呆れるより前に言うことがある
降伏の意思表示をしたって、折れるつもりはなかった。
会議室から出るときにコンノさんはお辞儀をした。もしかするとそのお辞儀は、今さっきまで話していた国防省の役人としてではなく、いつぞやか科学者としての道を語った個人としてだったのかもしれない。
廊下を歩くと、はっきり窓の景色が見えた。高層ビル群が青空を反射してきらめいている。
先ほどのコンノさんとの交渉でいくつか成果はあった。私の部署全員の生体情報、位置情報取得装置を解除すること。技術開発時の罪を摘発しないこと。その代わり私と友人は国防省に在籍し装置の改良を続けさせられる。
この条件で折れるのが本当は良いのだろう。犯罪者として捕まる事なく、国のために技術開発をする。なるほど、どこが不満だ?
しかし私はこの条件を、本当に飲むわけにはいかないのだ。たとえ表上は降伏したとしても。
彼らには借りがある。お陰様で、警察官が二人も被害を被った。一人は全身火傷で生死の境をさまよい、もう一人は被疑者殺害の汚名を被って自殺した。
彼らには思い知って貰う必要がある。我々警察を嘗めることが、いかに危険かを。
私は自分の部署のある部屋に入った。ガタイのいい同僚を見つける。
「アサクラ」
「カイトウさん…。どうでしたか」
アサクラは心配そうな顔になる。安心させるために言った。
「耳をかせ…あの装置は解除するそうだ」
「本当ですか」
「正確に言えば、体のどこに装置を打ったか、情報を渡すとのことだ。その情報さえあれば、我々で解除できる」
「信用できますかね」
「嘘ではないはずだ。交換条件としてシステムの技術を国防省に渡す事になる」
同僚が怪訝な顔をする。
「渡すも何も、あの技術はすでに省内に共有されているし、いずれ政府管轄の研究所ならどこでもアクセスできるようになると思いますが…」
「いや…人員含めての技術提供だ。要は国防省がこの技術の改良と運用をしたいという事だ」
「人員って…誰ですか」
とくに誤魔化すつもりは無かったが、どう言えば良いか分からず黙ってしまった。同僚が察する。
「まさか、カイトウさんが?」
しかめっ面で頷いた。状況としてはあまり好ましくない。兎にも角にも情報を整理するべきだろう。
「すまないが、少し外に出る」
「えっ。はい、わかりました」
同僚は気遣わしげな視線を向けたが、それに構わず歩き出す。
現状では、問題がいくつかあった。私は今後自由に身動きが出来なくなること。そして友人に現状の危機を敵に悟られずに、知らせるのが難しいことだ。
うまく友人に私が得た情報を知らせたとして、まだ分からないことがある。
あの事件の際、サエキの予測テーブルには、”不明”の文字があった。これは”予測されていることを自認している”ときに起こる挙動だ。今回自分にうたれた装置を使って何度も検証をした。
つまりサエキに行動予測装置のことを教えた人間がいる事だ。
コンノさんの反応を見る限り、この事実を知られることは向こうにとって不利であるのだろう。
いずれにせよ、まずは友人に連絡を取る事だ。それもなるべく秘密裏に。
私は省の外に出て、近くを見渡した。相変わらず、高層ビルは強い光を反射していた。
◯
私はどのように友人に連絡を取るか、打開策を見つけられないまま、帰路に着いた。
まだ18時だというのにあたりは殆ど暗い。落日が早くかんじるのは気のせいだとはわかっていたが、自身の焦りを増長させる気がした。
自宅マンションセキュリティを通過する。セキュリティが私の光彩を認証すると、透明で縁のないドアが音もなく開いた。
中に入ってすぐ人の気配を感じた。
「やあ」
扉の内側に私の友人が立っていた。フードつきの黒いコートにいつものジーンズとスニーカー姿で、柔和な笑顔を浮かべている。
「…透明なドアなのに君に気がつかなかった」
友人は屈託無く言った。
「このドア、ディスプレイになっているんだよ。普段は透明な設定なんだけど、ちょっといじってみた」
「どういうことだ?」
「つまり、このドアには普段の透明な時に見える映像を浮かべさせて立って訳さ。その後ろに僕は隠れてただけだよ」
事もなげに言うが、このマンションはセキュリティが売りだったはずだ。
「不法進入はともかく」
呆れるより前に言うことがある。
「君に知らせたいことがある」
友人も屈託ない笑顔のまま言う。
「奇遇だね。僕もだ」




