03 自分ではない誰かの体
例えばよくあるおとぎ話のように、何かに引き寄せられてドアをくぐってここへ来たのか。
昔みた漫画のように、道路に飛び出した少年を事故から救って代わりに死んでしまい、ここに連れてこられたのか。
あるいは、閉じ込められて遠いところに連れ去られ、逃げ出たところがここだったのか。
肝心なところが思い出せない。
俺自身がどうやってここへ来たのかが。
確かに何かが起きて、何かのためにこの世界へきているはずなのに。
漠然としすぎていて何も出てこない。
最初から思い出そうとすると脳が軋む感覚が起きるのはこのことを考えるときに起きている。
だが、それ以上にすぐ解決すべき現状の問題は俺の今ある体のことだった。
「俺にも角があるのか……?!」
今まで自分自身の体だと思い気に留めていなかった姿を慌ててさぐる。
頭の左に手をあてたまま、テーブルの上の小さなコップを乱暴に引き寄せ自分の姿を映そうとしたが、氷が揺れてよく見えない。
「せ、先生、落ち着いて……!」
立ち上がる俺の慌てた様子に制止をかけようとするスーを横目に、俺は後ろの席の客のスープ皿を覗き込んだ。橙色の澄んだ液体の中に見覚えのない男の姿が映り込む。
「これが俺……?」
そこに映っていたのは確かに人間の姿だった。
平凡な顔つき、手入れは時々清潔感を保てる程度にといった適当な長さの薄茶色の髪。
この世界では一般的だとみてとれる飾り気のない服装。足先から手の指まで疑う余地もなく人の形をしている。
おさかな紳士のヒレ付き下半身でもなく、スーのような大きな尻尾や羽根も付いていない。
ただ一つ違ったのは、ずっと左手で触ったまま離せなくなっていた角の存在。
黒曜石のような反射をする禍々しい大きな角が頭の左側にだけ存在している。
異質な存在感をもって。
それは明らかに俺ではなかった。
俺自身の本当の体ではないことは最初にわかっている。
肝心な、俺が何者だったのかを思い出せない。
今の俺は、この体を俺自身のものだと思うしかない。
でも、何のために。
誰が俺をこの姿にしたのか。俺自身が選んだのか。
何も答えが出てこない。
「くそっ! なんだこれ! 俺は誰なんだよ……!!」
無意識に足が出、前方に座っていた客の椅子を蹴飛ばしてしまった。
「ひいっ! なんですか?! あなたは……!」
客の悲鳴でスープの水鏡に波紋が起き、映っていた男の姿が見えなくなる。
「何してるの先生! あ、あのっ、ごめんなさい!」
気付けば冷静でいられない俺の後ろでスーが代わりに謝罪してくれていた。
自分が何者なのか知りたかっただけ。
出掛かった言葉を飲み込んで、迷惑をかけた客に頭を下げた。
「先生、自分の顔見て驚いてるの……? やっぱり何だかおかしいよ。疲れてるんじゃない?」
「ごめん。そうじゃないんだ」
スーに手を引かれながら迷惑をかけた客に再度謝り、自分のテーブルに戻った直後。
頼んでいたデザートとコーヒーを犬頭のウェイターが運んで来てくれた。