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わかりきった結末  作者: 早雲
第二部
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本当に僕はこの人より頭がいいよ

「こんにちは」


 私は少女に向かっていった。


 いや、身体的には少女ではなく少年ということになるのだろうか。ただ、どう見ても少女に見える。


 友人の陰に隠れている少女は、友人の半分くらいしか身長がない。肌はとても白く、髪も目も随分色が薄い。


 少女はいぶかしげに友人の方をみやる。


「このひとは、どなたですか」


 なるほど、と私は思った。確かに5歳にしては言葉遣いが丁寧すぎる。


 友人は答えた。


「この人は僕の友達なんだ」


 少女の方を見て私は言った。


「君のお父さんにはいつも助けてもらっているんだ。今も助けてもらってる」


 私は友人の前では自分を「俺」と呼ぶが、このような綺麗な言葉遣いの娘に対してあまり粗暴な口を利きたくなかった。


「私はカイトウ マコトというんだ。君のお父さんとは、昔から友達だよ。君はなんて名前なの」

「…アイ。わたしはコウヅキ アイです。父さんとはどこであったのですか」

「説明が難しいんだが…」


 私は話題を反らそうとして友人を見た。


「あたりまえだけど、苗字はお前と同じなんだな」

「まあね」


 私と少女を見つつ、友人は言った。


「アイ、この人は博士なんだよ」

「ハカセ?カイトウさんはハカセのお仕事をなさってるんですか」


 博士号を持っているが、博士という仕事がある訳ではない。だか、中々小さい子にわかるように説明するのは難しそうだ。


「そうだな、みんながまだ知らないことを探す仕事を研究というが、まあ研究する人がもつ免許みたいなものだな。博士号は」

「そうなのですか」

「私は博士だが、研究をしている訳ではない。警察官だ」


 けーさつ…、と少女は呟いた。何かを考えている風だ。


「では、わるい人を捕まえるために、頭のいい人が警察官をするのですね」

「まあ、そんなところだな」


 友人が意地の悪い笑顔を見せた。


「この人は警察だけど、先生と呼ばれているんだ」

「おい」

「先生...ですか」

「全く」


 先生というのは私が同僚に揶揄されてつけられたあだ名だ。博士号持ちで説明が長くて正論ばっかり、という事らしい。つけられた本人としては面白くない。


 ふとした時に友人にこのあだ名を漏らしたのが不味かった。


「僕はあながち不適切とも思わないけれどね」


 少女がこちらを見て言った。


「先生は、今日はなぜこちらにきたのですか」

「君のお父さんの力を借りたくてね」


 実際、私はこの手の問題でよく友人を訪ねる。彼は独自に神経心理学の研究をしている。


「お父さんは先生のどんな仕事を手伝うのですか」

「相談に乗ってくれるんだよ。君のお父さんは私よりずっと頭がいいからね」


 友人が口を挟む。


「アイ、ちなみに本当に僕はこの人より頭がいいよ」


 事実とは言え、謙遜という言葉を彼は知らないのかもしれない。


 私が行っている仕事。犯罪を未然に防ぐための技術開発。人の心理状態や行動傾向の分析。それらは私の専門ではあるが、私よりずっと友人の方が深い知見を持っている。


 それは彼の本業の為だ。


 彼の仕事はクラッカーに近い。と言っても、生物専門のクラッカーだ。彼は遺伝子と神経系の挙動の関係を研究している。遺伝子どのような遺伝子をもてばどのように神経が働くかの実験。

そして、自分でも遺伝子回路を設計して予想通りに神経系が動くかどうかの実験。


 生物をクラッキングしているのだ。だが、これは犯罪行為だ。


 その理由はある法案にある。今世紀初頭に、政府はかなり剣呑な法案を成立させた。


 私事権保護法だ。私事権は横文字でわかりやすく言えばプライバシー権のことなのだが、政府はこのプライバシーをかなり拡大解釈した。


 個人の遺伝情報はプライバシーの範疇である、との見解である。それ自体は間違えではない。


 問題は遺伝情報を持つ本人が遺伝情報の閲覧権を譲渡することを禁止したことだ。この問題を把握するには、少し歴史を知る必要がある。


 ATCG。どんな人間でも持っている遺伝子はこの文字の組み合わせだ。だが、この文字列には大量の個人データ、すなわち、病気のかかりやすさ、身体的な特徴、政治的な傾向、性的な嗜好、血縁などを含んでいる。


 確かにこれはプライバシーと呼ばれてしかるべき情報だ。誰だって見知らぬ人に自分の性癖など知られたくない。だが、これらのデータは研究者にとっては格好の研究材料だ。研究材料を得るためには、その個人の許可が必要になる。


 だから、ある二つのきまりができた。


 一つ。遺伝子の情報は「各個人」で「暗号化して」管理すること。


 二つ。自分の遺伝情報を「売る」のは個人が判断し、責任を持つこと。


 この二つのきまりをまとめて遺伝情報の自由取引に関わる法律、通称DF法と呼ばれた。


 この法はラショナルだ。自分のプライバシーをどこまで切り取って売るかを自分で決める。そして、売りたくない人の情報は暗号化して保存する。


 その後が問題だ。

 

 さっきの私事権保護法。その立法と拡大解釈で、DF法の二項目を実質無効にした。

 

 つまり、個人が遺伝情報を保持するが、売ってはいけない、とルールが変わったのだ。


 厳密には(そしてもっと悪いことに)、政府関係者の研究所のみには売ってもいい、というルールになった。


 そして、実質、ヒトの遺伝情報を取り扱って良いのは、政府関係の研究所のみ、というありがたくない決まりができた。


 なぜこんなアクロバティックな法律が国会で通ったのかは今世紀最大の謎だが、動機ははっきりしている。


 ヒトの遺伝情報を取り扱いたい製薬、食品、化粧品などの製造会社がこぞって政府の研究所と共同研究を結び始めた。そして必ず、特許を受ける権利を国が持つことになった。


 つまりは、政府は特許権によるお金が欲しかったのだ。


 ヒトの遺伝情報を取り扱えるのは政府関係者のみになった。


 そしてこの国の医学、薬学、理学の研究は一気に衰退した。当然だ。これだけ制約をかけて新しい技術など生まれるわけがない。


 友人は違法にヒトの遺伝情報を閲覧し、設計し、実際の細胞に組み込んでいる。そして、国と共同研究を結びたくない、もしくは結べない企業に研究成果を横流ししている。


 私は彼に技術開発の相談をする。その代わりに彼の行為を見逃したり、新たな情報を彼に渡したりしている。


 持ちつ持たれつ。


 仲良く犯罪者だ。


「さて、アイ」


 友人は言った。


「僕達は今から仕事の話をしようと思ってる。秘密にしたいわけではないが、少し込み入った話だから、ここで待っていてくれないか」


 そして私を見て言う。


「ラボで話そう」

「わかった」


 私は少女の方をチラリとみた。


 彼女は少しだけ心配そうな表情をしていた。



 ラボは大体5m四方の部屋で、無菌操作用のクリーンベンチ、サーマルサイクラー、インキュベーター、シーケンサー、液体窒素のボトルやら何やらが所狭しと置いてあった。また部屋の一角には大きなコンピュータが、でんと備え付けてある。


「じゃあ、さっき話したデータを渡そう。これは特定の人物の行動予測のプログラムで、必要なのはその人物のゲノム情報だ。僕ら民間人は、本来取り扱いはできないけれど、君ら政府関係者なら問題ないだろう」


 無論、友人はヒトゲノムの情報を多々持っている。それで私の技術相談に乗ってくれる。


 小一時間ほどプログラムの構造や使い方のレクチャーを受けた後、少し気になって私は尋ねた。


「君はここのところこの研究をずっとやっていたのか。他のことは?」

「そうだね、さっき説明した技術も含めて今の研究テーマは遺伝情報や生体情報をもとにしたヒトの行動予測だ。脳波やら脳内の血流、遺伝子なんかで実際の行動を予測出来るかどうか調べている。ただ、あまりサンプルが取れなくてね。自分のデータでやって見るんだけどn数が足りないから困っているよ」

「前も言ったかも知れないが、ウチに来たらいいじゃないか。サンプルはたくさんある」


 友人が顔をしかめる。


「僕はあまり政府がやっていることに感心しないね。ヒトの遺伝情報を独占している。これでどれだけ研究が遅れるか、わからない人達ではないと思うけれど」

「まあ、私もそう思う。オープンイノベーションが世界的な流れなのに、こう、クローズドにされるとな。鎖国時代もかくや、って感じだ」


 時代に逆行していると言ってもいい。現に優秀な研究者はほとんどこの国から出て行っている。


「僕が君を応援するのは、君がまだこの国に残る気がある、優秀な警察官だからだ。そのプログラム、活かしてくれ」




 職場に帰った私は友人のプログラムと私が今まで作っていたデバイスを組み合わせる作業を始めた。


 3人の子供を拷問の末殺した男が警察の施設に来るのは一週間後。ある程度余裕があるとはいえ、出来るだけ急がねばならない。


 私がデスクで作業していると、同僚が近づいて来た。一つ年下のがっしりした男で、技術者というより、スポーツ選手に見える男だ。


 同僚が言った。


「カイトウさん、これっていま作ってる犯罪防止用の行動予測システムですよね。今度ゴミクズに埋め込むための」

「それに遺伝情報を組合わせて、行動予測精度を向上した装置を作っている」

「え、遺伝情報?そんなことできるんですか」

「いまテスト中だ」


 同僚は私が使っているパソコンのモニタを見て、感嘆をあげる。


「こんなの見たことないですね。カイトウさんが作ったんですか」


 友人のことを話すわけにはいかない。一人で作ったというには無理があるが、無理を通すことにした。


「そうだ。かなり苦労したが」

「どんな仕組みなんです」


 友人から受けたレクチャーの内容を一通り説明する。


 同僚は半ば呆然として言った。


「よくこんなことを思いつきますね」


 もちろん私が思いついた訳がないのだが、ここは話を合わすしかない。


「まあ、似た研究を知っていてな」


 同僚少し訝しげな顔をして、自分のデスクへ戻った。


 私が思いついた技術だったら、どれだけ良かったろうかとも思う。


 だが、人殺しが被害者を増やす事を防ぐためだ。


 子供たちから、不幸を少しでも遠ざけるためだ。

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