3日目、秋下旬3
無為に生きる人間とは存外多いようで少ないものだ。私の友人や知人を見ていると何も考えていないようで、先のことを考え、資格を取ったりしている。無論私は無為に生きている。来ることのない未来に備えて生きる必要なんてないからだ。
さて、私は努力が憎い。答えは簡単である。努力というのは「やるべきことをやっていない者が行う行為」であると考えているからだ。例えば、電車が好きで好きでどうして仕事にしたい、そのために勉強しよう。というのは努力と言えない。これはただ自分の目標のためにやるべきことをやっているだけなのだ。
ならば努力とはなんなのか。ただ漠然とあの大学に行きたい、幸せに生きるために大きな会社に入りたい、じゃあそのために勉強するか。というのが努力である。明確でない目標に向かってただ無計画に突っ走る。これが私の努力の定義だ。
では好きなことを仕事にしようとすればいいではないか。残念だが私にこれといって好きなことがない。なぜならどの分野においても私は才能がなく、平均未満の結果しか出せないからである。下手の横好きという言葉があるが、私は他人から評価されることによって自尊心が満たされるタイプの人間なので、下手でも好きなんだ!という感情にはなれない。
何やっても平均以下。私は自尊心が高く、偏屈なプライドを持っているので平均以下の結果しか出ないような事柄には一切手を出さない。面白くないというのもあるが一番は恥ずかしいからである。
こんな性格やはり社会に適していないのだ。
と、今日はやけに書き殴る形になってしまった。最近やたらと眠い。疲れなのかやる気がないからなのか。
カフカの言葉でこんな言葉がある、
将来に向かって歩くことはできないがつまずくことはできる。さらにそのまま倒れたままでいることが一番得意だ。なんとも今の私らしい言葉なのだろうか。