07 走りも激怒もなし
「お客様は魔法学校の教諭とお聞きしましたが、お連れの方は生徒様でいらっしゃいますか」
「そうですが……」
「でしたら、学校へ連絡をとっていただいて……」
この申し出が学校に知れたら間違いなく拗れてしまう。
直感的に思った俺は咄嗟にスーを見て助けを乞う。
「通信機の番号覚えてないんです。あと、先生も通信魔法とか、そういうのは専攻じゃないんだよね?」
「そうなんだ。俺も思い出せないなあ」
この世界にも通信機器が存在するのか。
ということは後々の話にとっておくことにして、ひとまずその場で話を合わせた。
「貴殿方は……」
問いかけの語尾さえ冷静に音が下に落ちる。
トーンの低い犬頭オーナーは隙のない目付きで俺をじっくりと見、スーの体をなめるように見て首を捻った。
彼女に視線をあててからは俺の方にその目を戻すことなく、何かを一人で考えている様子だ。
「では、教諭。暫くの間、彼女をお借りしてもよろしいでしょうか」
「スーをですか?」
「はい」
シグマの目に一瞬、静かな姿勢に不似合いな光が射した気がした。
彼に注目していなければテーブルの上のよく磨かれたグラスが光っただけかもしれない。
と、誤魔化せるような僅かな変化だが、俺にはそれがはっきり見えた。
丁寧な物腰と正反対の、獣的な欲望を宿したそれに思わず身震いしそうになる。
「先生、ボクなら大丈夫だよ。ボク、ここでオーナーさんと待ってるから、その間にお金をとってきてよ」
「わかりました。スーがそうしててくれるなら。俺、代金を持って必ず迎えに来ます」
俺がシグマに感じた嫌な予感はスーには届いていないのだろうか。
彼女は何とも頼もしく自ら俺の前に出、獣人の前に立って言った。
「学校は海沿いの港をずっと行ったところにあるよ。さっき上から見たからわかるかな。地図、描こうか。紙とペン貸して貰えますか?」
テラスで会話していたときにスーが指差した学校の場所はあまりにも遠く、彼女には見えるのかも知れないが俺の肉眼では視認できなかった。
海の先。
港の伝いを目で追っても終わりが来ないくらい遠いことがぼんやりわかった程度だ。
「教諭、御自身の学校が在る場所がわからないのですか?」
「そうなの。実はこちらの先生、記憶喪失になっちゃってましてー」
二人のやりとりを怪しみながらもレジから筆記具を貸してくれるシグマに、俺が返事をするより早くスーが答えた。
借りたペンをささっと走らせ、彼女は地図を描くと小さく四つに折り畳んで俺の手に握らせる。
「ビアフランカ先生によろしくね。あと、先生もこれからはちゃんとお財布持って歩こうね」
「あ、ああ。そうするよ」
「それじゃあ、ボク、先生が戻るまで待ってる」
地図を持った手の甲をぺちんと軽く叩いて笑う少女に、情けなくも促されて俺は開いたままの店のドアをくぐり抜け外に出た。
足元に広がる石畳の道。すぐそばには白い砂浜。
一歩踏み出せば沈む靴先に急かされるようにもう一歩。
街へ続く歩道を上がり、もと居た場所を振り向く。
入り口から顔をだして手を振るスーの肩にシグマがそっと触れ、二人は店内に戻っていった。