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machine head  作者: 伊勢 周
10章 新しい日常
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新しい日常


「くそ、まただ……!」


 薄暗い部屋に所々ぼんやりと小さな電灯が光り、その場所の飾り気がない武骨な壁を所々うっすらと照らしている。そんな場所によくお似合いな、重く低い声がぽつりと浮かび上がる。


「右腕が……有る筈のない右の腕が痛む……、くそ……くそっ……!」


 今にも誰かを呪い殺しそうな程の歪んだ表情で、汗まみれの額を拭いながら、フラウアは右の肩口を抑え付ける。彼の右腕は、今彼が生まれ持った生身の腕は無く、代わりにものものしい機械のアームが取り付けられているのだ。そう、彼の右腕は生方宗助が切断した。フラウアが今苦しめられているのは幻肢痛という奴で、有る筈のない腕が、脳に激しい痛みを訴えかけるのである。当然、存在しない身体の部分にはどんな名医でも施せる治療は無く、出来る事と言えば、ただ本人がじっと耐える事だろうか。


「フラウア、薬を」


 彼といつも共にいるシリングが、水が注がれたコップと一粒の錠剤を差し出す。フラウアは礼も言わずにそれをシリングの手から奪い取るように自らの左手の手中に収めると、乱暴な仕草でそれを呑み込み、一気に水を喉に注ぎ込んだ。水を飲み干すと、コップを床に放り投げて息継ぎをする。


「生方……宗助……」


 そして呼吸を落ち着けると、奥歯を食い縛りながらその名前を腹の底から絞り出す。まるで憎悪の塊を口から吐き出しているように。


「もう……やめだ……」

「……? 何をですか」

「ブルームにいちいち従うのを、だよ。……生方宗助は僕自身の手で必ず殺す。それでなければ、間違いなくこの痛みが晴れる事は無い……。シリング、僕達は、ブルームの下らない幻想に付き合うのはやめにするんだよ。今日限りでな」

「ですが――」

「お前も僕と来い。誘っているんじゃあない、これは命令だ」

「………………。わかり、ました……。ですが、具体的にどうするつもりで……?」


 痛み止めが早くも効きはじめたのか、先程よりも少し落ち着いた表情でフラウアは立ち上がり、どこかに向かって歩きはじめる。シリングもその後をすぐについて歩き始めた。彼の機械仕掛けの右腕が鈍い音を立てて動く。


「ブルームの大事な大事な収集道具をちょっとばかし拝借するのさ。……せいぜい、有効に利用してやろうじゃあないか……。きっちりと、本来の使い方で、あの鬱陶しいツバメ共も、ブルームの目的も、全部めちゃくちゃにかき回してやるよ。そして、奴は、必ず僕のこの手で殺る。いや、その前に生け捕りにして……その家族も、友人も目の前で殺してやる……。クフフ………ハハハハッ! やってやる、やってやるぞッ! どんな顔を見せてくれるのか、楽しみだッ!」


 シリングはその言葉を聞きながら、怒りを超えた狂気が見え隠れするフラウアのその表情に若干の恐怖を覚え、汗が滲んだ。だが、彼もまた、そこで立ち止まるという選択肢を持ち合わせていなかった。


「……待っていろ、生方宗助……」



 *



 暗闇の中で、妙な浮遊感。まるで脳や内臓までもがふわふわと体の中を浮かんでいるような奇妙な感覚。足を落ち着ける場所を探してもぞもぞと足を動かすが、上手く動かない。前にも後ろにも進めないまま、目の前の景色は少しずつ開けて行った。


『――さん、お花がすぐに枯れちゃった』


 霞がかかった景色。色がハッキリとしない、セピア色の視界。少女が摘んだ一輪の花が、一瞬にして生気を失い枯れ果てた。その事実に少女自身が一番驚き、悲しみ、その理解不能な現実の答えを母親に尋ねているようだ。


『――……』


 母親らしき人物は、複雑そうな顔で、その娘から差し出された枯れた花を手に取って眺めていた。

 場面転換。

 どこか、住宅街の一角。


『ねぇ、――は、どこ行――の?』


 子供がぐずっている。小さな女の子が泣きながら、母親らしき人物に縋っている。


『――は、必要な事なの』


 そして、母親らしき人物が、諭すような声で、子供に何かを言い聞かせている。


『リルはすぐに泣くなぁ。――はすぐに帰ってくるから、その時までしっかり待っとくんだ』


 今度は、男性の優しげな声が聞こえてきた。


(――……リル……? リルだって……?)


『コウスケおじちゃん、レナは、いつ帰って来るの?』


 少女が、自分の方を真剣な瞳で見つめながら尋ねる。


(……コウスケ……おじさん……。あれ、コウスケってどこかで―)


 その時、急速に視界が白けていき、まばゆい光に包まれ――。



「ッ!」


 ぱち、と、実際に音がしそうなくらいすごい勢いで、宗助のまぶたが開いた。カーテンの隙間から朝陽が漏れて、宗助の顔に少しだけ注がれている。


「……久々に見たな……変な夢」


 差し込む光から逃げるように布団にくるまって、宗助はぽつり呟いた。いつも断片的で目覚めた時には思い出せなくなっているのだが、その夢を見た、という事だけは知覚している。毎度毎度その夢は心をひどくざわつかせる為、精神衛生上良くないとまで感じていた。だが見たくないからと言って悪夢の類を見ないで済む訳でもなく、眠りに就けば、忘れた頃に突然それはやってくるのだ。一体この夢の正体はなんなのだろうか。宗助はその妙な夢のせいで、まるで誰かの記憶のビデオでも再生させられているような、さながら自分が別人になったような妙な気分の悪さを覚えさせられていた。


「精神科か……。いや、脳外科だったり……」


 ぼそっと呟いて、寝ぼけ眼のまま宗助が時計をちらりと見ると、起床時刻の三十分前。


「なんでもいいや……。もうちょっとだけ……」


 宗助は再び目を閉じて、よくわからない夢の事も部屋の隅あたり置いておいて、心地よい二度寝の世界に心も体も委ねるのであった。




 午前六時半を少し回った所。寝坊などというものはその日の宗助には無縁の物で、しっかりと起床時刻に再び目を覚ました彼は、顔を洗って髭をそり、ベッドの上にかけている制服を手に取り着替えを始めた。しかし謎の夢の効果は嫌な意味で絶大で、ろくに内容を思い出させない癖をして、夢を見なかった日と比べると随分と心が重たく感じられる。夢占いなんてものがあるくらいなので、起きた直後に思い出せる範囲でノートに書き留めていこうか、等と考えながら着替えを終えると、宗助は朝食にありつくために部屋を出て食堂に向かう。

 朝の七時前、既に食堂はそれなりの賑わいを見せており、様々な人々がそれぞれの朝の食事時間を過ごしていた。中には研究職らしき人が、草臥れた研究服、ぼさぼさの頭、崩れた化粧のままもそもそと朝食にありついているという姿も見受けられた。大きな目のくまが彼女の鬱蒼とした森のような雰囲気を手助けしている。


(徹夜だったのかな……大変だな……)


 見た目だけで判断して、その女性職員に同情していた宗助だったが、そんな彼の耳に近頃よく聞くようになった声が届いた。


「はーい、食券をおあずかりします! ……えっと、モーニングセットA、一つー!」


 厨房の奥へと注文を伝える声に、


『はいよー、モーニングA一つね!』


 おじさんの元気な声が返って来る。


「えっと、それじゃあ、この番号札の番号でお呼びしますので、……あれ、番号札が、あれ?」

「……はは、慌てずにやってくれよー」


 食堂の客とそんなやりとりをしながらも、提出される食券を懸命に捌き、その内容を大きな声で厨房に伝えているその人物は、紛れもなく宗助の友人であるリル・ノイマンその人であった。頭にバンダナを巻いて、千咲の影響だろうか、短めの髪型にも関わらず、ポニーテール気味に髪の毛を纏めて、小さな紺色の尻尾をバンダナの結び目からちょこんと出している。


「……リル!?」


 意外な人物があまりにも意外な場所に居たので、思わず宗助はひっくりかえりそうな声で彼女の名前を呼んだ。なんとかかんとか、といった様子で食券を捌いていく彼女の動きはとてもめまぐるしくて、見ている方がなんだか疲れてしまう程だった。


「なんで食券整理なんてしてるんだあいつは……」


 働く彼女を暫く見つめて、小さく呟く。すると次の瞬間。


「おはよう、生方君」


 独り言を呟いていた所に突然後ろから声をかけられ肩を叩かれ、そんな不意打ちに宗助はびくっと身体を緊張させる。ばっと振り返ると、そこにはやはり頭にリルと同じバンダナを巻いて、エプロンを装備したジィーナが居た。彼女の黒い髪の毛はアップにまとめて、バンダナの結び目から逃がしている。


「……なんだ、ジィーナさんですか、驚かせないでくださいよ……」

「なんだとはご挨拶ね。私はおはようって言ってるんだけどー?」


 ジィーナが少し大げさなイントネーションで挨拶を促すと、宗助も苦笑いしてそれに応える。


「……お、おはよーございまーす。ところで、その格好は……」

「見てわからない? 私とリル、昨日の夕方からここで働いてるの」

「昨日からですか!? すごいですね、昨日来たばっかりでしょ?」


 昨日、つまりジィーナがアーセナルに運び込まれた翌日からリルとジィーナはこちらへの引越を済ませて、二人共すっかりアーセナルの職員という扱いになった。当初千咲がジィーナを勧誘したのはスワロウの戦闘員に、という事だったのだが、稲葉の認識としては入隊と言うよりはドライブ能力を持った不審者に襲われる頻度が高い為、解決するまで保護、という形であった。

 更には、先日の一件で大怪我をした上に、いきなり前線で戦わせるのはどうなんだという事で、ひとまずはジィーナをアーセナルの職員として扱って、いずれ時が来れば戦闘面でも手助けしてほしい、という事で話が落ち着いた。彼女達には特にそういった話を通した訳ではないのだが、ジィーナ自身は、言われたことを素直に遂行しようとしていたので、特に異論があるわけもなく従事していた。


「初日からやらなくてもって稲葉さんからも言われたんだけどね、特にやることもないからさ。岬ちゃんのお蔭で怪我もなんとも無いし」


 経理担当だとか、設備の補修や必要資材購入を担当する部署など、様々な部署で「来てくれるならありがたい」という歓迎の言葉を貰いうけていた彼女達だったが、リルが「もっと料理をおいしく作れるようになりたい」と言うので、それが鶴の一声となり、オファーがあった部署の一つである食堂での勤務が決まったのだ。


「という訳で、今朝もこうして働いてるって訳。といっても、いきなり料理させてくれる訳なくて、夕方とか夜とか、空き時間に料理の練習させてもらえるよう、お願いしているの。私は台拭きとか掃除とかやってて、あの子はまぁ、ご覧の通り接客っていうか、食券捌き。あっちの方が大変だろうけど、リルにはああいう人と話す仕事の方が必要だと思うのよ」

「へぇ……確かに」

「そういう訳で、これからよろしく。私もさっさと仕事に戻らないと怒られちゃうから行くね。じゃあ、今日も頑張って」

「あ、はい」


 大人の女性の笑みを湛えて宗助にエールを贈り立ち去る姿は、エプロンとバンダナ姿だというのに妙に華麗に決まっていた。この後食券を持った宗助がリルに提出しに行き、彼女が余計にあたふたし始めたのは言うまでもない事である。



          *



 ブリーフィングルームにて、現在アーセナルに居るスワロウ特殊能力部隊が勢揃いしていた。

 宗助は不破の指導の下でドライブを磨いているのだが、その不破が「ドライブを使いこなすには、自分の力へのプラスのイメージが大切だ」と言うので、まずは良かった時の事を頭に染み込ませる事が必要だという事となり……訓練の一環として、そして他の面々としても仲間として知っておくべきことだとして、宗助は以前のトレイン・ジャック事件の記録映像を見ていた。宗助は、目の前のモニターに映る自分が宙を舞い、鉄を切り裂き、周囲の物を吹き飛ばしている姿を見てぽかんとするしか無かった。それは宗助自身にわかには信じられないものであったが、彼が見ている物は何も映像は加工されていない『事実』を映した記録ビデオである。


「本当に何も覚えていないのか」

「……はい」


 宍戸が映像を見つめたまま、宗助に確認を取る。宗助も映像を見つめたまま、ただそれだけ返事をした。


「本当に、これが自分自身なのか、今も信じられないくらいで……」

「あんた以外の誰だっつーのよ、これの」


 千咲がつまらなさそうな顔で呟いた。彼女も相変わらず映像から視線を外していない。


「まるで、天屋隊長を見ているようだ」


 その部屋の誰が呟いたのかはわからなかったが、そんな事を言われても宗助にとっては赤の他人だ。自分に似ているその人物がどれだけ凄い人だと言われても、彼にとっては教科書に載っている白黒写真の偉人達となんら認識は変わらない。ただ、純粋に会ってみたいとは思っている。数年前に姿を消したと言う彼に。


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