながら聞いた。そこの幽霊!と呼ぶのも失礼だなと思って、彼に問うた。
「あ~、なんでも良いよ!呼びやすい名前で!というか、さっきは驚かしちゃったみたいでごめんね。記憶がなくて…その状態で幽霊?になってたから、不安で…」
優しい、そして悲しそうな笑顔で彼はそう言った。私は横でその顔をじっと見た。そして、私には彼が嘘をついていない、とわかった。…この人は本当に不安だったんだ。それなのに私は一人で疑って怖がって…
「…こちらこそ、驚いて一人で怖がっちゃって…ごめんなさい…」
「いやいや!あの反応が普通だからね!?…もう、司ちゃんは信じやすいな…僕が悪い人…いや、幽霊だったらどうするのさ」
「………もちろん、最初は怪しい、と疑ってました…」
「…」
「でも、私…いろんな人の顔を伺って生きてきたので…嘘をついてるかどうか、見分けることは、できるんです…だから、あなたのその表情は嘘をついていないと、確証をもって言え…ます。」
「……そうなんだ。」
そう言って、彼は何も聞かないでいてくれた。私が表情を見て感情を読み取れるのは、ずっといじめられていたから。信じられないかもしれないが、予想ではなく確実に、心情がわかるようになった。先生や家族にも試したことがあるし、太鼓判の押された、私の唯一自信のあることだ。
いじめのことは思い出したくないし、根掘り葉掘り聞かれなくてよかった…。
「…じゃあ、幽。お名前…幽さんって…呼びますね」
「ん?うん。わかった。…ゆう、ね…、気に入ったよ!ちなみに由来って?」
「えっと…幽霊の幽をとっただけですけど…大丈夫ですか?」
「結構簡単な由来だった~。うん、大丈夫!あっ、僕ずっとタメ口だったけど、司ちゃんもそれぐらい砕けて話して良いからね」
「私、敬語が癖で…もしかしたら抜けないかもしれません…」
「おっなるほど。了解…何で僕は、敬語に引っ掛かるんだ…?」
「?」
そう言うと、幽さんはブツブツと独り言を唱え始めた。話してみても、私はやはり悪い人ではなさそうだと感じていた。そうこう話していると、道の中心に、青い靴と、一枚の紙が真ん中に置かれているのが見えた。
私は駆け足で近寄り、その紙切れを読んだ。
『青白い湖は柔和な”””””””””少女の痛哭の涙。 彼女の寛大な雫は宛もなく散らばった。連なる岩は悲哀の灯火を吸収し、凍てつく氷は密かに灯る希望の灯火を吸収し、寄り添う花々は優しさの灯火を吸収した。それにより、それらは光を手に入れた。
…彼女のそれは、届かぬと言うのに、何奴に宛てたものであったのだろうか。
« 信ずることを恐れるな それは確かに、”””の為になる »』
「…掠れて読めない部分がありますね…」
「う~ん、それを飛ばして読んだとしても、どういう意味なんだろうね…。そういえば司ちゃん、会ったときから裸足だったね
怪我をしたら危ないし、あの靴掃いていこうよ」
そういって、幽さんはその靴を取ろうとした。しかし、その手は空気をすりぬけた。
「…そうか…幽霊なんだった…、当たり前だけど、僕…触れることもできないのか…」
彼が自分の手を見つめ、不貞腐れるように壁に頭を打ち付けようとした瞬間、幽さんの頭が壁の岩に飲み込まれた。
「うわぁ!?なんだこれ…あっ、もしかしてすり抜けられる…?」
そしていとも簡単にスウッと壁のなかに入っていった。なんだか無邪気な子供のように、こちらに手だけをだして手を振ってみたり、頭だけを出したりして何かしらを試していた。しばらくすると興奮は落ち着いたようで、スッと私の隣に戻ってきた。
「壁の中は真っ暗だった…当たり前だったけど…」
「…地下でしょうし、そうでしょうね…」
「何故か上には浮上できないみたいで…あ、でも行き止まりの先とかあったら、僕が行って見てこれるから、手助けできるかも!」
「それは確かに…、じゃあ、その時はお願いします」
「うんうん、任せておいて。なんとかお手伝い出来そうで良かった…
話が逸れちゃったけど、あの青い靴、どうする?危険な物を踏んで足の裏を怪我したら大変だし、僕は履いた方が良いと思うけど…」
私はそう言われて確かに、とは思った。今まで歩いてきて怪我はしなかったものの、この先何があるかはわからない。けれどわざわざ道の真ん中に揃えてご丁寧に置かれている上に、怪しい紙もその傍にあったので、何かの罠だったりするかも…と少し不安になった。…いや、こんな状況だし、そんなに躊躇はしてはいけない気がする。お母さんも、人の借りれるものは借りておきなさい、と言っていたし…
「そうですよね…少し不安ですけど…この靴、履いていきます。」
お借りします、と呟いて私はその靴を履いた。不思議なことに、その靴は私の足のサイズとピッタリだった。そのことも少し怖くはなったが、すぐに心を落ち着かせた。
「おぉ~、青い靴、すごく似合ってるよ!これで足を怪我する心配は無くなったね。一応この紙切れも持っていった方がいいかもね。」
「へ!?え、あ、…ありがとうございます。 確かに…わかりました。」
褒められ慣れていないので少し緊張した。返答、あれで良かったのかな…。そう思いながら、紙を四つ折りに折り畳んでポケットの中に入れた。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。そこは全体的に氷のようなもので覆われており、淡い光を放っていた。私たちが来た道以外に五つ穴道があるようであり、私たち以外に知らない四人の人が、真ん中に集まって何やら話をしていた。
「初対面なのにあんた、本当に口が悪いね…第一印象最悪だよ」
「ぁあ?お前には言われたかねーよ。この根倉野郎が」
「なっ…!」
「まぁまぁ落ち着いてくださいよ~、喧嘩してても意味ないですよぉ~」
「そうだよっ!大体この場所も皆わからないんだし…協力して行くべきだと思うなっ!」
言い合いをしているのかな…。
とても話しかける雰囲気ではなく、気まずい。そう思った瞬間、私の足音に気づいたのか、全員がこちらを一斉に振り向いた。彼らは私を見た後、私の隣の人物に視線を集めた。そして、その内の二人は冷静に隣にいる幽霊を凝視し、その内の二人は目を丸くして恐怖に怯えた顔になり、悲鳴を上げた。
「ウワァァァァア!!!」
「キャァァアアアッ!!!!」
「…や、やっぱり驚かれちゃうよね…」
「この光景…親近感が…」
すっかり怯えきった二人は、真ん中にあった先に続く暗いとても大きい穴道へと逃げて行ってしまった。そして、残った二人には疑念の目で睨み付けられるような圧を受け、私は気まずく身を縮こませた。