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ロストスペル  作者: 海老飛りいと
第3章.港街の護り手たち
63/140

62 夜を駆り、嘆く月

***



アプスが放った手のひら大の光の玉が一匹の巨大蟷螂の頭上を掠める。

翻弄されるように複眼をぎょろぎょろ動かし敵が光を追えば、それは触覚の間を下がり鼻先をつついて蟷螂の首の下で停止した。


「今です! 行ってください先生!」


もとの世界でも武器を振り回すなんて日常は滅多になかっただろうし、この世界で剣を握るのは初めてだったが、不思議と緊張はしなかった。

すぐ傍にアプスがついてくれているからだろうか。路地裏で、自分では戦えないと言っていた彼が、とても頼もしく今は思える。


仕組みは解らなかったが、武器についている精霊というものの特別な力があるんだろう。

剣を持つ俺の手に触れ、アプスが攻撃の合図をしてくれたその時。


「よし……! はあっ!」


彼から離れ一人、草影から隙をついて蟷螂(シザー)の喉元へ飛び出る。

距離を一気に詰めると、横向きに生えた歯牙が俺の頭の上でガチッと鳴った。敵の唾液が飛沫になって降りかかるのを間一髪かわし、俺の一撃を待ってくれていた光の玉を目掛けて突き刺す。

虫の装甲を突き破って、俺の剣が敵の急所に入った。


「…………ぐっ!」


役目を終えた光が破裂して無くなると、喉を斬られた敵から緑の血が噴き出す。

肉に刺さっている重い感触が刃から伝う。流れてくる血を払うようにして真横に剣を振り抜く。

ビチャッ。と、雑草に跡を付けた血糊を追って俺の重心が傾き、刃が下を向いて肩の力がかくんと抜けた。


(や、やった……なんとか倒せた……)


切っ先を引きずりながら息を吐く。

首を裂かれて崩れた死骸を見ると、額から温い汗が落ちてきて、無意識に拭った。


「やれば出来るじゃないですか」


草影から見守っていてくれたアプスがひょっこりと顔を出して言う。少し驚いたような表情でいる彼に、


「はは……まぁね。アプスのおかげだよ……」


「い、いえ。それは……」


笑いかけると照れてそっぽを向いた。

素直じゃない。けれども、彼が剣の精霊で他人のサポートが出来ることは確かだ。と、俺は感心してありのままに告げたつもりだったのだけれど。


「良いですね。教諭、アプシスフィア」


別の敵に最後の一撃になる回し蹴りをくらわせながら、こちらの様子を見ていたシグマも目配せをくれた。

彼のことは料理店のオーナーとしての顔しか知らなかったので、モンスターを足技でばったばったと倒している様は、正直どんな粋の良い魚よりも新鮮に映る。

犬頭の真っ黒な唇角がにっと引き上がる。表情筋が貧しいと思っていたシグマが笑っている光景に、俺はちょっと驚いてしまった。


足元に転がったいくつかの巨大昆虫の死骸を踏まないように歩き、辺りを警戒しながらスーの手を引く。


「離れるなよ、スー」


「うん。……! 先生、あっくん、あっち! 見て……!」


スーが興奮気味に指し示した先でジンガが双頭の大蛇と対峙していた。

森の木々よりも背の高い蛇。太い胴の途中で二股に割れた首を揺らしながら、ジンガと睨み合っているそれは蟷螂達と別の種族のモンスターのようだ。

反射板のように時々ギラリと光る金色の目は真っ直ぐで細い瞳孔を縮めており、威嚇に開けられた口の鋭い刺牙もまた石灰のように夜闇に浮かんでいる。


離れた位置からでも巨大さが解るのは這いずる度に地鳴りがするからであろうか。

いずれにせよ生身の人間が太刀打ち出来るような相手ではなさそうだ。

体格が良いとはいえ大蛇から見ればヒトの規格である以上ジンガでも一呑みにされてしまうだろう。


「ジンガさん……! 加勢に行かないと……!」


「邪魔しないほうがいいですよ教諭。隊長は獲物を横取りすると根に持ちますから」


スー達と一度頷きあってからジンガの方へ向かおうとしたところで聞こえたのは、イレクトリアの落ち着き払った声。

振り向き見れば、彼は尖った茨を開いた書物と手指から発現させて雑魚を一掃しているところだった。

小間切れになった蟷螂の肉片を払い、魔法で編み出した棘を腕からほどきながら、「それに」と続け、


「あの程度の魔物に加勢なんて必要ありません」


口元だけで笑っているシグマと視線を交わして付け加えた。


「あの程度って……」


二人が背を向け別の敵に集中を始めると、睨み合っていた魔物とジンガが同時に動いた。

ジンガの体の向こう側に朱色に閃く槍のようなものが見える。だが、ジンガには武器を握る片腕が無かったはずだ。

彼の武器は槍などではなかった。

ジンガの武器は戦う前の何等かの合図の際に右腕として形成されていた真っ赤に発光する大きな腕で、槍のように見えた突出した形はそこについた爪だった。


手指と同じように五本の爪。爪といっても厚さや長さが刀身並みにあるものが、俗に言うビームサーベルのように発現して備わっていた。


「あ、あれがジンガさんの手……?」


ジンガが赤い腕を振り上げる。


「来いよ」


大蛇の方ももたげていた鎌首に勢いをつけ、一気に二つの口で食いかからんとし彼に襲い掛かった。

だが、それを最後に蛇の開いた口が再び綴じられることはもうない。

俺が瞬きをした直後、振りかぶったジンガの右腕が蛇の片方の上顎を掴まえたかと思うと、次のまばたきの頃には既にもう片方の頭に牙を突き刺して息絶えてしまっていた。


あっという間のあの発音をする隙すら無い。

まるで双頭の頭同士が共食いでもしたかのような、噛み付き合った状態の死骸が一つそこに出来上がっていた。

重ねた頭を赤い爪で串刺しにし、


「……ったく。つまんねぇな。どいつも見かけばっかじゃねぇか」


ぼやきながら空いている左手で懐から出した煙草をすぐに咥え一服を始めるジンガ。倒した魔物の死骸はまるで最初から製品に加工する前の蛇革の山だったかのように黙っていた。

十メートル以上の長大な大型魔物を糸も容易く仕留めた我らの大将を仰ぎながら、


「ゥチの隊長チョー強いっしょ?」


行く先でカナンと競うように戦っていたミレイが戻ってきて、誇らしげにウィンクを投げてきた。


「すごくお強いね! 一瞬だった……で、でも、先生だって負けてないよ!」


言葉遣いを最初に会ったときに正してやっておけばよかった。

スーは間違った言葉で言って羨望の眼差しをジンガに向け、ミレイに頷き返しながら俺の腕にしがみついた。


「ねっ? 先生」


「あ、ああ……」


スーには悪いがそんな風に期待の目を向けられても、俺のへっぴり腰チャンバラとは違いすぎる。比べるでもない。

流石に騎士……この世界では警察や軍人等に近しい存在と言ったところか。

ジンガ以外の銀蜂隊のメンバーも戦闘に長けていると思っては、隊長はまた格が違うようだ。


そう思いながらジンガの横顔を眺めていると、彼が口にしていたたった今点けたばかりの煙草の煙が消える。

消えたのは煙だけではない。ざわめいていた虫の魔物も、夜の騒ぎに起き出した動物達も、まるで森中の時間が止まったように静かになり、音という音が無くなってしまった。


「…………?」


黙っている皆を振り返り見ようとした時、急激に風の流れが変わる。




オオォォォォォォーーーーーー…………!



呻きのような高い竜の咆哮が響き、冷たい夜風に乗って森中に広がる。

大蛇が這いずるよりも更に大きな揺れが起き、雑木達が風を受けてぶわりと一気に凪がれる。

両耳を塞いでも鼓膜を支配する鳴き声に、体が痺れるような感覚。

長く、咽ぶように、哀れむように、悼むように竜が悩ましく哭くのを聞いて、俺の中で心臓が小さく細かく軋む。


(……間違いない。ファリーだ!)


夜が支配する背景に立ち上る弧月のごとく。神秘的な彼女の真っ白な姿が、視界の先に映り込む。

俺の夢でマグと共にあった美しい白銀に身を包む大竜。

瞳の奥に焼き付けていたあのままの姿が、俺達の行く手を示す上空先に現れた。










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