44 彼の望み
彼を小屋まで送り届けると、近付くまでは真っ暗だった窓の向こうで明かりが点いた。
無人のはずの小屋が内側から勝手に灯る。
この実習室がどういう仕組みでこうなっているかを考えなくなっても、一々驚かずにはいられない。
「今日は僕、ここで剣の手入れをしています。すみませんが一人になりたいのでここまでで大丈夫です」
「そうか……」
アプスはそう言うと、俺の返事を待たずに頭を下げて一礼し小屋の中へと入っていった。
(さっきちゃんと答えなかったこと、気にしてるんだろうな……)
小屋を離れ、雑木林を通って来た道を戻る。
目標にすべきドアは真っ直ぐ視線の先に見える。空間の仕組みを無視してドアだけがオブジェのように草原をバックに立っている所だ。
全く同じ道を辿っているのに、二人で話しながら歩いた道を一人で歩くと急に距離が長くなったように感じるのは何故だろう。
部屋の仕組みでなければ俺の心象が風景を歪ませているのだろうか。
湿っぽい風を頬に受けながら、アプスの話を思い出して考える。
彼があの小さな体と大きな剣に悲しい使命を自ら背負わせていたことと、そんな淀んだ彼の気持ちに寄り添ってマグが生前行動していたことは衝撃的だった。
俺が黙っている間に話してくれた彼の話によれば、アプスが剣と一緒に生まれた町はある人物の魔法によって地盤が沈下しそのまま崩落してしまったのだという。
ーーー最初は縦に揺れる大地震と、突然町に現れだした不自然な霜柱。
季節外れの雪の名残は表土を膝の上まで持ち上げた。
次にどこからか北風が吹き始めた。
空が雪雲に覆われ、地表だけではなく町の至る場所が凍てつき始め、民家の屋根を氷柱が走り、尖った雹が人々を切り裂くように襲った。
激しい吹雪が町を混乱させた一夜後、その雪が溶けると同時に家々は傾き、割れた地面に雪水と共に崩れて流れ落ちた。
無機物に宿る精霊のアプスは、鍛冶師の決死の覚悟によって町の外に投げ出された。
アプスはそこで、崩壊し土砂に潰れて地底に飲まれていく建物と人々をなすすべもなく見送った。
そしてその時、彼は彼の故郷を奈落に沈める呪文を唱えていた人間達を目撃したということだった。
町を一つ陥落させてしまうほどの強力な魔法を使う仇。その人物を探して復讐がしたい。それが自分の目標だとアプスは言った。
信じがたいが事実で本心なのだろう。誰よりも真剣な彼の瞳が瞼に焼き付いて離れない。
(まさか、マグは彼の願いを叶えるために蘇ったなんていうんじゃ……)
アプスの目標のことを思うと同時に俺の頭に嫌な予想が浮かんできた。
それは、出来ることならそうであってほしくはないという思いが俺の想像力を掻き回して出てきた解答の一例。
(いや、生前のマグを頼りにしていた生徒ら……子供達の面倒をみる……といった方が正しいかもしれないな)
アプスの目標の件以外でもそれなら心当たりがある。
例えばスーにも方向性は違うが、「メスになってマグ先生のお嫁さんになりたい」という彼女なりにマグに求めていることがある。
(きっと、もしかするとだけど。彼らの願望を叶えることが何かを思い出す為の糸口になるんじゃないか……?)
案の定、アプスの話を聞き、彼との関係を彼の口から話してもらって思い出しているときは例の頭痛は来なかった。
都合が良いことに対して邪魔をしてこないのがマグの体なのだということは先に実証済だ。
「でも、復讐か……それはどうなんだろう……」
この世界でやるべきことが段々と輪郭だけでも見えてきた。そのことには少し希望が湧いたのだが、アプスの言葉を思い出すと胸が詰まるように痛む。
これは多分、マグの体だからではなく俺の心が痛んでいる。
希望の中に新しく誕生した戸惑いをぶら下げたまま溜め息をつき、やっと辿り着いた目の前の扉を開けて廊下に出た。
草原のど真ん中から、見慣れた屋内の景色。
急に別の世界にワープしたようで、一瞬錯覚しながら実習室のドアを後手で閉める。
「復讐なんてあんまり良い響きじゃないというか、何か引っ掛かるんだよな……」
「復習は、ちゃあんと納得するまで繰り返された方が良いと思いますよ。マグ先生」
「っ! ビアフランカ先生……!」
独り言の後に調子の緩んだ助言が飛んできたので、びっくりして転びそうになった。
廊下に自分以外の誰かがいると思わずうっかり声に出して呟いてしまっていた俺を、いつから見ていたのか、
「ふ、ふくしゅうですか……?」
「ええ。予習も復習も大切ですね」
優しい声で明るく言うビアフランカ。彼女が腕を支えてくれた床と抱擁しなくて済んだ。
彼女の耳は俺の言葉を同じ音程だが違う意味の方でとらえてくれたらしい。
「あ、ああ……復習か。そうですね。はは……」
彼女は間抜けな顔になっている俺にいつものおっとりとした糸目で微笑んだ。
「生徒達に復習のことで何か言われたのですか?」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
こういうときに「大丈夫」という言葉を使ってしまう癖はどうにか治らないものだろうか。何も大丈夫ではないのに、大丈夫と言ってしまうよくいう日本人的心理に自分のことながらイラッとした。
ビアフランカは生前のマグとアプスの関係を知っていたのだろうか。
知っていたとしても、穏温とした彼女が「復讐」なんてものを容認していたとは思いづらい。
この件は彼女に相談することではないな。と、一旦アプスの話のことは頭の隅に置いておくことにした。
壁伝いに廊下を歩き出すと、
「でしたらよいのですが」
俺の顔色を見、ビアフランカの方から新しい話題を持ち掛けてきた。
「王国騎士団からお客様がいらっしゃって、マグ先生を探していたんです。貴方ともお話しをしたいとおっしゃっているのですよ」
「騎士団の人が来てるんですか……?」
「ええ。応接室にお通ししようと思ったのですが、長くかからないということですので玄関でお待ち頂いています」
彼女の話に相槌を打つと、ビアフランカも隣について歩き出す。
少し早足になる彼女に足並みを揃え、俺は客人が待つという学校の玄関を目指した。




