01 海辺のレストランにて
青い空と蒼い海。
碧の波と白の飛沫が寄せては返す浜辺を見下ろす、港に面したレンガの街。
海辺を上がって砂浜を過りすぐに位置する、三階建てのお洒落なカフェレストラン。
此処が俺の現在地。
人々がごちそうを前に談笑するテラスの上、手摺りの向こうには古い西洋風の建物が幾重にも重なってずっと向こうの果てまで続いている。
ぼうっと景色を眺めながら、これまでのことを思い返そうとすると頭の中が小さく軋んだ。
「……先生? だいじょうぶ? さっきから変だよ? お腹いたいの?」
俺は自分の対側に少女がいたことをすっかり忘れていた。ハッとする。
視線を合わせ、近づいた顔に向き合う。
「まぁ、しょうがないか。何も思い出せないんだもんね……」
心配そうに俺を覗いていた顔が、今度は困ったように眉を下げ離れる。
少女は、自分の尾を邪魔くさそうに横に垂らし椅子を引いて座り席につき直した。
────尾。
そう表現したとおり少女には尾があった。
犬猫のような愛玩動物とは違った、硬い鱗が生える大きな尖ったもの。
彼女のしなやかで儚い体躯に不似合いな白いトカゲの尻尾は、信じがたいが紛れもなく彼女の一部である。
彼女が立ち上がってこちらに身を乗り出してもついてくるし、今のように座っても横に避けさせる動作が必要になる。
少女の身体的特徴はそれだけではなく、絹糸のような白く柔らかい髪の後ろから頬の横にはこれもまたアクセサリーとしては異様な、牛か山羊が持つような角が生えていた。
食事の前に妨げにならないようにと髪を束ねる。
腰まであった長い髪が持ち上げられ、今度は腰の位置に蝙蝠のような黒い羽根が見えた。
尾よりは邪魔になるようなものでもなく、細い体のラインに沿うように付いている。
尾に角、羽根。
彼女の体の異質な雰囲気を見ると、改めて彼女が普通の女の子ではないことを感じさせられ、
「ごめんな。ストランジェット……」
意図せず怯んだような声で小さな返事を漏らす。
「いいのいいの! これからボクが思い出させてあげるから」
無邪気な声で俺を励ます少女。
ストランジェットはついさっき聞いた彼女の名前。
何がなんだかわからないまま彼女に連れられて来て、
(いや、連れて来られたんだろうか……? 俺は最初からここにいた……?)
彼女の身体や周りの景色を観察することに頭を使いっぱなしだったからか、ようやっとその名前を口に出して呼べた。
すると彼女は紫の大きな瞳を輝かせてうんうん頷き、目の前に置かれたメニュー表を掴んで聞いた。
「それよりさ、本当に何を食べてもいいの?」
「ああ。勿論だよ。せっかく再会したんだから、お祝い? だね」
「えへへ、ありがとう先生。あと、ボクのことはスーでいいよ。前みたいにさ」
彼女、スーの頷きに促されるように俺も頷く。
体についた尾や角の不思議なパーツはともかく、笑顔はかわいい。
よく見なければまだ十代の初めか半ばかそのくらいのただの少女。
だからこそ俺は目の前の彼女を警戒せざるを得なかった。
とにかく、人間としては体の作りが難解なのだ。
しかし、所作は年頃の少女そのものであって、自分が警戒しているのに対し、スーは何ひとつこちらを疑ってはこない。それどころか俺のことを「先生」などと呼び、ずっと心配してくれている。
俺は一つずつ、彼女との対話で得られる情報を頼りに会話を進めていくしかない。
自分のことを思い出そうとすれば頭が軋むように痛くなるし、おそらくスーは俺よりも俺のことを知っているはずだ。
「それじゃあボクはフルーツののったこのパンケーキがいいなぁ。三段重ねのアイス付き! 先生は? コーヒーでいいの?」
「うん。俺はコーヒーでいいや」
メニュー表の文字の羅列を指さしてこちらに見せるスーに相槌を打つ。
何が書いてあるかまでは頭に入ってこなかったが、我ながらスムーズに会話できている気がする。
と、そのタイミングでスーの頭の上に疑問符が浮かんだ。
「うん? 俺……? 先生って自分のこと、俺って言ってたんだっけ?」
しまった。そう思った瞬間、頭がぐらつくような感覚が来た。
首の後ろが冷やっとして。
「記憶喪失って大変だね。自分の一人称もわかんなくなっちゃうのか……。まぁいいや。先生は、ミルクはいっぱいでお砂糖は少なめだったよね。すみませーん、注文いいですかー?」
スーが純粋で助かった。
間髪入るか入らないかすぐに次の自己解釈。
一人納得した彼女はウェイターを呼んだ。
想像していたとおり、彼女は俺のことを俺よりも遥かに知っているという確信に繋がる気遣いを添えて。
数ある素敵な作品の中からお目にとめて頂きありがとうございます
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2022.6.22 追記