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ロストスペル  作者: 海老飛りいと
第2章.魔法学校の教師
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34 セージュとジェイス


 ビアフランカの短い祷詞が済むと、子供たちは各々食事を始めた。

 皆の席には丸いパンが二つと野菜の欠片が浮いたスープが置いてあり、空のままのお皿には緑黄色が鮮やかなサラダを取分けたり、茹で玉子の剥き殻を乗せたりと好きなように使っている。


 いかにも朝ごはんといえるようなテーブルの上のラインナップを一通り眺め、この世界に来てからの二度目の食事……正確にはシグマの店では馬鹿高いコーヒーを一杯頂いただけなので、きちんとお腹に溜まるものを摂るのは初めてになるかもしれない。を、生徒たちと楽しもうと思い、俺も玉子に手を伸ばした。


 底を叩くとつるりと簡単に剥ける。殻を取って真っ白な肌を見せた玉子を半分口に入れ噛み切ると、甘い黄身が舌の上に雪崩れてきた。塩の加減もちょうど良い。素材がほとんどすべての茹で玉子の、シンプルながら満たされる味わいが広がる。


「……おいしい。良い具合の半熟だ」


「せんせはやわらかいのがすきです、でしたから、その……」


 俺の感動をその小さな耳で拾ったのか、向かいに座っていたセージュが嬉しそうにはにかんだ。

 控えめな性格の彼女も、俺よりマグを知る立場ではあるのだろう言葉を添えて。

 こんなに小さく儚げな少女もマグを慕い、彼から学んでいたのだろうか。


「覚えていてくれたんだね。セージュ」


「はい、です……っ」


 俺の宿主はつくづく罪な男かもしれない。そんな笑い話を自分の中で解決した。

 彼女はまだマグの中身が俺で、記憶喪失という設定でいることを知らないと言っていたスーの言葉を思い出し、笑顔を守るよう台詞を選んだのは正解だった。セージュと一緒に向き合って綻んだ表情を交わす。


「今日の当番はセージュだったのね。おいしいわ。良くできてる」


「ああ、味は悪くないぞ。口の中がチクチクジャリジャリするが、うまい」


 そのすぐ隣で彼女を優しく褒めるコズエと、玉子を殻ごと食しているディルバー。

 ナイフとフォークを使い上品に切り分けながら食べる前者と、手掴みで何でも一通りは齧ってみる後者との差は激しい。

 家柄や育ちのよさそうなコズエと、対照的に非文化的なディルバー。暴走しがちなスーよりも野性的な男がこの学校にはいたんだな。と、少し侮蔑を込めた笑いが出たのを、彼は見逃さなかったようで、


「おい、貴様。今オレを見て笑ったな? いや、コズエのおっぱいを見て笑ったのか? いやらしい奴め!」


「ちょっと、ディルバー。やめなさい」


 頬にパンくずを付けたまま俺を睨み付けてきた。続くのは彼の扱いに慣れて飽き飽きした顔のコズエ。彼の躾はあまり上手くいっていないのだろうか。少し諦めた様子でもある。


「そもそも貴様は誰だ? 新顔ではないか。オレへの挨拶はどうした? 新入りならばきちんと挨拶をするべきではないのか?」


 ディルバーの横暴な態度ときつい眼は一瞬、路地裏で出会った口汚い金髪の中年騎士を思わせたが、そのイメージはすぐに払拭された。

 威厳や迫力を最大限に損なう可愛い猫耳をピンと立てて言う姿は、路地裏の野良猫のそれに近い。喧嘩っ早く尊大そうに振る舞う態度も、自分が初めて触れる得体の知れないものと対話するためのものらしい。

 水槽の周りを半周して水面をおっかなびっくりパンチする子猫のようなディルバーが喚くと、俺の隣で薄切りハムを頬張っていたスーが笑った。


「ディルバーって面白いでしょ? 先生がいなくなってからうちに来たから何もわかってないの。本当はディルバーが一番新入りなんだけど」


「は、はぁ……」


 珍しくあだ名で呼んでいないのにはそういう理由があったからか。スーがひっそりと教えてくれて、俺も相槌を打つ。

 見掛けに全くついてきていない暮らし方は、動物年齢での換算が起こしているんだろうか。俺にはディルバーが益々、コズエに飼って貰っている猫にしか見えなくなってきた。


「自己紹介しろ、新入り!」


 曖昧に流したことに腹を立てた野良猫の背中毛ビンビン大将が声を荒げて鳴く。俺に掴み掛からんと勢いよく立ち上がるのだが、


「だからやめなさいってば、ディルバー」


「ディルバーさんぼうりょく、だめ…せんせにいたいことしちゃ、やです……」


「にゃにぃ?! 新入りがオレを無視するのが悪いのだぞ!」


 すかさず冷静なコズエの声と、上目使いのセージュに制され、舌を噛みながら俺を指差すディルバー。

黙っていると別の人物が横からもう一声、


「だめですよ、ディルバー。今は皆でご飯の時間ですから」


 ビアフランカの優しく、優しい、優しすぎる声にディルバーの肩がびくんと跳ねた。

 ビアフランカ御先生は相変わらずのマイペースさで笑顔を崩すことなく、諭すように透き通った声音で彼に続ける。


「それよりもほら、ジェイスが蒸かしてくれた美味しいお芋もまだたくさんありますよ。さぁ、召し上がって」

「び、ビアなんとか女史……」


 ブレックファストより短い人名すらろくすっぽ覚えておけない脳味噌の狭い猫人間が、怯えた表情で聖女に振り返る。

 何故だろうか。俺にはその顔が蛇に睨まれたカエルかヒヨコのように見えた。

 ディルバーは異様なまでに優しくするビアフランカを警戒するように恐る恐るテーブルに乗りだし、文字通り泥棒をするにゃんこの動きで蒸かした芋を一つ取り去る。


「き、きひゃま、女史に免じて許してやるが、次はないと思えよ。トンボが驚いたみたいな顔をしおってからに……」

「はは。それはどうも……」


 大袈裟な動作でリンゴを齧るように芋にかぶりつき、頬張りながら俺に唾と熱意を飛ばすディルバー。ビアフランカの前では借りてきたキャットの如くな従順さを見せる理由とは。

 端の席でにこにこ笑う同業者を横目に俺も苦笑いになる。


 しかしまた、どうしてこの世界の傲慢そうな住人はみな、俺のことをトンボに例えるのだろうか。

 路地裏で言われたトンボの代名詞を思い出しつつ、スープの水面に映るマグの顔に問い掛ける。マグはそこまでトンボに似てるわけではないと俺は思ってるけど、と。無論返事はなかった。


「朝ご飯は当番制なんだ。今日はせーちゃんとじぇっちんが作ってくれたけど、明日はえっちゃんとディルバーの番。その次は……、ボクと先生でやろっか」


 説明するスーの台詞に、直前のビアフランカと同じ人物であろう新しい名前が出てくると、その名前の少年がまた、セージュの後ろに現れて俺に手を振った。


「よーっす! おはような! 先生!」


 ツンツン頭の爽やかな少年は、いかにも兄貴肌といった雰囲気でセージュの肩を優しく叩く。


「俺が庭で育ててる野菜を、セーが元気にしてくれんだ! そんで、こんなにでっかい芋がとれたんだぜ。うまいだろ?」


 白い歯を見せながら笑う明朗なジェイスは、ディルバーとは異なる意味で語尾にビックリマークを多用するタイプらしい。

 ひたすらに明るい彼が自慢げに言うと、肩を揺すられたセージュも恥ずかしそうに俯き笑っている。

 二人の様子は兄と妹のようにも見えたが、それを言えばこの学校の全員が一家族の大兄弟のような集まりになるのだろう。


 賑やかな食卓は皆が食器を空にするまで、まだ暫く続きそうだ。

 楽しい時間に身を委ね、俺は彼らの名前と顔を一人一人よく見て覚えていこうと、改めて食堂の長いテーブルを見やった。


 俺の隣でパンを食むスーは角と尻尾と羽根が生えたドラゴンの少女。俺が気付いたら一緒にいた、初めて出会ったマグの教え子。

 マグのことが大好きで、彼に育てられた。彼女の母親は、恐らく夢に出てきた、マグに恋をしていた竜のファリー。


 ビアフランカの側で、笑い声の輪にまざらず静かに食事をとっているアプスは綺麗な服をきた少年。立派な大剣を背負っているが戦ったことがないらしい。とても真面目な性格であまり融通がきかない。

 昨日はスーとビアフランカと一緒に街へ買い出しに出ていたと教えてくれた。


 二つ結びにした紅髪に白いリボンの栄えるコズエは家柄の良さそうな少女で、その隣で幼児のように口の周りにおべんとうをつけている猫耳男が彼女の遣い魔、ディルバー。コズエはともかくディルバーはマグのことを知らないらしい。


 セージュは気弱そうな幼い少女で、植物の成長を助ける魔法を先天的に扱えるらしい。彼女自身の髪の先や服にも葉の形を模した装飾がある。最年少だが、本日の料理当番をこなしたしっかりものだ。


 セージュと共に今日の朝ご飯担当だったのが爽やか少年のジェイス。小さなことは気にしないのか、マグである俺が記憶喪失になっているとスーに聞かされても呑気に笑っていた。健康そうな男児で、ビアフランカに許可をもらい学校の庭を菜園にして土いじりをしていると話していた。


 以上がマグとビアフランカの教え子たち。

 たった数名だが、魔法学校の生徒たち全員だ。






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