73 もう一度、あの魔法で
「た、隊長~! 生け捕りにするんじゃなかったんですかぁ?!」
「わめくな、うるせェ。急所は外してある」
目標にしていたファレルファタルムが遂に射落とされた。
マグは暫くスーの背中で呆然としていたが、彼女の墜落地点に到着するなり聞こえてきたジンガとフィーブルの掛け合いにハッとして目をこすった。
「ファリー……?」
彼女がどうなったのか確かめなくてはいけない。心配そうにしているスーから降り、雨粒を受けて光る木々が衝撃でくり抜かれた先へと向かう。
穏やかに、眠るように森の中で横たわっているファレルファタルムを確認し、彼女の無事に胸を撫で下ろそうとしたところでマグはジンガに背中を叩かれた。
「お前は黙ってその絵本でも読んでろ! じゃなきゃ他の奴ら呼んでこいフィー! 尾っぽの毛を毟られたくなきゃあな! ……先公もその顔すんにはまだ早ェえだろうが」
竜を貫くほど長大な武器と化していた右腕は普段の空っぽの袖の中に戻っており、ファレルファタルムの周りを回りながらおろおろしているフィーブルにいつもの雑言を浴びせる。
「ほら。行けよ」
その後、囁くような叱るような声をマグに掛けファレルファタルムの傍へ寄るようにと倒れた竜を顎で指し示した。
空を燃やすような炎に脚と翼を焼かれ、強い雨に打たれ、鋭く重い一撃を受けた大竜に今ならばとどめを刺すことも出来るかもしれない。だが、最後の一手を下さずにマグに譲るのもジンガなりの仁義らしい。
ファレルファタルムのためにマグは馴染みの無い剣をとり、何かに気付いて率先し、その行動に結びつけるまでの過程を戦うだけでしか解決法を導けない自分たちの前で提案し続けた。提案したからには夢物語や言葉だけでは無いことを証明してみせろ。と、彼を小突いて送り出すのだった。
炭の臭いが残っている場所。マグがファレルファタルムの側までいくと、彼女は優しい声音で話し始める。
「……すごいわ、マグ。ストランジェットを本当に貴方を乗せて飛ぶほど立派に育ててくれたのね……」
鈴の鳴るような清声で談笑をするファレルファタルムに引き寄せられるように、マグは一歩ずつ彼女へと近付く。
自身が引き起こした氷雨に打たれた鱗は黒ずみ滲んで濡れている。持ち上がらない長い首から尾の先まで所々変色し出会ったときの美しい佇まいではなかったが、それでも彼女は威厳と慈しみを帯びた目でマグとスーを交互に見て言った。
「ありがとう。私との約束を守ってくれて」
「……どう、いたしまして」
マグが微笑むとファレルファタルムは悟ったように瞳を綴じてゆるやかに頷く。
「さあ。お願い。私の気がまた狂ってしまわないうちに……」
「ああ。いま助けるよ。ファリー」
彼女の胸一帯に暗雲のごとく拡がっている黒い結晶へ手を翳して魔法事典を展開すれば、その呪文はすぐに見つかった。
夜闇よりも深い黒の鉱石を砕き彼女を救うための魔法。飛び交う文字列の中で自分を選べと一際大きく主張しているその呪文には見覚えがあった。
「この魔法で……結晶を壊す……!」
一編を掴み取りファレルファタルムの体へと手のひらを押し付ける。
結晶に触れ、手から発した白い光が鉱物の内側にゆらゆらと浸透していく。内側から一気に膨張した輝きが弾け、欠片を伴って舞い散り結晶にヒビを走らせる。
炎にも焼かれずジンガの渾身の一撃にも砕けることのなかった結晶。
彼女が抱えた巨大な蟠りの象徴を砕いたのは、この世界で初めて見たマグの……路地裏で咄嗟に発動させた強いフラッシュを起こす光の魔法だった。
あの時と同じように視界が一瞬で真っ白になる。夜を塗り替えていくような強烈でどこか暖かな、手から放たれ作り出された小さな暁光がまばたきを奪って闇を染め上げる。
ーーーー全ての風がその時、止まった。
俺が息を吸う一瞬。木々の合間に眠った虫達が覚める間のことなのかもしれない。皆の声も足音も聞こえない。
そうして意識が戻った時、俺の耳へ最初に飛び込んできたのは泣きじゃくるスーの声だった。
「お母さん……お母さんっ! 先生、助けて……! 傷口から血が止まらないよ……どうしたらいいの? ねぇ……っ!」
ファリーの首や胸から腹部にかけて生えていた黒い結晶は確かに消滅していた。彼女の精神を蝕んでいた原因を取り除くことは出来ていた。
だが、それで解決したと思うにはまだ早かった。
結晶が無くなった場所には本来的あるはずの肌も皮膚も鱗のどれかさえ残らず、彼女の体は無惨にも縦に引き裂かれてしまっていた。結晶を取り出した後に何もない大きな穴が空いてしまっていた。
「お母さんを助けて! 先生……!」
スーが両手で押さえても対格差から収まる気配はない。傷口の虚孔は奥から嘲笑っている声が聞こえるかのよう。滝のような血をどくどくと溢れ出させている。
回避したはずの危機が別の方角から襲い来る感覚にふらついてはいられない。




