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ロストスペル  作者: 海老飛りいと
第2章.魔法学校の教師
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43 実習室


 単語の意味だけでとらえれば教室にも実習室も大きな意味の差は無いというが、実際に魔法を使う目的があるという点でこの学校においては大きな違いがあった。


 そこは、先程の部屋とは全く異なる雰囲気の場所だった。

 扉を開けた向こう側はまるで学校とは別の世界のようだ。


「なんだここ……実習室っていうか、まるで外じゃないか……」


 屋内の扉を開き、部屋に足を踏み入れた筈なのに。俺は思わず空を見上げて呟いた。

 そう、この部屋には空がある。天井があるはずの場所に青空が広がっていて雲が流れている。


 足元には草が茂り、靴底に梅雨のような水がつく。遠い視線の先に木で出来た小屋と、それを囲んで並ぶ針葉樹。

 風の吹く平原。雨を浴びた後の草の匂い。太陽の光が注いでは揺れる木々。


 どうしたことか、学校の中の一室に大自然が閉じ込められているのだ。


「あれっ? いらしてたんですか、マグ先生。ビアフランカ先生とのお話はもういいんですか?」


「……アプス?」


 目の前の景色が信じられず言葉を失っていた俺に少年の声が掛かり、振り返るとアプスが立っていた。

 当たり前のように草原を歩き、彼は扉を閉める。

 扉自体はそこに存在していて、閉める前の隙間からはさっき歩いてきた廊下が見えたので、ここは確かに一つの部屋だ。


 それはわかっているのだが、天井がなく壁も無くずうっと先まで空と野原が続いている。


(一体、どうなってるんだ……?)


「先生? どうかしました?」


 扉を離れ俺の前を過ぎて小屋の方に向かうアプスが、不思議そうに振り向いて俺を見る。


「い、いや……この部屋ってどうなってるのかなって思ってさ。俺、廊下を通ってきて扉を開けたらこの景色だったもんだから。実習室はここだってきいたんだけど、ここは……外なのかな?」

「いいえ。部屋の中ですよ」


 俺は数歩戻って扉から横に手を滑らせる。

 壁であるはずの場所に触ろうとすると空気を掴むことになり、重力に従って手は落ちる。

 何度か試してみる俺に、呆れた目を向けながらアプスは首を振った。彼に余所見をしながら俺もついて歩く。


「僕にも仕組みはわかりませんが、ビアフランカ先生からは校長先生の魔法だと聞いています。魔法の訓練や実践をするのに適した空間になっているそうですよ」


 さも当然のように説明をするアプス。

 学校で暮らしている者として、今日も俺より先に来てこの部屋を使っていた彼にとっては何も不思議なことはないと彼は言い切った。

 むしろ教員という立場のマグである俺のほうがこの部屋について詳しいのではないか、と言いたそうにも見える口振りだ。


「校長先生って……?」


 彼の話の中にまた新たな人物が登場したので、俺はアプスに尋ねようとした。

 ビアフランカからも校長という人物がこの学校にいるという話は聞いていなかったし、第一に校長がご健在だというなら俺もその人物には真っ先に挨拶しているはずではなかろうか。

 朝食は皆でとアプスが言ったけれど、校長なんてあの席にはいなかったではないか。


「はぁ……」


 俺が考えている表情が彼の気に障ってしまったのだろうか。

 初めて出会った時から少々気が短いとは思っていたが、それも真面目さの裏返しかもしれない。

 アプスは本来マグが知っているべき事を俺に説明することに抵抗があるのだ。

 スーのようには単純に受け入れ切れない。先生と生徒の立場を逆にしたくない。そんな意地っ張りな部分を出して、


「貴方が知らないなら僕なんてもっと知りませんよ。僕たち生徒は校長先生にお会いしたこともないですし」


 ぶっきらぼうに言い、先を行く足を早めた。

 本当に解りやすい性格だ。だけど、彼の気持ちが解らないわけではない。


「学校のことだとか、そういう話をビアフランカ先生としてきたんじゃないんですか?」


「いや、実はまだそこまではいってなくて。俺が忘れてたこの世界の事とか、魔法のこととか……」


「記憶喪失ってそんな当たり前の事も忘れちゃうんですね」


 他の生徒達よりも大人びて見えるアプスは、少年ながら用心深い。

 昨日のことは謝ってくれたし誤解も解けたと思っていたのだが、もしかすると今もまだ俺の事を疑っているのだろうか。


 そう思っていると前を歩くアプスの方からため息が聞こえ、その後深呼吸をする音が聞こえた。


「先生。僕、改めて貴方に自己紹介をします」


 彼は俺に振り返り、体の正面を向けて背筋を伸ばした。


「自己紹介?」


「そうです。だって、マグ先生は僕の名前だってきちんと思い出せていないんでしょう?」


 真剣な彼に圧倒されて首肯すると、彼は自分の胸に手を当て、


「僕の名前はアプシスフィア・ホームランド。僕は、鍛冶師によってこの剣に宿らされた剣の精霊なんです」


 兵隊のようなしっかりとした体軸の一礼をして名乗った。

 身を真っ直ぐに直しながら、当てていた胸の手を背中の大剣へと回してそのまま自己紹介を続ける。


 食堂までの道でスーにアプスのことを尋ねたときに「背負っている剣の」とまでは聞かされ続きが聞けずに終わってしまっていた所が、アプス本人の名乗りによって明らかになった。


「……剣の精霊って?」


「はい。僕は、ホームランド領の町のとある鍛冶屋の工房で生まれました」


 俺が復唱するとアプスは身の上話を始めた。


「僕の剣を打った鍛冶師は町で一番の凄腕で、世界的にも有名な人でした。神事に使うモノや、国王の護身に使われるモノを打ったこともあるとても崇高な方で……僕の剣が生まれたときも、『お前はこれまでで最高傑作だ』と、気高い目をして言っていたのを覚えています……」


 そこまで一気に話すと懐かしそうに目を細め、足先を小屋の方向に向け直してゆっくりと歩き出した。

 彼の背中の剣に視線を当てたまま、俺も草原を歩いてついていく。


「アプスのその剣も何かに使う物だったのか?」


「……立派な鍛冶師が打ったんです。本来ならば何か大切な役目を持って生まれてきたかもしれませんが、僕は自分の剣が生まれた理由を知りません」


 物語調に語り、懐かしそうにしていたアプスの目がどうなったかは背中側のこちらでは見えないが、声を寂しげに落とした彼の表情は曇っているのだろう。

 少し歩幅を大きくして彼との距離を縮める。


「僕の今の目標は、自分のこの剣に見合う最強の剣士を見付けることです。それから……」


 だから。に続けてそう言った彼の肩が少し震えていることに気付く。

 前を歩くアプスにあと一歩で追い付き、あと二歩で真横に出られる。そんな所まで来て彼の顔を隣で覗くと、


「その最強の剣士に、僕の故郷を奪った奴を殺してもらうことです」


 彼の肩は見ている時には感じられない程震えていた。そっと手を当て触れて初めて気付いた。

 少年の小さな肩には重すぎる程の負の感情が、凝り固まって彼の双肩には張り付いている。

 彼が背負う重みは剣一本分の重みだけではないのだと、存在しない誰かに囁かれたような気分だ。


 アプスの戸惑いと悲しみと怒りが混ざって、自分でも困惑してしまっている力強くも果敢ない台詞と、話し始めた時から震えている肩から、彼の辛い想いが嫌というほど伝わってきた。


「マグ先生は亡くなる前までずっと……僕を相棒にしてくれる最強の剣士と、討ち果たすべき仇を一緒に探してくれていました」


 俺が無意識に肩に乗せていた手を拒まず、アプスは俺の手の上に自分の右手を重ねた。


「……僕の復讐、また手伝ってくれますよね? マグ先生」


 そしてこちらを見ながらそう言う彼に、俺は首を縦に振ることが暫く出来なかった。

 俺を見つめる彼の真剣な瞳は底の無い夜の海のように静かに揺れている。期待と憂いと羨望を込め、緩やかに光っているのに寂しげで悲しく、美しいのに恐ろしい。


 黙っていたら吸い込まれてしまいそうな暗い暗い瞳孔が、視界からの情報を塗り潰して脳を揺さぶる。


(アプスはそんなことを考えながら魔法を学んでるのか……? 俺はこの子に、マグとして頷いてやらなくちゃいけないのか……?)


 沈黙が続いた後、やがて二人で小屋の前に到着した。

 俺は結局、アプスの方から俺の手を退けてくれるまで何か言うことも頷くことも出来なかった。






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