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わかりきった結末  作者: 早雲
第四部
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「みんな幸せになりたいがゆえに生まれて、生きているはずなのになぜこのような惨劇が起こるのでしょう。先生」


 殺風景が広がっている。


 少女は私の教え子で、私は少女の先生だから、質問には答えなければならない。


「わからない」


 積み重なった元、生命たち。その体に集めていた化学反応群。可逆性のものが消えて不可逆性の反応だけ進行する。ゆえに生命のサイクルは停止する。カスペルの法則によれば、地上での死体の腐敗速度は速いそうだから、彼らの命の残滓も長くさらされることはないだろう。


 少女はいう。


「先生。私は今まで信じてきました。何をと聞かれると兎に角、答えづらいものですけれど、それでも何かを信じてきました。それでも今見ている眺めを知ってしまって、信じていたものが音を立てて崩れていくような気がしています」


 私はその何かを知っているように思った。人類が持っている本能を、醜く下衆な習性を覆い隠すのに絶対必要なものだ。人が人たるために最優先にしなければいけないものだ。それでも今眼前に広がることを確認した後で、口にするにはあまりに心もとない言葉。


「……」


 言うべき言葉は持ち合わせている。出し惜しみをしているわけではない。伝えるべき言葉を持っているのだから、それを伝えるのは私の役割だ。


 しかし、私は自分でこうも言った。生存だけが、我々生物の最優先だ、と。そんな私からでる言葉が説得力を持つだろうか?本当は理念と行動の連続を以ってしめすべき言葉だ。きっと、私では伝えることができないだろう。


 生徒たる少女に道を示す役割を課されているにもかかわらず、私には何も言えなかった。少女は抑揚のない声で、こういった。


「微塵の救いもございません」


 彼女の表情を見た。そこに私は何かを見つけようとして、やめた。


 私は無言で彼女の手を取って、その場を離れることにした。


 その戦場を。



 陸軍の野営地だったこの公園は、しかしすでに、軍人は一人もいなくなっていた。少なくとも生きている者たちは、この場所を引き上げたらしい。ここに残っているのは死人たちと、我々だけだ。


 公園の敷地内には、何台もの軍用の車両が乗り捨てられていた。おそらく、陸軍の人間たちは装備や武器を回収しているはずだから、この車両はエイロネイアの連中が乗っていたものだろう。


 私は少女の手を引いて、その車両に近づく。誰かがいる気配はないが、用心に越したことはない。


 だが、そんな用心は杞憂だった。中を覗くとよく整備された綺麗な車内が見えた。戦闘の道具のはずだが、そこはそんな凄惨な場所とは無縁に見えた。早くこの中に入って、ここから逃げなければならない。


 私は少女を見た。彼女の表情に如何なる色も浮かべていないように思えた。だが、私には彼女が泣いているように思えた。彼女は声も出さずに、顔にも出さずに、泣いているのかもしれなかった。


「アイ、この中に入って。ここから逃げよう」


 私はそう言ったが、少女は動かなかった。


「先生……」


 彼女の左手に赤いものが見えた。近づいて彼女の左腕をとる。中指の爪が剥がれかけ、血が滲んでいた。親指に爪と同じような跡の血がついていたので、彼女が自分の中指の爪を親指を使って剥がそうとしていることがわかった。


 私は彼女の手を押さえて、思わず怒鳴るように言った。 


「やめなさい!」


 私に掴まれた左手を振り解こうとして、それができないとわかると彼女は右手で自分の顔を覆った。


「やだ…こんなの、やだ…」


 私はいつも彼女が綺麗な言葉を使うから、彼女が子供だと言うことを忘れがちだった。だけれど、彼女はまだ子供だった。


 彼女は小さな子供みたいに、大粒の涙をこぼした。


「どうしてなの、やだよ、こんなの」


 大声で泣く彼女の左手を、思わず私は離してしまった。こんな少女を私は見たことが無かった。


「どうしてみんな、みんな、正しくないの、誰も幸せになりたくないの。こんなこと、誰が望んだの。誰が望んだって言うの?」


 きっと、これは友人と私の罪だ。だけれど、私たちはこんな事を望みはしなかった。決して、誰かを不幸にしたいわけではなかった。


「みんなわたしからとっていってしまうんだ。大切なもの全部とっていくんだ!そうでなかったら、こんなことは起こらない、お父さんはまだここにいて、お父さんの技術で誰かが不幸になることなんてないんだ!誰も死ななくて済むんだ!」


 誰が彼女から、大切なものを奪っているのだろう。この国の政府だろうか。対網だろうか。ウサミだろうか。コウヅキだろうか。それとも、私だろうか。


「先生、どうして黙っているの?わたし、こんなのやだよ。先生、本当はわかっているでしょう?こんなの、間違ってるって、わかっているんでしょう?」


 彼女の涙は止まなかった。

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