#002.奴隷のいる世界 「運命の少女と出会った。狼牙族の少女はもふもふだった」
通りと通りが交差する角にある、一つの店に目がとまった。
ショーウィンドウのかわりに、金属の格子が目立つ店だった。
道に向かって、内側の見える小部屋がいくつも面している。そのそれぞれに、一人ずつ人が入って座っている。
筋骨逞しい男性もいれば、見目麗しい女性もいる。
皆、粗末な身なりをしていて、首に首輪があって――つまりは、奴隷だ。
なんと、奴隷店が大通りで営業していた……。
やはりこの世界では、あたりまえのように奴隷が売られているのだった。
格子のところには値札も貼られているようだ。
それを見て、不謹慎にも、ペットショップを連想してしまった。
いや……。同じなのかな。この世界では。
奴隷店に、もうすこし近づいて見てみると、張られている値札がよく見えるようになった。
いろいろ書かれている。
ペットショップだったら、たとえば、「ポメラニアン・♀・6ヶ月。予防接種三種済み。8万円」――とかあるわけで、それと似たようなことが書かれているに違いない。
奴隷ならその他に、職やレベルやスキルや特技なんかのデータもあるはずだ。
当然、読めない。
なんとか見当が付くのは、値段ぐらい。
数字らしき文字は見当がつくが、いくつも並んでいる同じ数字が「0」なのだろうということぐらいしかわからない。
ゼロが5個は並んでいるので、奴隷というものは、10万ギル単位で売り買いされるものらしい。
10万ギル=1000万円か。
うっわ。高っか。
まあ……。人がそんなに安く売られていたら、それはそれでショックなんだけど。
――と、張り出されている値札を眺めていたら、一人だけ、ゼロの数が他より一つ少ないものがあった。
ゼロが4個だから、1万の桁。1万ギルなのか、2万ギルなのか、3万ギルなのか、それはわからないけど。
いったいどんな――。なんでそれだけ安いのか――。
と、値札から目線を下ろしたときだった。
白い髪と、青い目とが、目に飛びこんできた。
綺麗な娘だった。犬耳がある。髪が長くて……、背中の上のほうだけ髪と一体化した毛皮になっているみたい。
手足はなめらかで、毛皮はなく、人間――ヒュースと、変わりがない。
おっぱいが大きい。細身なのに胸だけは例外的に豊かだ。
目を見開いて、その娘のことを、じいっと見つめていた。
彼女はクールな表情で遠くを見ていたが、やがてこちらの視線に気がついて――。
はっと目を見開いて、こちらを見る。
おたがいの目の中に、おたがいしか映っていなかった。
どれくらいのあいだ、見つめ合っていただろう。
ピコン――と、どこかで音が鳴った。
《スキル『ヨメクル』が発動しました》
《スキル『ヨメクル』が役目を終えて分解されます》
《スキル『ヨメクル』が還元されました。スキルポイントを獲得しました》
涼やかな声がなんか言ってる。脳内に響く。
なに言ってるのかわからないが、そんなことはまったく気にならなかった。
目の前の女の子に、視線がロックオンして離れない。
ここにいたんだ。ようやく出会えた。――なんていう満ち足りた気分だった。
向こうもそう思ってくれているに違いない。そう確信した。
「おやお客様。お目が高い」
奴隷商人なのだろう。店の店主が俺に話しかけてきた。
「あ、あの……、か、彼女は……」
「3万ギルでございます」
値段を聞いたつもりではなかったのだけど、まあ、奴隷店で客が聞くとしたら、まず値段と受け取られるだろう。
「この奴隷は狼牙族です。お客様。狼牙族に関しては御存知で?」
「いえ……」
首を横に振る。知るはずもない。
商人の話を聞きながらも、ちらちらと横目で彼女のほうを見る。彼女も俺をじっと見つめている。
本当ならずっと見つめ合っていたい。
「狼牙族はたいへん優れた身体能力を持つ種族です。スピード、パワー、体力、どれを取ってもヒュースの比ではありません。戦闘奴隷としても、大変に人気が高いのですが……」
商人は、そこで言葉を区切って、その先を続ける。
「ですが、ただひとつ難があると申しましょうか……」
「どんなことでしょう?」
俺はそう聞いた。
「主人を選ぶのです。自分の認めた相手にしか仕えようとしません」
彼女はじっと俺を見ている。
狼牙族だったか。狼と同じで気高い気質なのだろうか。
「3万ギルという値段も、じつは処分価格でして。本来なら10万ギルは下らない奴隷です。これまで何度か売買契約が成立しまして、新しい主人のもとに引き取られていったのですが、すぐに返品されてきまして……」
「返品?」
俺は彼女を見る。彼女はふるふると細い顎を横に振って返してきた。
なにを訴えたいのかはわからないが、とにかく、可愛い……。
「言うことを聞かないのですよ。主人の」
「聞かない?」
「ええ。もちろん奴隷ですから、不服従をすれば契約首輪が締まります」
「締まるって……」
「はい。諦めて服従すれば首輪は元にもどりますが、そのまま不服従を続ければ、首輪は絞まり続け、最悪、死に至ります」
「死ぬって……」
「買い上げたお客様も、そこまでの罰を与えるつもりはなかったようで……。それで返品されてきました。何回も」
「何回も、ですか」
俺は彼女を見た。彼女はふるふると首を振ってきている。
「話してもいいぞ。こちらのご主人に買ってもらうよう、アピールするんだ」
「ご主人様は、違います」
綺麗な声だった。
ひたむきな目で、俺を見る。
「おお。はじめて主人を認めました。お客様! これは運命の出会いというやつですよ!」
運命の出会い……。
駄天使が言っていたっけ。
この世界に、運命の相手が待ってくれているって……。
そういえばさっき、システムメッセージとか天の声とか、そんな不思議な声が脳内に響いていた。スキル『ヨメクル』がどうだとか。
運命の相手というものは、逢えば――一目見れば、そうとわかる相手なのだと思う。
だとしたら、彼女がそうだった。
そして彼女の瞳が言っている。彼女にとってもそうであるのだと。
「ご主人様、お願いします」
彼女は床に正座をすると、体を折るようにして深く頭を下げた。
三つ指をついて、礼をしてくる。
「あの、彼女をここから出すには、どうすれば……」
「ご購入いただけるなら、当店としても助かります」
「ええと――。これで足りますか」
革袋を出す。広げて中を見せる。
商人は困ったような顔になった。
「お客様……、いささか足りないようです。大銀貨が5……、6枚ほどですから、それではせいぜい6000ギルか7000ギル。多少はお値引きすることは可能ですが、しかし、7000ギルでは……」
ああ。やっぱり。
大銀貨は1000ギルだったか。
「わかりました! お金を用意してきます! かならず用意してきます! ですからそれまで、彼女を売らないでおいてほしいんですけど!」
「売れませんよ」
商人は、肩をすくめて、そう言った。
俺はつぎに格子に飛びつき、彼女を見つめた。
「必ず戻ってくる! 君をここから出す!」
「信じます」
静かに、強く、彼女はそう言った。
俺は背中を向けて、走った。
どこへ行くという明確な目的はなかったが、とにかく、走った。