優秀なのは
深夜遅くのオフィスには、人がほとんどいない。
デスク上のモニタには私と友人が作成したプログラムのソースコードが表示されている。寒空の下の公園で友人と話した内容が頭から離れない。
どうにかして、この技術を国防省から隠す必要がある。
だが、どうやって?
私の手からはすでに離れてしまっている。もう省内では共有されてしまっているし、直にほかの省の技術部にも伝わるはずだ。
私は何か手はないかパソコンのキーを叩いて調べていた。だが、法律的にも技術的にもすでに実装してしまったシステムを隠匿することは不可能に思えた。
そもそも本当に国防省が相手なのだろうか。仮の想定は国防省としていたが、国防省の一部の人間か、それとも組織ぐるみか、はたまた国防省にとどまらないのか。今のところ確証を得られるだけの情報を得られていない。
コーヒーを飲もうと思い、スチール缶に口をつけたが、ついさっき飲み終わって、空であることを思い出した。仕方ない、気晴らしに自動販売機に行くかと腰を上げようとしたら、後ろから、缶コーヒーを持った手が私のデスクに差し出された。
「遅くまでご苦労さまですね。これは差し入れです」
50歳前後の痩せたスーツの男が立っていた。新しく着任した分析官だ。年次も階級も私が上ではあるが、年上の人間にぞんざいな口を利けるほど私は偉くない。
コンノさん、と私は話しかけた。
「ありがとうございます。コンノさんこそ遅くまで大変ですね」
友人の話では、この新任の分析官は国防省から我々の技術を取得するために、身分を隠してきている可能性が高い。だが、彼の物腰は柔らかく、とてもスパイのような人物には見えなかった。
「まだ、この職場に来て日が浅いですからね。要領がつかめず仕事が終わらんのです。それにしてもカイトウさんは何をしているんですか」
いかに善人に見えても、警戒を怠るべきではない。だが、すでにこの人は分析官として私と友人が開発した技術を扱っている。下手に隠すと逆効果になる。そう思い私は事実を隠さず当たり障りない返答をした。
「コンノさんにこの前分析してもらった、犯罪予備者のデータがあったと思いますが、その分析に使ったプログラムの改良をしているんです」
彼は納得したような顔をして、言った。
「なるほど、そういえばあなたが開発者でしたね。若いのに優秀な方だ。いや、若いからこそですかね」
「いや、そんなことは」
「謙遜なさらず。私も若いころはそれなりに才能を持っていると思ったものですがね、結局この歳までこれだ、という成果を上げることはできませんでした。人は才能に集まってくる。私にはほとんど人が集まってきませんでした。それはさみしいことです。ですが、逆にいわれのない誰かからの中傷やらを避けることもできます。それはそれで楽なものですがね」
そしてコンノさんは同情したように私に言う。
「優秀であることは、茨の道でしょう。特に技術者としての優秀さは。科学のラショナリティと人間のばかばかしさとをずっと見比べることになります」
私はなんて言ってよいのかわからなかった。仮にこの人がスパイとして、なぜこのようなことを言うのだろうか。
「すみません。少しお仕事の邪魔をしすぎてしまいましたな。私も自分の仕事にもどります」
「いえ、缶コーヒー、ありがたくいただきます」
では、と彼は言って別の部屋へ行った。
部屋は再び静寂を取り戻す。
コンノさんからもらった缶コーヒーはとても熱いが、手で握っても耐えられないという温度ではなかった。
私はプルタブを開けて、口をつける。あったかい液体が胃を通るのを感じた。
私はどうしても口に出さなければならないことがあった。誰にも聞こえないように、小さな声で、つぶやいた。
「優秀なのは、私ではありません」
そして、深夜まで働いた無理がたたったのか、眠気が襲ってきた。




