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ロストスペル  作者: 海老飛りいと
第4章.機械都市
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95 想いを馳せる

「私、日本(にほん)から来たんです。名前もユーレカじゃなくて、ほんとは百合花っていいます。早乙女百合花(さおとめ ゆりか)……」


「そんな……日本って、待て……待てよ……」


思考がまだ追いつかない。少し間を開いても余計に酷くなる頭痛を喰らう。

血管の特に太いところに興奮剤を打たれたように脈が速くなる。

これは体中を駆け回る妙な薬ではなく、俺自身の思考の中枢で俺の内側を掻き回している混乱が渦になっていく様子。渦は大きく激しくなって徐々に、一気に飲み込まれそうになる。


渦に囚われないように瀬戸際でこらえている俺が彼女ユーレカの言葉を受け入れて、それからどういった反応を返すのが正しいことなのか自分自身の体に探るようにして問いかけている。

時々は焦って怒鳴りつけるように乱暴に、その後は宥めるように穏やかに。思考が波間にさらわれていくような想像が、耳鳴りになって繰り返す。

この感触はファリーの腕から滑り落ちて死を思い浮かべたときとよく似ている。


(俺も……彼女と、同じ……? ここではない、日本の、何処かの人間で……)


俺はマグの体を試すようにじんわりとした痛みに向き合い、急に現れた曖昧な記憶の破片を手の届く場所まで手繰り寄せるイメージで接合して縫い留める。


(俺は……誰、だった……?)


それは、縫っても縫っても解けてしまう粗い生地に通した糸のようにほつれて、やがてプツリと音を立てて切れてしまう。


「……っ」


「どう……したんですか? マグ先生……」


汗まみれの額を拭う俺を心配して見上げているユーレカの目に零れる涙を見つめる。

目の前で俺を見上げてくる青い目の少女は、自分をこの世界の人間ではないと自称している。

それが俺とマグに何の関係があるのか。探るなら今なのに。

ユーレカの言葉を脳内の記憶回路で照合するべく、反芻すればするほど脳が軋む。軋んで裂けそうになる。それ以上に。これ以上は――――。


「駄目、だ……っ……!!」


「だ、だいじょうぶですか?! か……、かか、顔色すっごい悪いですよ……!」


眩暈、捻転。あるいは立ち眩み。柔道で足払い技を決められたように躓き、つんのめってその反対側。体ごと宙に投げ出される。

逆さに曲がる窓の外の木々。背の低いうなだれたヒマワリ。地に伏したのは俺の方だったか彼女が先か。目の前の少女が視界の真ん中でぐるりと一回転する。


部屋の床が自分の目の高さにあることに気付いて悲鳴を挙げようとしたとき、俺はもうとっくに気を失っていたらしい。



――――。

――――――――。



「もう……びっくりしちゃいましたよ……」


ベッドの側面に背中を付けて寄りかかる俺の手を握りながらユーレカが短い溜め息をつく。

彼女の両てのひらは温かい。だいだいを部屋に溢れさせるような蝋燭の火に似た柔らかな光を帯びている。


「……よく、なりました?」


俺と同じ目の高さで覗き込んでくる彼女の長い睫毛。柔らかな頬に陰影を付ける憂い。

その面影に何かを大切なことを思い出しそうだったのは確か。

彼女の存在がその鍵として現れたこと。それが偽りではないことは失神するほどの痛みが肯定してくれていた。


今だに片隅で燻っている頭痛から遡ってくる吐き気をおさえ、ゆっくりと呼吸を整えてユーレカを見る。


(なぜだろう。彼女とは初めて出会った気がしない。そんなはずは、ない……のに……)


ここに存在している少女は俺と同じ。

そう思った途端。忽然、手のひらに明るい光を灯していた彼女が透明になって消えてしまう果敢はかないもののように見えた。


「……大変だったろ、ユーレカ。君は……ずっと一人でこの世界をさまよっていたんだね」


見知らぬ異世界に迷い込んで、誰にも理解されずにいた少女。

ユーレカの肩をそっと引き寄せる。 汗ばんで少し湿った腕で彼女を抱きしめたくなってしまう気持ちを抑えて。

自分にはスーや魔法学校の皆がいてくれたけれど、もしも彼女のように心の支えになる味方も目標もなくこの世界に来ていたなら……俺だったらどうなってしまっていただろう。


「えっ、えっ、あの……」


黙って目を伏せる俺に彼女も身を預け小さく頷く。


「あ……ありがとうございます……」


手のひらとは別の体温が彼女に触れている部分から伝わってくる。


「っでも。メナちゃんがいてくれましたし、私ひとりぼっちなんかじゃなかったですよ。マグ先生も、おつかれさま……です」


そう言って笑う彼女は俺が思っているよりもずっと力強かった。

そして、力強く見せる術を身に付けているほど逞しいのだということにやがて気付いた。


彼女は小さく震えていた。

優しい時間がゆっくりと流れて止まったとき、


「私の話聞いてくださって、ありがとうございます……信じてくださって、ありがとうございます……」


力を抜いて涙を流す少女の肩を俺は無意識に抱いてしまっていた。何か大切なことを彼女の輪郭をあてになぞるような気持ちで。



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