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わかりきった結末  作者: 早雲
第四部
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後手

 その時、少女はある予感を覚えた。それはほんの些細な変化だったが、彼女に行動をさせるに足るものだった。いずれ、今の秩序が崩れてしまうこと、元の生活に戻れないこと、近くにいた人間が遠くへ行ってしまうこと。そういう感覚は、始まめは取るに足らないほど小さなものだけれど、やがて確信となり自分を責め立てる。お前は、このままでいいのかと。


 本来なら、彼女は行動しない自分を分析して許すこともできた。ある種の人間は、自分の正しさを守らなくては生きていけない。自分の正しさに縋ることで、自分が何者でもない事を見ないようにする。しかし、彼女は、自分の正しさに盲信するほど愚かではなかった。


 それならば、結局のところ何が彼女を動かしたのだろうか?未だに私は、それを知る術を持たない。



 私はインフラ=システムがバグを起こす前に保存していた、少女の行動ログを辿った。彼女のログは、私が予想が一部当たっていることを示していた。つまり、過去に私と少女が"対処"した高校教師の行動を観察し、そこからこの異分子の行方不明事件を調べようとしていた。彼女は、その高校教師の生活圏のすぐ近くに宿を取っていたのだ。


 私は少女が泊まっているであろう宿がある高層ビルの前まで行き、彼女のデバイスにコールした。応答なし。私は宿が入っているビルのエントランスを見た。ガラス張りの広い入り口からは、灰色とも黒ともつかない統一された素材でできたラウンジが見える。どうやらそこに受付があるようだ。通話できないなら受付で彼女を呼んでもらうしかない。仕方なしに建物に入り、受付まで進む。空間に男性の立体映像が浮かび、音声が響く。


「こんにちは、お客様。本日はどういったご用件でしょうか?」

「ここに宿泊しているコウヅキ アイという客が宿泊しているはずだが?彼女に用事がある」


 私がそういうと、ホログラムの男性は眉をしかめた。AIのはずだが、妙に人間臭い仕草だ。


「申し訳ございません。宿泊されているお客様の情報はお出しできません」


 それはそうだろう。一応予想していたことではあるので、用意していた言葉を言う。


「それなら、もし彼女が泊まっていたらでいい、伝言を頼みたい」

「なんでしょうか?」

「"エイロネイア"。そう伝えてくれ」

「では、もしコウヅキさまが宿泊された際には、伝言をお伝えいたします」


 バグがあったとは言え、インフラ=システムが示した少女の位置情報に間違いはないと思う。もしここに彼女がいるなら、私が彼女を探していると言うことが、既に受付のAIから連絡されているはずだ。もしかすると、伝言は余計かも知れないが、まあ良いだろう。


 ラウンジを見渡すと、コーヒーショップがあった。私はそこで彼女を待つ事にした。電話に出ないとはいえ、ここまできたのだ。対話を拒まないでくれることを期待したい。


 コーヒーの入った紙コップをもって座っているとラウンジの壁の一部が急に開いた。それがエレベーターの扉であることに遅れて気がついた。そこから、一人の女性が出てくる。少々体躯が小さく、華奢で髪が長く、ふわりとしたワンピースがよく似合う。その女性は私の方に近づいてこう言った。


「久しぶり、というには短すぎますね。すこし過保護ではないのですか?先生」

「そう邪険にしないでくれ。中々状況は切羽詰まっている」

「インフラ=システムを身内に使うほど、ですか」

「それほど危険な連中だ」

「エイロネイア、ですね」

「君も知っているようだな」


 彼女は神妙な面持ちをしていた。私は言った。


「アイ、逃げなければ」



「君はどうやって彼らを知った?」

「私にインフラ=システムを使ったのでしょう?ご存知では?」


 確かにインフラ=システムのログから、おそらく例の高校教師を辿って、ということは想像がつく。


「……怒らないでくれ。さっきも言ったが、かなり緊急なんだ」

「緊急ですか……先ほども切羽詰まっているとおっしゃいましたね。何があったのですか?」

「インフラ=システムにバグが起きている。おそらくエイロネイアという組織の仕業だ。そのリーダーは、ウサミ ショウイチという、元々国防省にいた男だ」

「その方が、どうしたと?」

「彼は君の父親を殺して、行動予測システムをこの世からなくそうとしていた男だ」


 私がそういうと、少女は目をわずかに細めた。


「私はウサミと直接会ったよ。勧誘と忠告を受けた。君が調べようとしていた異分子の行方不明事件は彼が起こしていたんだ。異分子を集めて、ウサミはシステムを壊そうとしている。インフラ=システムにバグが出ているのも、彼らが動き出したからだろう」

「それは……」

「加えて、国防省管轄の武器庫から多数の装備が行方知れずになっているらしい。それと彼らが何をするか関連があるかは分からない。だが、ウサミ本人からは三日と忠告されたよ」


 私は少女の目を見て言った。


「この街から逃げなければならない。出来るだけ、人がいないところに逃げなければ。ここが戦場になるかも知れないんだ」



 私はアイを些か強引にシェアカーに乗せた。事務所に一度帰った時に、彼女の分も含めて荷物をまとめていたので、このままここから離れるつもりだった。


「先生」


 少女は言った。


「ここで逃げてはいけません。私たちには、少なくとも私には為すべきがあります」


 私は彼女の顔を見ることができなかった。私に構わず、彼女は言った。


「システムを公表するんです。人々が知るべき情報を知らせなければなりません。それに、システムの公表は、そのシステムの無力化を意味します。それなら、システムの破壊を目論んでいるエイロネイアの動きも止まるはずです」


 私は彼女を横目に見て言った。


「システムの公表をしたら君は政府に危険人物として追われる。それに、ウサミははっきり、公表では意味がないと言った。彼らにとって、システムを無効にするだけでは止まる理由にならない」

「でも、先生!正しいことをするべきです」


 思わず、少女を睨んでしまう。


「正しい、とはなんだ?それになんの意味がある?人間だろうが何だろうが、ただの動物だ。ただ生き残ることだけが優先事項(プライオリティ )だ、そうだろう!?」 


 シェアカーの窓から、街が見えた。オレンジの世界は彩度と明度を落として、闇夜に沈む世界を暗示しているようだった。


「違います……絶対に違います!私たちはそれが欺瞞だと、はっきり分かっているはずです。生きるだけでは、人間には足りないはずです。先生。先生だって、分かっているでしょう?」


 彼女は大声を上げた。それは私の発した、あるいは彼女自身の頭の中にある妥協に負けないようにするためかも知れなかった。


「じゃあ、なんで先生は人に優しくできるんですか?じゃあ、なんで先生は私のお父さんのことをいつも話してくれるんですか?じゃあ、なんで先生は私を育ててくれたんですか?生きるだけが重要なことなら、全部無駄じゃないんですか?そうじゃないって、私たちは知ってるから、行動するんでしょう!?」


 そのとおりだ。本当はいつでも彼女が正しくて、私は間違っている。


「私たちにはいつだって、証明しなければならないものがあるはずです。そのために行動するんです。そうではないのですか」


 私は目を足元に落として、言った。


「……逃げよう」


 沈黙があった。まだ街が真っ暗になるまで猶予はあるはずなのに、明かりが見えなかった。



 結果から言えば、私たちの動きは少々遅かった。私たちだけではなく、国防省含めた政府の動きも一歩遅れをとっていた。これは当然の帰結かもしれない。行動予測システムに頼って秩序を保ち他人を管理しようとした人間が、そのシステムが効かない人間をコントロールできるはずがない。システムを奪われれば無力だ。政府もそして私たちも。


 少女はしばらく窓を見ていたが、何かを見つけて反応した。


「先生、あれは?」


 高層ビルが並ぶ都会に似つかわしくない、重装備の装甲車やグリーンのトラックが走っている。それは軍の演習のように見えたが、トラックの荷台の上にいる若い男たちはとても軍人には見えない。ラフな格好に奇妙で人が持つには些か巨大な代物を携えている。


 私は少女に言った。


「隔壁高熱集積兵器、通称Flame Aと呼ばれる火炎放射器だ」


 少女は訝しげな表情をした。


「火炎放射器?そんなものを」

「Flame Aは今国内で配備されてる歩兵兵器の中で最強の武器だぞ。なんでそんなものを街のチンピラまがいの奴が持ってる…」


 言いはしたものの、大体の想像はついた。彼らがエイロネイアの実働メンバーだろう。そして、予想が当たったようだ。


「軍の基地から武器を奪ったエイロネイアの連中が戦闘を起こそうとしている……最悪の想定が現実になったな」

「先生……」


 突然、シェアカーのスピーカーから音声が流れた。


「非常事態宣言が発令されました。都市エリア圏内の交通手段は一時的に全て制限されます。繰り返します。非常事態宣言が発令されました……」


 徐々にスピードが落ち、シェアカーは停止した。少女は不安そうな顔をして、私を見た。


「先生……」

「降りよう、しばらく歩いて移動するんだ」


 私は少女の手を引きながら、歩道を進む。自分のデバイスを起動し、アサクラに連絡する。


「どうしましたか?」


 アサクラはすぐに応答してくれた。私は状況を簡単に伝える。


「明らかに陸軍所属でない若者たちが、重装備で市街地に展開しているのを見た。機関銃つきの装甲車とトラック、そしてFlame Aを持っていた。おそらく例のエイロネイアの連中だと思う」

「こちらにも、情報が入っています。正確には掴めていませんが、かなり広域に展開しているようです」

「非常事態宣言の発令でシェアカーが止まって足止めを食らっている。安全な場所が近くにないか?」


 少し間を開けてアサクラは言った。


「カイトウさんの現在地のログを送ってください」

「分かった」

「ここは……どうやらカイトウさんがいる場所の近くに陸軍の野営地があります。そこまで行ってください。現在、事態の調査と鎮圧のために陸軍が展開しています。軍にコネは多くありませんが、どうにかカイトウさんたちを保護してもらうよう、話を通しておきます」

「すまない、恩にきる」


 少女の手を取ったまま、アサクラから送られた情報をもとに、目的地に向かった。対応が後手に回れば、状況は悪くなる一方だろう。だが、そんなことを考えるまもなく、私たちは歩いた。

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