襲撃
指令室から出た後、私はすぐにテントの外のベンチに座っている少女を見つけた。彼女は私の慌てた様子を見て、首をかしげながら言った。
「先生、どうされましたか?」
少し落ち着きを取り戻そうと深呼吸した後、私は言った。
「この野営地の見張りの連絡が途切れているようだ。それにさっき銃声のような音がしなかったか?」
「え?あれは銃声なのですか?」
私は肯首した。警察省にいた頃、私は技術者ではあったが、全職員に必要なカリキュラムとして射撃の訓練を受けていた。だが、そう言った経験がない少女が銃声と分からなかったのも無理はない。実銃の使用は年々規制されて、誰かが発砲の様子を動画やホロデータとして共有することは無くなってきている。それに映画やゲームでも銃の発砲シーンはあるが、往々にしてフィクションと現実は異なる。
私は自分の声を落ち着かせた。
「安全を確保しなければ」
「ここから移動するのですか?」
少し考えて、私は首を振った。
「いや、非常事態宣言で移動手段は制限されている。現状ではこの野営地がまだマシかもしれない。このエリア内で身を隠せそうな場所を探そう」
私がそう言った時、私たちが話している場所のすぐ隣を迷彩を着た若い兵士たちが通り過ぎた。彼らはライフルを構えて、公園の入り口方面に向かっている。
「先生……」
少女が私を見上げた。不安そうな表情をしている。私も内心不安ではあったが、こういう時に意地を張るのが大人だろうと思った。彼女の手を取り言う。
「大丈夫だ、まずは司令室に戻って、情報を教えてもらおう」
◯
指令室には、先程話をした指揮官に加えて、二人の兵士が卓を囲んでいた。二人とも背が高く、一人は少し腹が出ているがガタイ良く、もう一人はどちらかといえば痩せて筋肉質な男だった。彼らの振る舞いを見るに、各現場の部隊長だろう。真剣な顔で何かを議論していた。
私がテントに入ってくるのを見ると、指揮官が声をかけた。
「どうかなされましたか?」
やや険のある言い方だ。確かに作戦会議中の軍人が外来者を歓迎する訳はない。私は意を決して言った。
「今、銃声のような音が聞こえました。状況を教えてもらえませんか」
指揮官の彼は眉を顰めた。
「申し訳ないのですが、部外者に作戦行動の情報については教えられません」
軍人としては真っ当な判断だ。機密の取り扱いを間違えれば軍法会議もあり得る。
「ですが……」
私は継ぐべき言葉を無くしてしまった。先ほどの銃声が私を冷静じゃなくさせている。私は考えあぐねた結果、そのまま会釈してテントを出た。
外には少女が待っていたが、様子がおかしかった。呆然として、先程軍服の一団が向かった先を見つめている。
「どうした?」
私が声をかけると、彼女は怯えた表情でこちらを向いた。
「せ…先生がテントに入った後に、また兵士の方達がここを通って……無線で、話してました……死傷者が出ているって」
「何?」
「それに、さっきから、空が急に明るくなって……もしかしたら、ここに彼らが攻め込んできているかも……」
私は彼女の手を取って走り出した。何処でもいい、隠れられる場所がないだろうか。テントでもクルマでもほったて小屋でも何でもいい。
百メートルほど走って、近くに公衆トイレがあることに気がついた。多少不衛生だが、仕方がない。
私は少女を見た。まだ彼女は怯えた様子だった。
「あの公衆トイレに逃げ込もう。なんとかやり過ごせるはずだ」
「あの、先生」
「どうした?」
「うしろ……また光が」
私は後ろを見やった。少女の言う通り一瞬だけだが、強力なライトを目一杯あてた様な、真っ白な光で周りが照らされた。おそらく、火炎放射器を使っているのだろう。その光に続いて、澄んだような、しかしやけに耳に残る音が届いた。
乾いた爆竹のような音が沢山鳴っている。遠くの方で何かが倒れるのが見えた。人のようなものだった。
私は再び少女の手を取って、公衆トイレに逃げ込んだ。反射的に男子用を選らんでしまったが、こんな時に気にすることではなかっただろう。古びた個室のドアを開ける。洋式の便座で、意外にも綺麗に保たれていた。そこは我々二人が隠れるには些か狭かった。
個室のドアを慎重に閉める。まだ誰もこのたありには来ていないだろうが、用心しなければならない。
私と少女は向かい合って立っていた。私たちはお互い目を合わせた。少女の吐息が聞こえた。それに混じって、遠くの銃声も聞こえた。
段々と、彼女の吐息が聞こえないくらい、外の音が大きくなっていった。こんな近くにいながら、お互いの生体反応もわからない。我々の存在をかき消すような戦闘音が鳴っていた。それなのに、目に入る情報は少女の姿形だけだった。
嵐が続いていた。私たちは外に出られない。そうだ、外に出れば危ない。うっかり増水した川にでも落ちれば大変だ。他の人が心配?大丈夫、みんなこんな日は家で大人しくしているものだよ。きっと安全だ。
もちろん、現実にはそうではなかった。嵐のような騒がしい音は、人間が他の人間を撃ったり、燃やしたりしている音なのだ。当たり前だが殺し合いの最中にいる彼らは安全ではない。
私は少女から目を離せず、彼女もまた私から視線を外せないようだった。恐怖のせいかもしれない、と私は自分に言い聞かせた。今この瞬間は恐怖を感じるのが、適正なはずだ。それなのに、いま、私は、安全地帯に自分がいるという優越感を抱いていた。そんな下劣な感情を持ってしまうのは、きっと多量の恐怖を和らげようとする防衛反応なのだ。
だが、それは嘘だということは私には分かっていた。多かれ少なかれ、私は他の人間が危険な状態であり、自分には関係ないということに優越感を覚えていた。
少女から目を離せなかった。
なぜなら、少女もまた、私と同じ気持ちでいるような気がしたからだ。
私たちは嵐が止むまで、ただ待った。




