立派
「被疑者は射殺。発砲した警官は自害。重体の警官はまだ意識がない」
私は呟いた。いや、独り言ではなかったが、あまりのことに、大きな声で言いたくなかった。
友人は黙っていた。
サエキ ユウジの逮捕失敗及び射殺事件の数日後。私は自分の行動予測装置を外してもらい、相手にバレないようダミーの信号を送らせる処置をとるために、友人宅に来ていた。
私の体内に埋め込まれた装置を見つけるのは困難を極めた。何せこの装置は、私自身が一度体内に埋め込まれたら発見困難になるよう設計したものだからだ。位置情報の装置は言うに及ばず、友人と開発した生体情報取得装置も、元は私の設計だ。
だが、装置を外す方法は無いでもない。それには友人宅にある設備が必要だった。だがそれも、地道なしらみつぶしの様相を呈した。
「俺に関して、行動予測装置は無効になっているはずだ。システムの弱点である、”予測されてることを自覚している”からな」
友人は椅子に深く座り、何もない空間を睨んでいた。そこに憎むべき何かがあるみたいに。
「謎が沢山残ってる。何故俺たちに行動予測装置が取り付けられてたか。何故サエキが君と君の娘を狙ったか。何故、軍用の火炎放射器を持つことができたか。何故シェアリングカーの監視カメラの映像を、すり替えることができたのか」
ずっと黙っていた友人が口を開いた。
「その人の名前は?」
「何?」
「刑事さんだよ。僕とアイを守ってくれた」
先日の事件で、サエキはこの友人宅に火炎放射器を放つつもりであったことが、追加の調査で判明した。正確にはすでにサエキは死んでいたので、そう推測されたに過ぎない。また、サエキを殺し自殺した警官もこの友人と娘を意識して守った訳ではない。だが、結果的にあの警官は彼らを守ったことになるのだろう。
私は死人の名を口にする。
「クサマ カズキ」
友人は目を伏せて、静かに言った。
「絶対忘れない」
クサマがとった行動は決して英雄的なものではない。私は言った。
「同じ警察として、彼の行動を認めるわけにはいかない」
そうだ。彼は、クサマは正しくなかった。感情に駆られて、怒りで我を忘れて、人を殺した。子供達の、同僚の恨みを持って、人を殺したのだ。
「彼は、正しくない」
私は自分に言い聞かすように言った。友人は、わかってる、といって下を向いていた。
だが、それでもクサマの気持ちが全くわからないといえば、嘘になる。私だってサエキのしでかした事と、無罪放免になった時、どれほどその男とこの国の司法を恨んだか知れない。
私は装置を探すためにパソコンを繰っていた。特定の箇所に異物がある場合に、生体がどのような挙動を行うかのシュミレータを作成する。センサと連動させ、そのパターン全てを読み込ませているが、思いの外、時間がかかる。
少し作業の手を止めた。友人の様子がさっきと違っている。私はハッとして、友人の方を見た。
「彼は僕らを守ったんだろ?」
「泣いてるのか?」
静かに雫が友人の頬をつたった。
「彼は僕らを守ってくれた」
私は彼から視線を切れなかった。この友人との付き合いは10年にも届こうかというところだが、その間一度も涙はおろか、感情的になっているところをほとんど見たことがない。怒りを見せたこともあったが、わずかな変化で、わずかな時間だけだ。だから私は驚いてしまい、思わず馬鹿な質問をした。
「なぜ泣いているんだ…」
「なぜだろうね。彼がしたことが、間違いだってことは分かる」
友人は俯きつつ続ける。
「だけど、その気持ちが間違いだなんて、あまりに悲しい」
「…そうだな」
私は友人が悲しんでいることの、多分十分の一も分かってはいないだろう。私はクサマがサエキを殺し、自殺したと知った時、最初に浮かんだのは職務のことだった。彼の怒りよりも、自分の仕事について思考を巡らした。
私は、私が思っているよりもずっと冷たくて、卑しい人間なのかも知れない。
しばらく作業を続けた。あらかた終わりが見えたころ、友人が言った。
「僕たちは何一つ情報を得れていない。さっき君が言ってた謎も裏付けの情報はない。だけど、仮説はある」
「…」
「僕の家に捜査を及ぼすために今回の件は仕組まれてる」
「なんだって?」
「明らかに政府関係者が黒幕だ」
私は慌てて聞き返す。
「政府関係者が君の家を調べるためにこんなことをしたっていうのか?」
「そうだ。政府関係者が関わっていると考えるのは自然だ。君たちに行動予測装置を埋め込めるのも、軍事用の火炎放射器を扱えるのも、シェアカーの監視カメラのセキュリティを破れるのも、政府関係者でないと無理だ」
「だからと言ってなぜ、君の家を政府関係者が調べたがる?」
友人はにべもなく言う。
「僕と君の技術を欲しがっているから」
省内ではあの行動予測装置は私が開発した事になっている。なぜ、この友人が開発に関わってると分かるのだろう。
そんな私の考えを読んだように友人は説明を始める。
「僕と君で開発した技術、多分敵さんは気がついたんじゃないかな。開発に使ったヒトゲノムのデータが、正式に登録されたものじゃない事に」
「どういう…」
「つまり、違法なデータを使ってシステムを開発したことがバレたんだと思う。僕が使ったデータセットは政府に登録されてなかったものだから」
「私事権保護法の拡大解釈…」
「そういうことだ。個人のゲノムデータは原則政府関係の研究所以外に引き渡してはならない」
「だが、開発時に使用したデータなんて特定できるのか?」
「要はデータの揃い具合なんだよ。例えばある人のゲノムデータとその監視カメラの映像と行動心理学的プロファイルがセットで揃っている場合はゼロだとまでは言わないけど、案外少ない。それなのに行動予測システムが完成している。”政府が持ってるデータじゃシステムを開発するには足りないにも関わらず”。だとすれば、まあ違法を疑うだろうさ。僕みたいな、”バイオクラッカー”のさ」
私は唖然とした。友人は説明を続ける。
「君たちの部署の動向や繋がってる外部の人間関係を把握しようとするのは当然だ。君たちの研究所の中だけじゃ作れないものなんだから。特に君は目をつけられてたんだろう」
「最初から…?」
「多分。そしてしびれを切らした敵さんは君たちの行動を完璧に把握するために、システムを埋め込むことを考えた」
私は冷静になるよう努力した。
「俺たちの部署の職員全員にこの装置が埋め込まれているなんて、まだ、にわかには信じがたいんだが」
「十中八九間違いないさ。彼らの行動予測のテーブルが見つかったんなら。動機もばっちりだよ」
「いや、まて。何故サエキは君たちを殺そうとしたかはまだわからない」
「ここまできたら、答えは出てる。政府のお偉方に指示されたんだよ。そうじゃないと、軍事用の武器もシェアカーのカメラのハッキングも説明つかないだろ」
「…」
「つまり、政府はサエキをエサに使った。僕らをターゲットにすることで、僕の家の家宅捜査のもっともな理由をつけたがった。あの火炎放射器はIDつきだろ?」
「そうだ。IDが認証しなければ使用できない」
「そして武器のID認証は国防省の管轄だね。なら、サエキはあの武器を僕らに向けて打てないようになってたんじゃないかな?」
「馬鹿なことを言うな。現に現場のクロダという警官が火炎放射器で撃たれてる」
「”僕らにだけ”、だと思う。サエキが、試し撃ちをしたりする可能性もある。多分サエキは計画の全容を知らなかったんだ。だからサエキにも怪しまれるわけにはいかなかった。多分司法取引があったんだよ。ある人間を殺せば子供殺しを容認するって」
「そして、実際には君を撃てないようになっていたわけか」
「そう。もし研究成果が燃えたら困るからね」
一つのことに思い当たる。
「政府関係者、国防省か?何故君の家を捜査したいんだ?研究成果を取り上げたいからか?もうシステムは完成しているんだ。意味があるのか」
「可能性1。開発者はシステムの弱点を知っている。それが外部の人間であるなら秘密の漏洩をしかねない。だから排除したかった」
「他にあるのか」
「可能性2。あのシステムはまだ完成してないから、完成ささて欲しかった」
「は?」
システムが完成していない?
「そう。完成していないんだよ。あのシステムはもう一段階、強力な機能を実装できる」
「これ以上、そんなことが?」
「”大衆の行動予測”だよ。それも生体情報取得装置なしで」
深呼吸をする。勤めて冷静になろうとしたが、あまり効果はなかったようだ。結局荒れた呼吸で私はいう。
「ありえない」
友人は少し済まなそうに言った。
「本来なら君にも知らせておくのがベストだったと思っているんだけど」
嫌な予感がした。
「実はほとんど完成してる」
最悪は掘れば掘るほど底が見えない。私は端的に近い未来の危機を口にする。
「俺たちは拘束される」
「そうだね」
今までの推測が事実なら、政府関係、おそらく国防省の人間が我々を拘束するだろう。システム開発時に法を犯していることを理由に。そして完全なシステムをここから押収して、国民管理システムを運用する気だ。
目の前の男を見やる。友人の目には先ほどの涙の跡はない。いつもの公平で飄々とした眼だった。彼は言った。
「その前にやることがあるね」
「何を」
私はそれどころじゃなかった。私たちが開発したもののせいでひどいことに巻き込まれている。どうすればいいのか全くわからない。
友人は私の問いにこたえる。
「システムの弱点を公開する。管理社会は、必要かもしれない。だけど、こんなことをしでかした人間たちに管理されるのはごめんだ」
情けないことに私の膝は震えていた。私はどこまでも卑怯ものだった。このような話を聞いて、友人のように巨大な機構に立ち向かう勇気がなかった。
「正気か。多分、懲役5年10年じゃ済まないぞ」
「わかってるよ。でも…」
友人はちょっとだけ躊躇したあと、意を決したように顔を上げる。
「僕には責任がある」
長く生きると人を許せるのかもしれない。それはきっと、長く生きるほど罪を重ねるからだ。駄目な人間を受け入れられるのは、駄目な人間だけだ。私は長く生きすぎた。友人は私を許してくれるだろうか。
「アイ、おいで」
少女がいつの間にか、我々の話している部屋にやってきていた。
少女は友人の隣に座った。友人は愛娘に目をやって、ぼそっと言う。
「立派なお父さんでいたいからね」
手元のパソコンがエラーメッセージを表示する。




