5日目、秋下旬5
他人というのはなぜあんなにも鬱陶しく、落ち着くものなのだろうか。話しかけられたらうざったく思うが、話しかけられないとどこか寂しく感じてしまう。私だけなのだろうか。
さて、この世に未練がないかと聞かれたら、私は即座に否定する。
私にはやりたいことがたくさんあるし、続きが気になっている漫画やドラマなんかもたくさんある。しかし、それらを天秤にかけた上で私は死を選ぶ。元より心の底から熱中するものなんてないので、気になっているとはいえ、知らないなら知らないでそれでもいいのだ。
しかし、一つだけどうしても知りたいことがある。それは私が死んだ後の人々の反応である。所詮私程度の人間の死を憂いてくれるのは親族や親しかった友人数名程だろうと思う。それに親族はおいといて、友人らはそれほど悲しまないだろうと思っている。しかし私も馬鹿なので、少しばかりは悲しんでくれるのでは、という感情を抱いている。そのため私は私が死んだ後の人々の反応が気になるのだ。
少々自分語りになるのだが、私は人から嫌われないよう「努力」してきた。どうにも私には人から好かれる能力が1ミリ足りとも備わっていなかったようなので、私は他人とのコミュニケーションを勉強し、どうすれば好かれるかを研究した。
しかし、私は私であって、根幹を変えることができないので、他人とコミュニケーションを取っているとき、本来の私が顔を覗かせるときがある。
そうなるとお終いである。他人から距離を取られ、私はすぐにそのことに気づくので追いかけもしない。
気づけば孤独である。
嫌われる人とは、自分の考えを押し付け、認められないと文句をいい、人の悪口ばかり言って自分では何もしない人のことらしい。先日知った。まんま私なのだ。努力することを怠り、そのくせ他人からは認めてもらいたく自分の考えを口にする。しかし何もしようとはしないのだ。
これに気づいたとき改めて自殺の覚悟をした。
人間の根幹は、絶対に変えられないのだ。