85 短い夜
「う、うん。起きてるよ」
返事をしながらも思わずスーのしっとりとした視線から逃れてしまう。
俺は控えめに見上げてくる彼女と反対に顔を向けてしまった。
彼女は俺のシャツを握った手をゆっくり動かし、
「先生、お母さんのこと気にしてるんでしょ?」
「……」
呟く彼女に返す言葉は咄嗟に出てこなかった。
不甲斐ないという気持ちがある。
けれども考え無しに言葉には紡ぎ出せない蟠り。
何を、どうにかして、何と言ったらいいかがまだまだ俺にはわからなかった。
こうなってしまった今さら言い訳にはなるが、いつかはスーに聞かれるであろう予測はしていた。
ファリーを救えなかった事から目を背けて蓋をしていたわけでもない。解ろうとしなかったわけではない。
ただ、返す言葉を選ぶ時間があまりにも少なかった。
俺を避けるようにしていたスーが今夜部屋を訪ねてきて、一緒に寝ようなんていわなければもう少し考えていられたのかもしれない。
予想では彼女が部屋に来るステップはまだまだ先のことだった。
俺の気持ちのタイミングと揃わせて欲しかった。
返事に困っているとスーは見上げる視線をまっすぐにして、反らした俺の頬に片手をあてた。
銀糸で出来た簾のような髪をすきながら上げた指が細くて華奢な温もりを伝えてくる。
「あのね、先生。べつにボクは大丈夫だよ。お話はしてみたかったけど、お母さんなんて最初からいないと思ってたんだし……。だからね」
付け加えて話す彼女の声は強がっているでもなく、寂しさを訴えて泣くような声でもない。
俺は黙ってスーに寄り添い聞いていた。
強がっているわけではない。と、言えばそれは嘘で寂しくない様子もフリだというのは解っている。
ただ、それらを押し込めてでも俺との会話を望んでいる。
「'ごめんな'。は、ナシだよ? 先生」
そうして彼女は俺が口に出しそうになったことを先回りして言う。
「先生は頑張ったんだもん。それにお母さんはあの時、ありがとうって言ってたから」
「スー……」
ハッとさせられた。
さっきまで顔を背けていたはずなのに、うっかり彼女の長い睫毛が上下しているのを見てしまった。
涙が留められた大きな瞳と目が合う。
ファリーと永別ともいえる別れをしてから俺もアプスも、誰も彼もがそれを話題にしようとしなかったのはスーに気を遣ってのものだと思っていた。
しかし、それは俺たちの遠慮や優しさではなくエゴだったのかもしれないと気付かされる。
スーは俺よりも先に母親との別れを受け入れていたのだ。
俺が百辺考えあぐねて話さないでいるうちに彼女は前を向いて先へ進もうとしていたのだ。
(強いな。君はどうしてそんなにも……)
スーをぎゅっと抱き締める。
すると、我慢の糸がほどけてしまったらしい。
彼女は声には出さずに涙を流して俺の服に顔を埋めた。
小さな体が一層小さく果敢なく見えるほど、丸くなって俺にしがみついている。
彼女は俺を背に乗せて飛翔した勇敢な竜ではなく、まだ幼い少女として彼女はここにいる。
(ーー守ろう。君をかならず)
スーと出逢った最初の時間を思い出しながら、彼女を包んでいる腕に少し力を込めた。
そうして暫くの沈黙が続き、身を任されていると安心したのかスーは先に眠ってしまった。
目を綴じる。ようやくやって来た睡魔のお迎えに俺も今ばかりは乗っかってやることにした。
静けさの暗闇に、両側から聞こえる二人の寝息が心地よい夜だった。
ーーーーーーーー
3章後日談、以上でした
お読みいただきありがとうございます。
感想まではいかなくても、読んだよ!と言っていただけたり
評価のお星さまなどを頂けると
大変励みになります(*´`*)
次章からは雰囲気を変えて
ちょっとサイバーパンクな機械都市でのお話です
新しいキャラクターもたくさん出ます
どうぞお楽しみに!




