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わかりきった結末  作者: 早雲
第三部
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ラブレターを送る以外に役に立たない

僕は以前から知り合いの研究者であるカールにメールを送った。今いるカフェの住所を書いただけの短いものだが、それを暗号化していた。


彼が言ったことは一部はあっている。シーザー暗号は最も簡単な暗号の一つで、暗号化する前の平文の文字を決まった規則通りに変換する。例えばGODという平文がありアルファベットの表をもとに一文字ずつずらして変換するならHPEとなる。この暗号はシーザーの名の通り、ローマ共和国のジュリアス・シーザーから採られている。古臭くて、誰でも知っているものだ。あるいは知らなくても勘が働けば解くことができる。


先ほどの例ではアルファべット表を使ったけれど、別に表は一意、つまり一種類の文字につき一個だけ載っているものであればなんでもいい。日本語なら、50音表でもいいし、色は匂えど散りぬるを、でもいい。


さて、僕は今回アルファベット表の代わりにサリンジャーの「フラニーとズーイ」という小説を使った。もちろん小説は一意の文字列ではない。というよりアルファベットで書かれた小説の中で10文字以上連続した一意の文章なんてほとんど現れない。


カールは足を組みなおしつつ、コーヒーに口を付ける。


「サトシ、君はなかなかのばくち打ちだ。私が気が付かなかったらどうするつもりだったんだ?」

「気が付くさ。君は少しの情報から想像するのが得意だ」

「昔君と話していたことを思い出せたのは幸運だった」


僕は昔、一意の暗号表出なくてもシーザー暗号を使える方法を考案した。あまりこういうアルゴリズムを作るのに慣れていなかったから、専門家の意見が欲しくなった。なので、あるとき行った学会で彼にそのことを話してみた。


彼のコメントはこうだ。『まったくもって汎用性はないが、ラブレターを送るときにはいいかもしれない』


「そういえば、その時に『フラニーとズーイ』が好きだっていうことを聞いたね。君がアメリカの古典を好むとは知らなくて驚いた」

「あの小説は内容もそうだが、何より英語が素晴らしいからね。論理的で無駄がなくて美しい。ウィザードのコードを読んでいるようで、素敵だと思ったんだ」

「まあ、おかげさまで晴れて僕の考えたアルゴリズムがラブレターを送る以外に役立ったという事さ」


カールは渋い顔をする。彼は情報学者だから、僕のとったある種不細工な方法が気にくわないのだろう。


僕は気にしないことにした。こだわるべき箇所を間違えると人間ひどい目に合うものだ。僕がこだわるべき技術は他にある。



僕らは長時間カフェでしゃべっていた。真上にあった太陽はいつの間にか色を変えて浅い角度から光を放っていた。


カールの質問はしばらく途切れなかった。


「人の動きは簡単に予測できるほど単純ではない。いや、あるいは人の動きは単純かもしれないが、その行動を決定する環境要因を簡単に予想することはできない」

「確かにその通りだ。だけれどまあ、おおよそ環境を限定すればうまく動くよ。例えば、一つの国単位なら、ちゃんと予想できる」

「ありえない」

「理論はさっき説明した通り。実証は僕の祖国ですでに行われているよ。そしてある犯罪者に対しては有効だった」

「入力値は遺伝子情報と心理プロファイルと監視で得られる映像情報、それに生体情報と言っていたな。生体情報とは具体的になんだい?」

「心拍数、神経系の活動電位の分布、血中の複数のバイオマーカ―」

「それをリアルタイムで測定する装置も君が作ったのか?」

「それは僕の友達が作ったんだ」

「最終的に技術を統合したのは?」

「僕が入力値をまとめるアルゴリズムを作って、その友達が実装したよ」

「本当にヒトの行動を予測できたのか?」

「ちゃんと装置を埋め込んでテストしたのは一人に対してだけれど、二週間くらいの学習期間の後は、行動予測可能だった行動の項目は8割くらいだった」

「80%……それは相当だな」


彼はため息をついた。


「信じられない、という顔をしているね」

「確かにその話をその辺の技術者が言っているなら鼻で笑う。だが、他ならぬ君が言っているんだ。信じざるを得ない」


日はどんどん傾いてその赤さを増していく。僕らがいるカフェはそこまで日当たりのいい方ではなかったのだけれど、それでも周りが赤く染まった。カールは解せない、という表情をしていた。


「それにしても、そこまでの技術だ。開発の時の苦労は並大抵のものじゃなかったはずだ。なぜ君は君の技術を棄てようとする?私が知っている君はそんな男じゃなかったはずだ。人類を幸福にするのがテクノロジーの価値だなんて思っていなかったはずだ」

「確かにね。僕は工学者エンジニアじゃなかった。どちらかと言えば哲学者フィロソファだった。とは言っても博士号(Ph.D)は持ってないけど」

「何があったんだ?」


少し僕は笑っていたと思う。


「なにも、特別なことは。ただ、娘ができたんだ。昔の僕は自分が生きている世界のことしか、自分が今いる時間のことしか考えなかった。でも今は、僕が死んだ後に残る世界に責任がある気がしてるんだ。僕の娘が生きる世界に責任があるはずなんだ」

「……変わったな」

「そうかもしれないね」

「良い変化じゃないぞ。人の役に立つことを求めるか?認められたいのか?それは目を曇らせる。いまだって、どのくらい論文のデータねつ造が行われている?それらすべては他人を意識して初めて生まれるものだ」

「認められたいわけじゃないさ。ただ役には立ちたい。利他的精神は生物の進化にとって当然の帰結だろう?不自然じゃないはずさ」


彼は依然、渋い顔をしていたが、心なしか少しだけ晴れた表情をした。なんだかあきれているようでもあった。


「そういえば君は生物学専門だったな。いろんな分野の論文を出しているから、何の学者だったか忘れていたよ」



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