とある警察官(4)過程は終わって、結果になる
追跡するということ自体は何の苦労もなかった。すでに生活の大半が電脳化してしまったこの世の中だ。逃げようとする男の追跡など、造作もないことだった。特にそこに国家権力が乗っかっているときにはなおさらだ。
俺はシェアリングカーに乗りながら自分の銃を再充填する。大本の形は大昔の銃―ニューナンブM60-と同じものだ。装弾数も5発。この国の警察官は、昔から火力が小さくて弾も少ない銃を持たせられる。おそらく犯罪が比較的少なかったことと、あまりに大きな火力が悪人の手に渡ることがないようにということだろう。しかし前者はともかく、後者はすでにID認証のテクノロジーががちがちに詰まったこの銃には当てはまらない。たとえこの銃が悪人に渡ったとしても、認証を突破できなければ、発砲もできないからだ。いつも最初の趣旨は忘れられ、形だけが残る。
俺の端末には俺が追っている男の車の内部が映し出されている。先ほどまで見ていた光景とは全く違った様子を見せている。車内に投げ出された巨大な黒い塊。クロダさんを撃った武器だろう。そして頭を抱える男の姿。
あの男の車を停止させる前、俺たちはカメラで車内の様子を確認していたはずだ。男は何の武器も持たずにただおとなしく座っているだけだった。俺たちはなぜ、男の傍には巨大な黒い塊、新型の軍用火炎放射器があることに気が付かなかったのか。俺たちは監視カメラの映像を確認していたし、あんな大きな武器を隠せる場所などなかったはずだ。すると監視カメラの映像が入れ替わっていた可能性が考えられるが、それだって簡単じゃない。シェアリングカーは今や公共交通機関と変わらないし、自動運転の安全措置の関係上、ネットのセキュリティはかなり厳重だ。それを破れる技術者があのゴミクズに肩入れしているのか。
わからないことなら、まだある。軍用の武器など、たとえ官僚の息子だろうが何だろうが、このご時世手に入るわけがない。俺のニューナンブですらID認証がないと弾を込めることすらできない。重火器ならなおさら。そんなものが、釈放されているとは言え、殺人の容疑者の手に渡るのはどう考えてもあり得なかった。
高速で流れていた窓の風景が、もとの正体をとりもどす。
住宅街に入った証拠だ。昔より大幅に数が減ったとはいえ、今でも交通事故で死人が出ることがある。だから、人の居住地域では自動的に車は減速する。最も、俺が昔経験したようなひき逃げのような事件はもうなくなったといっていいが。
俺の携帯端末には研究所からあのゴミクズの位置情報が送られてくる。一緒に行動予測の表も送られてくるが、こちらはずっと変化がない。
11:40 殺人(97%)〔東京都目黒区住宅街〕
今は11時20分。
あの男が今から誰かを殺そうとしている、という予測が出ていても、俺は不思議と冷静だった。
何せ、あの男はオイタをする前に、痛い目を見る。
◯
サエキ ユウジ。
それがゴミクズの名前だった。突然、その名前を思い出す。
不思議なものだ。罪のない家畜には名前がつかないのに、こんな男に名前があるなんて。
住宅街に入ってから10分後、サエキの車はある家の前に停まった。豪邸と言っても差し支えないくらい大きい家の門に、車を付けて、ドアを開けるのが見える。
サエキが降りたことを視認してすぐに、俺の車も停車する。ドアの安全装置がはずれるやいなや、俺は外に飛び出した。
車から降りたサエキの腕と肩を掴んで、そのまま地面に押し倒した。動かないように膝でサエキの腕を固定し、空いた手で頭を掴んだ。
「覚えてるか?また会ったな」
俺の言葉には応えない代わりに、サエキは体を硬ばらせる。閑静な住宅街。金持ちか多そうで、平和そうな街。庭には土がなく、白くて少し弾性のある素材が敷かれている。子供が遊んでも怪我をしないように。
俺は頭を掴んでいた手を離して、5発ほど俺の下にいた家畜以下の何かを殴った。白い地面に赤い点が散った。呻き声が聞こえて、その中に言葉が混じっているのに気がついた。
「ごめんなさい…。刑事さん、許してよ。ごめんなさい…。ごめんなさい…」
サエキの汗ばんだ体から石鹸の匂いがした。身綺麗にしていて、仕立てのいい服を着て、裕福な家庭で育った、甘ったれ。
ずっとサエキの、懺悔と呼ぶにはあまりに拙い、赦しを乞う声がする。
こいつは俺に赦しを乞う。俺に赦す権利なんてないのに。
こいつを赦すことができる唯一の人間達はこいつのせいでこの世にいない。
「俺は、お前がとったカメラの映像を見たぞ」
サエキは俺の言葉に応えなかった。
俺は半身をよじって、再び拳を振り下ろす。
「俺は、見たぞ」
◯
『君、名前は?』
『ミカ…』
バシッ。
『です、は?』
『ミカです…』
『今度同じ間違いをしたらまた君の体に穴が空くよ。もうたくさん空いてるけど、さらに増えるよ、わかった?』
『わかり、ま…ううぁ』
バシッ。
『隣の子は、ほら、ほとんど顔が無くなっちゃってる。こうなりたい?』
『い…いや』
『ねえ。二度も言わせないでよ』
ジジジ、ジジジ、ジジジ。
『…は…あっ。ああああ』
『です、ね。わかった?』
『ううう』
『はんだごてで人の肉を焼くと、ひどい匂いだと思ってたけど、案外普通に焼肉した時と変わらないな』
『もう、やだ。お母さん、お母さん』
ジジジ、ジジジ、ジジジ。
◯
ごん。ごん。ごん。
「おい。ちゃんとしゃべれよ。俺はお前がとった映像見たっつってんだよ」
もう何回、拳を振るったんだろう。自分でも段々わからなくなってきた。同じ動作なのに、手につく感触は回数を重ねるごとに、ねっとりと重くなっていく。
「しゃべれねえのかよ!?子供達にはあんなに饒舌に偉そうにしてたくせによ!」
さっきまで見えていた周りの風景が消えている。誰かが大声で叫んでる。ありったけの怒りをぶつけている。
「赦してくれって言ったよな?お前を赦せる人間はもういねえんだよ。お前が殺しちまったんだ!」
叫んでいるのが自分だと気がついたが、なおも止められなかった。子供達の無念を晴らすなんて考えていない。俺がやってることだって正しくない。警察官の職務から著しく逸脱している。
「こっちを向け!お前が何したか言ってみろよ!」
手に残る感触は、粘性を増していった。
「おい!応えろ!てめえが!何したか!言ってみろ!」
気がつくと、下に血だまりがあった。さっきまでの整った顔が紫色の膨れている。
乱れた呼吸に、さっきまで乗せていた怒りの叫びはもう出てこなかった。
なぶり殺しにされた、三人の子供達。彼と彼女らがもし生きて大人になれたらなら、俺と同じことをするんだろうか。
そんなことは永遠に分かるわけがなかった。真に俺がやるべきことは子供達を殺させないことだった。
なるほど、と俺は思った。今回サエキにつけた行動予測装置は、確かに俺たちを動かして、誰かが死ぬのを防いだのかもしれない。
最初から俺は理解していた。すべきことはこいつを殴ることじゃない。こいつを止めて、次の被害を防ぐことだ。
でも、俺が、俺たちが抱いた怒りは、間違いなんだろうか。
クロダさんだって、行動予測装置を取り付けたカイトウだって、口にしないだけで、こいつのしたことに狂うほどの怒りを抱いたはずだ。そうでなければ、射殺の場合について言及しやしない。
紫色の塊から、呻き声が聞こえてきた。
「…じゃ…」
俺はサエキを見下ろした。
「け…けいじさん…だって、一緒…じゃん、おれと」
「……」
「弱いものをさ、無抵抗な…にんげんをなぐりたいだけ、なぐって。きのすむようにさ」
俺はスーツの上着に手を入れた。金属と、木の感触がした。
「正義ヅラ…すんなよ…」
グリップを握って、ゆっくり取り出す。
「おれと…一緒…」
呼吸を整える。
銃口をサエキに向けて、俺は言った。
「そうかもな」
ドン。
俺は警察官になって、力を持った。
ドン。
それでも、力がない人間を救うことはできなかった。
ドン。
俺に力がないのは罪だ。そして、力を持ったのに救えなかったことも、やはり罪だ。
ドン。
俺はきっと、正しくない。こんなことをする権利もない。それでも理由はあった。一線を越えるにたる、理由が。
サエキだったものは、もう動かなくなっていた。先ほどまで紫色になってた顔は、今度は真っ赤な、グロテスクな花を咲かせたみたいになっていた。移り気の激しいやつだ。
発砲弾数は4発。
ニューナンブの装弾数は5発。
のこり1発の使い道はもう決まっている。
◯
死体は二つ。
それが結果だ。
まだ死体は一つだが、もうすぐ結果だ。
俺は銃口を自分の口の中に突っ込んだ。




