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ロストスペル  作者: 海老飛りいと
第3章.港街の護り手たち
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49 美しきお客様

本日から第3話掲載開始致します

よろしくお願いいたします!





 平和になった港街で自分の店を構えたのは約二年前。

 長い下積みを経て料理の腕を磨き、途中で世界の混沌という大きな邪魔も入ったがようやくここまできた。


 犬頭の獣人シグマ・ハレンデールはお気に入りのパイプを蒸かしながらしみじみ思っていた。


 手元の売上報告を確認しながらふさふさの尻尾を嬉しそうに振る彼の姿は非常に珍しい。

 真面目で冷静な店主として店の看板を守るシグマの他人からのイメージは、大部分が味と接客に対する厳しい自己評価でしめられている。


 犬の頭だからといってシグマ店長は舌を出して笑ったりはしないし、立派な尻尾はいつも地面に垂直九十度。

 そんな彼を従業員たちは皆慕っており、シグマ自身もいつも紳士に振る舞うように心がけている。


 それでも、嬉しい時は素直に燕尾服の後ろに垂れ下がった尻尾を振ることだってある。

 今がその時だ。威厳を忘れて犬のように振っている。


「すみませんオーナー。少しホールに来て頂けないでしょうか。お客様が御呼びです」


「……おや。どうしました」


 客席での配膳を任せていたスタッフの一人がシグマのいる控室へとやって来ると、彼は何事も無かったのように座り直して尾を隠した。


 普段通りの冷静な低い声で居直り、銀のトレイを抱えた女性に返事をして尋ねると女性はおずおずとして答える。


「はい。今、奥の席をご利用中のお客様なのですが……」


 何かトラブルが起きたのだろうか。しっかりと教育しているスタッフに対処ができないような客は滅多にいないのだが。

 それどころかトラブルを起こすような品の無い客はまずこのレストランを利用しないはずだ。


 財布を持たずに教え子を連れて来店するような常識から逸脱した人間でもない限りは。と、昨日の変わった客のことを思い出しながら、


「わかりました。では私が参りましょう。貴女は別のお客様をお願いしますね」


 シグマは売上報告とパイプを近くの机に伏せて置き、店長自ら客席へと出ることにした。


 



 シグマ自身が客席を巡回し、お客様一人一人の店内での様子を知る。

 それもまた彼が店長として店を守り、店をよりよくしていく為に行っていることの一つだった。


 クレーム対応だけでなく、自分もスタッフの一員として接客をしてお客様のご意見ご要望をフレッシュに受け取る。

 己が下積み時代に培った正しいマナーを見せ手本となることは店舗のスタッフにも良い影響を与え、結果的に店の評判と売上に繋がっていく。


 既にこの二年間実証済みだ。


 料理に使う素材と同じくお客様の声も新鮮なほうがよい。

 フレッシュを常に求めるのは飲食店の経営者たるシグマにとって当然のことだった。


 店の奥でふんぞり返っているなど彼には考えられない。三下三流の名ばかり店主がすることだと思っている。


 先にホールへ戻るよう促したスタッフに続いて控え室から出てくると、例の客はすぐに目についた。

 否、目を奪われたと言った方が正しいかもしれない。


(四番テーブルの端の席……。あちらのお客様か……しかし)


 絶世の美女とはまさにこういう人への特別な表現なのだろう。

 一生を添い遂げる家内がレジで仕事をしているのが見えているにも関わらず、シグマはその女性に一目で見惚れてしまった。

 

 彼が歩み寄った席には、長い銀髪の女性が一人。鬱屈とした表情で佇んでいた。

 年齢は二十の後半か三十の手前ぐらいに見える。綺麗な服を着ているが派手に着飾っているわけでもなく、落ち着いた上品な雰囲気に包まれていた。


「……失礼」


 白ワインが半分ほど入ったグラスを揺らしていた彼女はシグマの視線を受け取ると、彼の方にゆっくりと顔を向けた。

 

「……オーナー、ですか?」


 艶っぽく長い睫毛が上下する。

 冷静なシグマの鼓動が彼の体に許可なく早まった。


「はい。私が店主のシグマです。お客様。料理はお口に合いましたでしょうか」


「とても美味しかったです。突然お呼びしてしまってすみません」


 普段しているように腰を折り、シグマは女性に丁寧な挨拶をする。

 近くで彼女を見ると、女性は自分の首元を隠すように触りシグマに微笑みかけて答え、


「オーナーにお代のことで相談がございまして……」


 と申し訳なさそうに眉を下げながら言った。

 謙虚そうに声音を下げる様子も、首にあてた細指の爪の先も輝くように美しい。

 聖女に例えられるため現世に現れた女神の生まれ変わりか、はたまた客席に飾った森で眠る美女の絵画から抜け出してきたのか。


 そう思わせるほどに美しく、シグマは自分自身に杭を刺すような思いで溜息を堪えた。


「大変恐れ入ります。お料理を頂いたあとで申し訳ありませんが現在、現金を持ち合わせていなくって……」


「え、ええ……」


 受け答えをしながらシグマはつい「いいですよ。お代など構いません」とそんな返事をしてしまいそうになったが、何とか台詞を飲み込んだ。

 いつも冷静沈着で、どんな人物が来店しても臆することなどこれまで一切なかったシグマが美人を相手に圧倒されそうになっている。


 後方で店長の様子を見ていた従業員たちもそれには大変驚き、固唾を飲んで見守るしかなかった。

 

 店長の伝説的な対応を待っている彼らに弱気な姿は見せられまい。

 気を持ち直し、シグマは女性が差し出す手元を見た。


「それは……?」


「はい。少しですが受け取って頂けないでしょうか」


 小さな布の小袋には未亡人となった彼女の夫の形見が入っているかもしれない。と、顔に影のある女性を見て妄想が捗った。

 だが、シグマの予想はその後大きく曲げられて意外なところに着地する。


(この女性……どこかで見たような……いや、こんな美人が知り合いにいただろうか……?)


 そして、彼女の手から袋を渡された瞬間。


「……! 貴女は……まさか」


 ずしりと重い中の物が、袋の口の隙間から僅かに見える。

 そこに入っていたのは結婚の記念に贈りあった金銀の指輪でも夫の遺品の十字架でもなく、色とりどりの小さな宝石たち。

 謎の美女の正体を知った彼は口に出すことはせず心の中で呟いた。


(希少種のはずの輝石竜ミルウォーツが自ら二日連続でご来店とは……テーブルクロスを洗濯する予定だったが、これは明日の天気が心配だ……)


 どうやら目の前の女性に感じた既視感は昨日出会ったお騒がせなお客様のもののようだ。

 美女の顔を正面からよく見ると、誰かの母親のように慈愛の籠った女性らしい紫の瞳や白い珠のような肌に見覚えがある。


 陽に当たらないのか色白さが少し不健康の域にあるものの、よく似た特徴の少女をシグマは知っている。


 目の前の女性には、昨日出会った輝石竜ミルウォーツ・ストランジェットの面影があったのだ。

 








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