71 発火する精霊
「マグっちとお喋りできなぃんだったら……あーしらにおっとなしくやられてくれるとマヂ助かるんですケド! そーれっ!」
斬り込む先手は金属が叩きつけられる鈍い音。閃き迸るは緑の雷撃。
ミレイが突き付けた武器の銃口から凝縮した雷の魔法を撃ち放つ寸前。ファリーは蔦に捕らわれ不自由な身を咄嗟に捻って頭を振り上げ、その発動を妨げる。
「退ケ! 邪魔をスルな! 愚カナ人の子めらよ……!」
「えっへ! そー上手くゎいかないってカンジ?!」
スーに救い出されたマグから標的が目の前の邪魔な騎士達へと移った。ファリーの頭が降ろされる。飛び上がったまま靴に雷を纏って留まっているミレイへと狙いを定めれば、裏返った声を荒げながら食らい付こうと襲い掛かる。
固い水晶の角が緑の布をかすめ、体勢を崩してしまうミレイの対角からカナンがファリーに挑む。
「竜よ! まだ私がいるぞ!」
果敢に飛び付くように豆の木を駆けて助走をつけ、登った先に聳える大竜の鎌首目掛けて剣を突き出す。彼女の全身の両腕の力を前へ上へと込めて。
「はあっ!」
「グがあアアッ!」
一撃がファリーの胸元へ到達した。両足を固定された竜は抗うように翼を羽ばたかせて泣き叫ぶ。しかし、カナンの剣は彼女に僅かな傷を負わせたのみで大竜を打ち負かす決定打には至らない。
カナンの突進攻撃もミレイから注意を反らすだけの援護。それどころかファリーが何故沸き上がらせているか彼女自身でも解らない行き場の無い怒りを更に増幅させるだけのものであった。
「カナンさん! ミレイ! 気を付けて! 何かやばいのが……来る!」
叫び鳴く大竜。頭の横に生えた二本の角の内側に光が点り、文字列が浮かび上がるのをマグが誰より早く視認する。
(間違いない。あれは……!!)
記録魔法の媒介は何処かに刻んだ記録。ファリーの角に刻まれている魔法はマグに懐かしい思い出や真実を回想として語るだけではなく、彼女が身を守るため、外敵を殲滅するための役割も持っている。
その事に勘づきスーの背から二人に声へ叫んだその時。
「ちょっ、ま……っ!!」
「ぐう……っ!!」
ファリーの口が大きく開かれ、金の閃光が放たれた。
光は強く波のように拡散。爆発を引き起こす。夜の闇に月そのものを落としたかのような強い輝きが視界を奪った。
一瞬にして白と金が混ざり濁った結晶と化す森の木々たち。葉の先から根本までをたちまち雪氷が支配する世界になってしまった。
咄嗟に身を翻し直撃を免れたミレイが蔦の上に跳び移り、凍てついた足場に滑り落ちそうになるカナンの腕を引き寄せた。
「何これ……ガチでやばそげだゎ。ファリーたゃ全っ然へこたれてナイぢゃん……」
「ええ。ですから面白いんですよね」
二人に追い付き寄り添うようにして会話に入ってきたイレクトリアに視線が集う。
最上部でファリーの両足を固定しつつ自身らの足場も確保させている巨大な豆の木を操っている彼は、開いた本のページを捲りながら鬱陶しそうに凍り付いた箇所を見るなり、
「カナンさん。この氷はファレルファタルムごと貴女の火で焼き消してしまいましょう」
「し、しかし副隊長。この場では氷を溶かすだけではなく周囲の森にまで燃え移ってしまう危険性が……」
「私は溶かすのではなく焼き消せと言ったんですよ。カナンさん」
焔鎧の力を使って一帯を炎上させよというイレクトリアの提案にカナンは容易に頷けなかった。
力を使えばファリーの魔法によって氷結している場所を融解し戻すことは出来るが、影響を受けていない場所にまで被害が及んでしまう。そのことをわかっていて「溶かすではなく焼き消す」を提案してくることに彼の性格の根悪を感じる。
そうして肯定しかねているカナンへイレクトリアは少し考え、
「隊長が近くに居ない場合の指示命令の権限は誰にありますか?」
「くっ……」
眼前に広がる氷よりも冷ややかな視線で見下ろす。
カナンはこの男のことが気に入らないだけでなく本能から苦手な理由を思い起こさせられた。
焔鎧に興味を持って近づき子供の好奇心のように無邪気に試そうとする残酷な視線は、ぞんざいに彼女を抱いた男たちと悪寒がするほどよく似ていたのだ。
「それは……副隊長に委ねられます」
「御理解頂きありがとうございます」
悔しいが従う他無い。と、濃く塗ったリップを噛みながらカナンは肩に装備した焔鎧へと触れ、体の中心に意識を集中させ始める。
心臓の鼓動と神経の脈動を合わせて目を瞑れば、彼女の宿主であり本体である焔鎧に刻まれた模様が輝き朱く染まる。
彼女が発する音は火打ち石を打つような軽い音から始まり、金属を叩いて伸ばす鍛冶師の工の音へと大きさを変え増してゆく。
精霊の力の発現。魔法とは違う特別な能力を解き放ち、カナンの体はたちまち炎の渦に包み込まれる。
「う、ううっ……」
長い金髪は燃え盛り立ち上る火柱、灼熱を手足に腕に胸に首に、身の丈全てに纏う。彼女が人間を型どっていた姿を眩ませるほどの蜃気楼を揺らめかせながら、炎そのものへ変化してゆく。
カナンの姿の変化に合わせイレクトリアが詠唱を始める。
「『じりじりと肌を焼き、風には成せぬ彼の者の心を動かせ。私は旅人を照らす太陽』さあ、燃え盛れ……!」
「『私は灼熱の化身』! ……うぅっ……ああ……ッ!!」
詠唱を追った瞬間、既に燃え上がっている薪にバケツ一杯の油を注ぎ込んだかのような炎の爆発的噴出が起きた。
「う、うああぁっ!」
「何が起きてるんだ?」
「マグちん……アレけっこーグロいから……」
凄惨な光景を目の当たりにしないよう瞳をとじるスーとマグよりも先にミレイが悲しげに目を伏せる。
「も、燃えてる……? カナンさん?!」
敵対した竜の前でカナンが炎上し火達磨になっている。
ファレルファタルムの魔法によって凍てついた蔦を溶かして燃やし、赤い色を拡散させながら彼女は嘆くように叫んでいた。
「あぁぁぁあっ!!!!」
やがて火柱の中に揺らいでいた彼女の黒い影は、くすんだ骨から灰になり空に向かって伸びている草と枝葉に火を移して消滅した。
体の一部であった一片の鎧だけをその場に遺して。
「『煽れ、扇げ。私は空よりたなびく風の化身』。火力が足りませんね。教諭、私に加勢を! 貴方の風をこちらへ!」
消滅した部下には興味を失ったかのよう。脇目も振らずファレルファタルムを見上げながら片手で本の文字をなぞり物語を続けるイレクトリア。
その鋭い視線がマグへと投げ掛けられる。
「風? 俺の……」
カナンの姿を探している暇も与えられない。彼も口では聞き返すものの行動は言葉よりも早く、マグはシグマの指輪を見詰めイメージを浮かべ始める。
ファレルファタルムに辿り着くため空へ飛び上がったあの突風と、スーの羽ばたきを後押しし空中に留める今吹かせている追い風。カナンが命を掛けて燃やし描き出した炎の道筋を巻き込み、巻き上げながらファレルファタルムへと猛進する真っ赤な攻撃的な竜巻を。
「行くぞ! やってくれ俺の魔法!」
翳した腕を振り切り、魔法辞典から一文を引きちぎるように威勢良く選び取る。




