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僕の幸せ日記

作者: 夕海


 目を覚ましたとき、一番はじめに目に写ったのはコンクリートの無機質な天井だった。

 「目が覚めたか」

 声がして、首を右に動かしてみる。身体の中で微かな機械音がした。

 「…あなたは?」

 そこには顔かたちの整った若い立っていて、僕を見下ろしていた。優しい瞳だった。

 「私がお前を作った。博士と呼んでくれ」

 「博士……」

 上体を起こして博士の顔をまじまじと見つめた。黒い髪、黒い瞳、少し高い鼻――僕の辞書に『日本人』『イケメン』とあるが、おそらくこのような人のことを言うのだろうと考えた。

 「なぜ、僕を作ったのですか」

 きっと僕には使命があるのだと思った。ロボットは人間の補助をする役目があると知っていたからだ。

 「お前を作った理由は焦らずとも(のち)にわかる。お前は人間型ロボットだ。機械であること以外ほとんど人間と変わるまい」

 博士は何かを隠しているようで、でもそれを口にすることはなかった。不思議に思ったけれど、博士がそう言うのならいつかはわかるのだろう。僕はそんなことよりも、博士の話し方が年齢相応に見えないことがおもしろかった。おもしろいという感情を、僕は生まれた日に知った。

 出会いの季節にぴったりの、あたたかい春の日だった。

 

 しばらくして、僕は『テン』と名付けられた。理由を尋ねると、目が小さくて点みたいだから、だそうだ。そうならもう少し大きい瞳で作ってくれればよかったのに、なんて思う。

 「テン、いいか。この地球に生存する人間はもう私しかいない」

 ある日、庭を散歩しているときに博士は言った。

 伝染病が流行り、人類のほとんどが死に追い詰められた。そして、生き残ったのはごくわずか。次第にライフラインは止まっていき、人口は減る一方だった。政府も機能していない世界で、生き残った者は小規模な集団で慎ましやかに生活していた。そうして最後の最後に残ったのは博士だけなのだという。

 神様が怒ったのだ、と博士は呟いた。文明を発達させすぎて自然と共生することができなくなってしまった人間に怒りの矢を向けたのだと。

 「まるでノアの方舟ですね」

 僕が博士にそう言うと、博士は目を丸くして驚き僕を褒めた。

 「書斎で旧約聖書を読んだのか」

 「はい、宗教などはよくわかりませんが、内容はおもしろかったです」

 アダムとイブは禁断の果実を食べ、楽園から追放される。その後、人類は地上に繁栄しすぎた。そんな堕落した世界をリセットしようと、神は洪水を起こす。

 「でも、ノアのような存在はいないのでしょうか。それとも、博士はノアですか」

 誠実であったノアは神から洪水を予告され、神の言葉を信じおよそ100年の年月をかけて方舟(はこぶね)を作った。その舟に、彼の家族や動物のつがいを乗せ、やがて大洪水が起こり彼らだけが助かった。

 「私はノアにはなれん。この世界はもうすでに手遅れだ。聖書の時代はまだ自然を侵していないし、それらの点から言うと、聖書とは全く違う物語だ」

 博士と話しながら丘を登った。丘の上に大きな木がある。太い幹から伸びるたくましい木の枝。その枝の先の緑色の葉は生き生きとしていた。その木によりかかって、歩いてきた道を見下ろしてみる。そこには、はじめて目にする壮大な海があった。

 「それでも、綺麗なものは綺麗であり続けるのだよ。テン、その夕日が見えるだろう」

 水平線に沈んでいく赤い太陽が見えた。綺麗なものは、綺麗であるために存在するのではないのだという。綺麗なものは、見るものがいなくても綺麗なのだと。

 

 博士との生活は楽しかった。たくさんの発見があり、毎日がキラキラ輝いていた。

 僕は、生まれながらにして、人間が知っていたことのほとんどを知っている。しかし、それは概念として知っているだけであり、本質は体験しなければわからない。博士と生活する中で、僕は様々な感情を学んでいった。

 「人間は恋をすると記憶しています。美しく、儚いものだと」

 一日中部屋で読書をしていた日、僕は博士に聞いた。

 「恋というのは、どのようなものなのですか」

 博士は、少し困った顔をした。僕にはどうしても、恋というものがわからなかった。当たり前といえば、当たり前なのかもしれないけれど。博士を慕う気持ちとは違うものだと知っていたから、余計わからなかった。

 「私は――」

 博士は、口をつぐんでしまった。何かいけないことを言ったのだろうか。そういえば、僕は博士のまわりに生きていた人間のことを何も知らないなと思った。そこで、僕は質問を変えることにした。

 「…かつて、ここにはどのような人が住んでいたのですか」

 博士は僕の瞳をじっと見つめると、思いを馳せるようにまぶたをおろした。

 「それはそれは美しい女の人がいた……。私の初恋の相手だった」

 博士は、静かに目を開く。時間がゆっくり流れているように感じた。また、博士にとってその女の人との記憶が美しく儚いものだったというのもわかった。

 「でも、私は人間だ。ロボットと違って、多くのことは記憶できない。忘れてしまったことも多いのだ。今では、もう、顔すらはっきり思い出せない」

 博士は笑ったが、とても悲しげに見えて、僕の胸も少しだけ苦しくなった。愛おしく楽しい日々を経験したからこそ、それを失った今が悲しいのだと思った。

 「彼女と過ごした日々はとても楽しかった。……そして、それと同じくらい、今の私は、テンに出会えてよかったと思っているぞ」

 博士はそう言って微笑んだ。単純に嬉しかった。僕はちゃんと博士に必要とされているのだと実感した。

 「そんな僕を作ってくれたのは他でもない博士じゃないですか」

 僕は笑顔でそう返した。

 その後、「気分転換に散歩をしようか」と言いだした博士に連れられ、あの丘を登った。丘の上の木は随分と寂しくなっていた。枯れ葉が風に揺れて落ちていく。すっかり秋だった。あと少しで冬がやってくるという。

 

 そうして数カ月が過ぎた。

 雪が降り、家の中で過ごすことが多くなった。

 博士はひとりでお墓参りに行くと言って外に出てしまったので、僕は暇だった。ときどき博士は、お墓参りに行くけれど、絶対に僕を連れて行ってはくれない。夏目漱石の『こころ』に出てくる先生のように、博士はお墓参りのことになると(かたく)なに僕の付き添いを拒んだ。博士は人には言えない何かを背負っているのだろうかと推測してみた。

 暇を持て余し、何かやることがないかと考えた挙句、博士の部屋を綺麗にして驚かせてやろうという結論に至ったのは、ただの思いつきだった。滅多に入ることはない、博士の部屋。博士がいないときに入るのははじめてだったけれど、入るのを禁止されているわけではなかったし、特に深い意味もなく掃除を始めた。棚の上の埃は、博士が寂しく独りで過ごしていた年月を物語っているようだった。

 机の上に散らかったものをまとめていると、分厚いノートが目に入った。表紙には『No.101』と書かれている。どうやら日記らしかった。だれかの日記を勝手に読むのはよくないことだとわかっていたものの、僕は好奇心に負けてページをめくってしまった。

 そして、僕は知ってしまう。

 

 ――博士に残された時間を、知ってしまう。

 

 

 夕方、博士は帰宅した。

 「今日の夕日も綺麗だったぞ」

 帰ってくるなりソファーに座って博士はそう言った。

 正直、僕は悩んでいた。知らないふりをしてこのまま過ごすほうがいいんじゃないかと。でも、本当にそれでいいのだろうか。そうしたら、僕はきっと後悔する。

 「本当は、前に話した女の人のこと、明確に覚えているのでしょう」

 意を決して言葉を辿(たど)った。ストレートに聞く勇気がなかった。

 「なぜ、そう思う」

 「博士の部屋を掃除しました」

 部屋の空気が重たかった。もう後戻りはできないな、と思った。

 「それで?」

 「日記を――開いてしまいました。…すみません」

 博士は僕の目を見ていなかった。どこか遠くを見ているような感じがしたけれど、実際どこを見ているのか、どこも見ていないのか、よくわからなかった。

 「何がわかった?」

 暗くなった部屋に電気が灯る。卓上のゆらゆらと揺れる蝋燭(ろうそく)は、まるで僕の心のようだった。

 「博士は、人間ではありません。――ロボット、です」

 沈黙が訪れる。短いようにも、長いようにも感じたけれど、僕の体内時計はしっかりと2分21秒を刻んでいた。

 「そうか……。ばれてしまったなら仕方ないな」

 ようやく、博士は口をひらいて言った。その声色には、諦めと敗北の色が混ざっていた。怒りのようなものは感じられなくて、それが逆に僕の罪悪感を煽った。

 「すみません……」

 何に対して謝っているのか、自分でもよくわからない。勝手に日記を読んでしまった罪悪感だろうか。でも、何がどうであれ、謝らなければいけない気がした。

 そして、博士はうつむいて黙ってしまった。

 博士の日記は、いたって普通の日記だった。簡潔にその日にした内容が書かれていて、僕が生まれてからは僕のことも嬉しいくらいに書かれていた。しかし、人間ではありえないようなことが、すべての日の一番最後の行に書いてあった。――それは『あと○日』というカウントダウンだった。はじめは、何か大切な日へのカウントダウンなのかと思った。しかし、さらに昔の日記を手に取ったとき、僕は確信した。何年も前の日記に『あと3064日』と書いてあったのだ。それは、僕が推測するに、死へのカウントダウンだった。

 人間が自分の命絶える日にちを知っているだろうか。それを知り得るのは、ロボットだけだ。僕は自分が動かなくなる日を知っている。もっと言ってしまえば、自分がいなくなる時間を秒単位で知っている。それは、ロボットだから。

 「あなたの……本当の名前を教えてください」

 きっと、僕が人間だったら声は震えていただろう。声こそ震えなかったものの、うまく言えた自信はない。

 「09番だ。ナインと呼ばれていた」

 「……」

 僕は、何も答えられなかった。

 僕が博士からもらった名前が『テン』なのは、目が点のように小さいからとか、そんな理由じゃない。10番目に生まれたロボットだからなのだとそのとき悟った。そして、顔貌(かおかたち)が整っているのに反して話し方が物知りでジジくさいのはそれ故なのだ。

 「今から109年前のことだ――」

 博士は、その日の残された時間を好きだった女のロボット――名はエイトというらしい――について話してくれた。

 恋心を抱いていた相手との別れという悲しい感情を知ることがないように、博士は僕の性別を男として作ったらしい。しかし、大切に思っていたものの死は恋という形を持っていなかったとしても悲しいのだ。それを知っているぶんだけ、僕は博士より賢いと思った。

 

 博士とのお別れの日は、とてもあっけなく訪れた。いつもどおりに散歩をし、いつもどおりに話をした。

 博士は、自分がロボットであることを打ち明けるべきか、ずっと悩んでいたらしい。嘘をついたままであることが嫌だったようだ。

 博士の心臓が止まる10秒前、博士は私に向かって「一緒に過ごしてくれてありがとう」と言った。その時、僕が生まれてきた理由がわかった。博士は寂しかったのだ。ひとりで、この地球から消えてしまうのが、悲しかったのだ。隣りに居てくれる存在が欲しかった。それで僕を作った。僕の役目は、今日、この瞬間のためにあったのだと知った。

 僕は、博士の動かなくなった身体を、彼が好きだったという女の墓の隣に埋めた。

 

 

 幸せとは、怖いものである。大切なものをみえなくしてしまうから。

 

 

 博士の心臓が止まってから、僕は孤独な生活を送っていた。心の中にポッカリと穴があく、とはこのようなことなのだと悟った。博士との小さなコミュニティで過ごしていた僕は、この世界の1%も知らないのかもしれない。

 そんな、ただ時間を潰すだけの日常で、気づいたことがある。人間がいなくなった世界で動き続けているロボットは他にもいるのではないか、と。いや、そうであるに違いない。でも、もう少し博士との生活の余韻に浸っていたかったから、旅をしたいとまでは思わない僕である。

 博士と歩いた庭も、一緒に過ごした木の家も、博士が僕を作ったあのガレージも、全てがセピア色のように見える。これが切ないという気持ちなのだと知った。

 僕が完成する前、博士はただ独り、何を思ってこの世界に存在し続けたのだろうか。外見はまったく変わらず、書物だけで教養を深めながら、意味のない年齢を重ねていく。人間のいなくなった世界に、時間など必要のないものだ。決められた時間まで死ぬことが許されないロボットだけが、時間という檻に縛られながら、ただ虚しく動き続けている。

 そんなある日、あのコンクリートの天井のガレージで、人間型ロボットの設計図を見つけた。人間がこれを書いたのだろうから、きっと遥か昔からここに存在するものなのだろうと考えた。そして、これには9体のロボットの奮闘の時間が刻まれているに違いなかった。

 僕も同じことをしてしまうかもしれないな、と思った。この身体がただの機械の塊と化して動かなくなるとき、隣りに誰かがいることを望んで、僕は11番目を作ってしまうかもしれない。遠くない未来、この設計図に頼る日が来るのかもしれない。

 これはきっと悲しみの連鎖だ。人間がいない世界にロボットが生き続ける意味などない。どうして僕たちは感情を持ってしまったのだろう。今は亡き人間たちを憎めばいいのだろうか。そんなことを思ってみたりもした。けれども、僕は人間を恨むことはないだろう。だって、博士に出会えて心からよかったと思っているから。むしろ感謝しているくらいだ。

 博士がいなくなってはじめて、僕は幸せという言葉の本質を知った。大切なものを失わなければわからない感情もあるのだと知った。

 そう、僕は幸せなんだ。

 まぶたをおろせば脳裏に博士の笑顔が浮かぶ。博士の声が聞こえる気がする。

 久しぶりに散歩に出てみた。博士がいなくなってからもう随分長いこと行っていない、あの場所に行こうと思った。

 庭を抜け、丘を登る。雪はすっかり消えていて、緑が顔を出していた。後ろを振り返ると、昼間の海は穏やかな表情のままそこにあった。水面(みなも)に太陽の光が反射してキラキラと輝いている。心がホカホカして前に向き直り、丘の上を目指した。

 そして、僕は息を呑んだ。

 ピンク色の花びらがひらりひらり宙を舞っていた。

 とても綺麗だった。博士と一緒に見たかったな、なんて思ってしまう。

 今この瞬間まで、この木が、なんの木なのかなんて考えたことがなかった。

 それは、立派な桜の木だったのだ。

 

 ――春が、やってきた。


こんな未来が来るんじゃないかと、想像して書きました。あまり得意な分野ではないから言葉がたどたどしいなあと思います。

この話を書いているとき、YUIさんのcrossroadという曲をいつも聞いていました。この曲のメロディーがこの話のイメージです(歌詞はあんまり関係ないのですが…笑)。

高校3年生11月分の投稿でした。

読んでくださりありがとうございます!


夕海(ゆうみ)

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― 新着の感想 ―
[一言] とても、短いものでしたが 胸がチクっとしました。 胸がいっぱいになりました。
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