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わかりきった結末  作者: 早雲
第一部
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無職と仕事

Q1.私の仕事は何か。


 そう訊かれても困る。非常に困る。いや、無職というわけではない。むしろ無職であるならその旨を伝えればよいのだから困りはしない。無就業者というにはあまりに働きすぎている。強いて言うなら探偵というところだろうか。


 ちなみに求人誌に広告を出すとすればこんな感じだ。


労働形態:委任契約(前払い+成功報酬)

給与:高くはない

従業員:なし(非合法で少女が働いている)

業務内容:”異分子”の発見、監視、生体データの取得もしくは制圧


 業務内容の欄にやたら物騒な言葉が並ぶことになる。


Q2.異分子とは何か?


 それを説明するにはちょっとしたサイエンスと社会制度の話をしなければならない。

では、サイエンスにちなんで、自然科学と社会科学の間の質問をしよう。


Q3.他人の次の行動を正確に当てられるか?


 おそらく難しいとあなたは言うのではないか。


 多くの研究者も、かつてはそのように考えてきた。


 前世紀から、人の特徴、心理状態を調査し、統計学的な処理により実際の行動を予測する試みは行われてきた。私も学生時代にはこの学問に傾倒していた。しかし、机上ではうまくいく理論も実生活で役に立つことはほとんどなく、学問と実社会のギャップを感じたものだ。


 とはいえ私が大学を卒業する頃には事情が大きく変わってきた。functional MRIによる脳の血流の把握や脳波の測定による行動や心理状態のデータがどんどん積み重ってきて、どこかの頭の良い人が行動心理学と脳科学を組み合わせた。神経心理学と呼ばれる学問は一部の臨床現場に限られてはいたが、正確に人の行動を予測しだした。


 しかしここまでだったらさほど驚くに値しない。なぜなら研究で得られるデータはあくまでボランティアの人たちのデータであり、そしてそのボランティアたちだって、普段の生活すべてを晒しているわけではないからだ。つまり大多数の普通の人の行動を予測するには多くの課題を抱えていたのだ。


 皆さんならこの研究を進めるとしたらどうするだろうか。もしかしたら地道に今までのような手法をとるかもしれないし、実際の行動をより忠実に再現できるような実験方法を作るかもしれない。もしくは歴史や文化などの異なるアプローチをとるかもしれない。だが一部の研究者はもっと簡単な方法を用いた。


 “監視”だ。


 各国で国民の承諾を得ずに政府が自国民を監視していることはすでに公の事実となりつつあるが、研究者たちはこのデータを用いて、実験のサンプル数を莫大な数にした。普通の人たちの、普段の生活。通信の高速化、カメラのコストダウンなどの監視に必要な技術が“安く・早く”なることで、政府はごく自然に自国民の監視に成功した。


 そして安くなったのはこれらの電子的なデバイスだけではない。DNA塩基配列決定も同様にコストが下がった。遺伝子はヒトの行動決定に大きく影響している。単純な例だったら、お腹がすいたらごはんを食べる、などだが実は政治的志向ですら遺伝子の影響がつよくあらわれる。そして当然のごとく、政府は各個人のDNA塩基配列のデータをとることができた。健康診断、予防接種などで血液を手に入れるのは造作もない。


 脳科学、行動心理学、莫大な個人の監視データ、その個人のDNAのデータ。これらが組み合わさった。理論上は個人がどのような行動をとるかの予測が可能となった。しかし、まだ一つ足りないものがあった。これらの膨大なデータを処理するには、人の脳はあまりに非力すぎたのだ。そして最後のダメ押し。


 AIのブレイクスルーだ。ディープラーニングによる特徴量の抽出。入力と出力で同じ情報を大量に与えられたAIは瞬く間に“人の心”を学習していった。


Q3.他人の次の行動を正確に当てられるか?

A3.yes.


 今私が説明したことは、ほとんどの人間が知らない。これらの研究結果はもちろん論文として公開されている。しかし誰もここから導き出される行動予測と管理社会が実装されていることを知らない。


 そう、すでに政府は高精度行動予測システムを実装しているのだ。


 それが、私が”インフラ”と呼んでいた代物だ。


 理論上は可能だろうということと、すでに運用されているということは天と地ほどもある。しかし政府はこれらの機構が運用されていることを決して公開しないだろう。なぜなら、機構を構成した技術は一つ一つが思いっきりプライバシーを侵害しているからだ。


 なぜ、自国民の権利を侵してまで、政府はそのようなシステムを運用するのだろうか。


 簡単だ。金になる。


 経済予測モデルを基にして、国の財政は運用される。公共事業にやたらめったら金を使うのは、大昔のケインズという学者が打ち出した理論を基にしているのだ。しかし経済モデルは耐久期間が存在する。新しい社会制度やテクノロジーになじまなくなってくるのだ。そんな中でもしも、人の消費を含む行動をかなりの高精度で予測できるようになったら?


 そんなこんなで、かつて大赤字だったこの国は再び経済大国になっている。


 プライバシーの搾取について、超情報社会において当然の成り行きという人もいるだろう。もしかしたら多くの人はそう思うかも知れない。エドワード・スノーデンが公開した米国の自国民の監視のニュースだって、この国の国民は素通りしてきたのだ。


 だが、政府はシステムの存在というカードを、たとえ力と自意識のない国民であったとしても、握られるわけにはいかなかった。


 なぜなら”インフラ”には弱点があるから。


 一つ目は情報不足による予測精度の低下。データが不足していれば、当然ながら正確に予測はできない。


 そして二つ目。”インフラ”の存在の周知による予測精度の低下。


 人の心は二次のカオス。つまり、”インフラ”は存在を知られると有効に働かなくなる。もしもあなたが”インフラ”の存在を知っていれば、あなたは”インフラ”の予測した行動をとらないだろう。誰だって自分の行動を予測されるのは嫌なものだ。それが自国民のプライバシーを奪っている政府によるものならなおさら。


Q2.異分子とは何か?

A2.”インフラ”による行動予測ができない者。


 異分子の存在は“インフラ”が行う行動予測に大きな負の影響を与える。この前の高校教師は、自分の情報を無意識的に隠してしまい、”インフラ”による行動予測と実際の行動に大きな誤差が出た。このように異分子の多くは自分を異分子と自覚していない。善良なる市民といってもよい。


 では、最初の質問の答えだ。


Q1.私の仕事は何か。

A1.私の仕事は、①異分子たちの基礎データから行動予測を修正し、②生体情報と位置情報の検知器を埋め込み、③依頼主にそれらの情報を提供すること。


 そして依頼主は政府


 ①の仕事ができるのは、もともと私が神経経済学に精通していたからという事情がある。この”インフラ”を構築している学問の一つ、神経心理学に近い学問だ。


 ①の仕事は”インフラ”のトラブルシューティングといえる。人工知能が導き出せない行動予測を、アプローチを変え私が導き出す。このような専門的な課題解決型の仕事は、未だに人間のほうが精度は高い。


 仕事内容は分かった。では私の仕事の意義は何だろうか。


 それを端的に言うと次のような言葉が浮かぶ。


 経済的秩序のため。


 だからできるだけ、仕事のことは言いたくない。


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