低く見積りすぎていたよ
アイ。僕は君を棄てる理由がある。これは僕の身勝手だけが理由ではないと思うけれど、それでも君にとってそんなこと関係ないよね。
◯
すっかり日が暮れた街角で、僕らは別れた。
「今日はありがとう。もし君が友人じゃなかったら僕はひどく苦労したと思う」
「礼には及ばないさ。君は私の友人だし、君が頼んだことは私の仕事だ。君が渡してくれた情報はビジネスとしても有意義なものだ」
カールの手には僕が彼に渡したメモリが握ってある。通信で送るにはあまりに危険だったからこのような形を取った。本来は書面で渡すのが一番安全だが、あまりに膨大な量になるため、結局ハードディスクを渡すということで落ち着いた。彼は笑顔で僕の肩を叩いた。僕は彼の大仰な様子がおかしくなった。
「ふふ。そうは言っても科学者でありジャーナリストである友人はなかなか珍しいものだよ。それが一流の人間ならなおさらさ。本当に助かるよ」
彼は笑顔を曇らせた。
「サトシ。これは言っておかないといけない。私の祖国はドイツで、勤めているのはイギリスの新聞社で、生活している場所はこのドクトリーヌだ。きっと君は君の国の影響力が及ばない人間や組織に情報をリークしたかったのだろう?だとしたら私を窓口に選んだのはベストな選択だ」
「そうだね」
「だが、いかに地理的、政治的に遠くても、君の国は世界一の経済大国だ。君は自国のことだから気が付かないかもしれないが、君の国が持っている影響は大きい」
「もしかしたら、カール、君や君の会社にも圧力がかかるかもしれないってことかい?」
「そうかもしれない、という話だ。そしてもしそうなったら、私個人では何もできない。個人でネットに情報を流しても効果はほとんどないだろう?もしそれで十分なら君がしているはずだものな」
「その通りだよ。残念ながら、個人での情報リークじゃ意味がないんだ。大きなメディアのお墨付きがあって、議論が起きて、大勢に信じられて、はじめて僕の技術は無効になる」
彼は眉をずっと潜めている。髭のせいで表情は読みづらいが、心配しているようだ。
「さっきも言ったが、君はなかなかのばくち打ちだ」
「さっきも思ったけれど、褒めているのかい?」
若干の沈黙の後、彼は言った。
「立派だが、賢明ではないな」
そして皮肉っぽく、にっと笑った。
「私が君に賢明ではない、と言う日が来るとは思わなかった」
◯
ホテルに戻る道すがら、市場に寄ることにした。ヨーロッパの中でも食文化が多様な街だ。ときどき珍しい食べ物が手に入るし、いい気晴らしになる。
僕は果物を売ってる店に立ち寄り、店主に話しかけた。
「やあ、東アジアからの観光客なんだけれど、この辺はどの果物が名物なんだい?」
大柄の髭もじゃで人の良さそうな店主が応じてくれた。
「この国の名物ってのはあんまりないね。ただヨーロッパ中から美味しい果物を仕入れてるから、全部おすすめだよ。まあ、強いて言うならリンゴが一番のおすすめかな」
「ありがとう、じゃあ一つください」
「1ユーロ」
デバイスでお金を支払った後、僕はホテルへの帰路に着こうとしたが、店主に引き止められた。
「あんた、すぐそこのブライテスト・インに泊まってる人かい?」
「そうだけど」
「あんたにメモを渡してくれ、って人がいたんだ。今日の昼頃だ」
僕はいぶかしんだ。
「なんてかいてあるんだい?翻訳しようと思ったが、何故かうまくいかなくてね」
多分撮影防止技術だろう。それはそうとして、僕はまったくもって、呆れてしまった。カール、確かに僕は自分の祖国を低く見積りすぎていたよ。
店主が僕に渡してくれたのは、小さなノートの切れ端だった。そこには日本語でこう書かれていた。
『お前を見ている』




