8日目、秋下旬8
死という現実が近づいてくるにつれ恐怖心が増していく。私は前にも書いたかもしれないが死にたいわけではない。ただこれ以上生きるのはもっと辛いというだけである。
私は、自己分析力はかなりある方だと自負している。ゆえに自己嫌悪に陥りやすい。もし私と似たようなタイプの人がいるなら今すぐに自己分析を辞めることをオススメする。私みたいに死にたくなるだけだ。
私はいわゆるメンヘラである。そのため承認欲求が強い。ただ私はメンヘラの自覚があり、そのことに負い目を感じているので承認欲求を前に出す事はほぼほぼしない。これが悪循環であった。認められたいが、認めてくれと口に出すことを阻むし、むしろ認めないでくれと立ち振る舞ってしまうので無論誰からも認められることはない。
私からすればそんな人生楽しいわけないのだ。しかしこういう生き方が定着してしまっているためどうやって他人から認めてもらうかの方法がわからないのだ。自分と能力は同じくらいの人間が周りにいて、彼らはそれなりに認められているが、私はというと諦められているのだ。
結局のところ人間関係の構築が下手なのである。下手なのに認められたがるのだ。もう詰んでるとしか言いようがあるまい。
言い方を変えれば、自分頑張っててそれを他者には見せないけど他者は私のことを認めて褒めてね、ということである。
身勝手の極意である。
私は根っこは陰気臭い生真面目な性格だが、それをコンプレックスに感じている節があり、他者とのコミュニケーションの場ではおちゃらけた道化師を演じるのだ。
ストレスが溜まらないわけがない。
陰気臭い人間は陰気臭く、身の丈に合った生き方をすべきだったのだ。
散々自分のことを卑下してきたがもちろん他人への不満もたくさんある。死を覚悟したとはいえ私も人間である。その日の気分もあるし、体調に左右されるときもある。無論他人へ抱く感情も並みにあるのだ。
自殺を決意したのもそういった他者への不満、人間関係の拗らせたによるものだった。とはいえそれはあくまで引き金であり、結局のところ自分に失望したからではあるのだが。
しかしそれも今となってはどうでもいいことだ。私が死んだとき自分のせいだと勝手に落ち込んでくれればそれでいい。
今日は長々と書いた気がするが、実は決行日は明日なのだ。一応明日も日記をつけるつもりではいる。
もう覚悟はできているし、むしろためらう自信がない。月に叢雲花に風、今順調にきているので何か邪魔が入らないことだけが心配である。