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machine head  作者: 伊勢 周
9章 オブジェクトダイバー
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似た者同士


 ジィーナを運ぶ車中。千咲は携帯電話を取り出して、軽快な指捌きで画面にタッチして電話をかけ始めた。連絡先は、お馴染みとなりつつある生方宗助である。


『もしもし。一文字か』


 たった二回のコールでつながった。どうやら連絡を今か今かと待っていたらしい。


「あ、おーい、宗助? あんた今どういう状況?」

『どういうもこういうも、お前に言われた通りリルの家でリルと一緒にいるさ。ジィーナさんは無事か? 俺は今からどう動けばいいのか教えてくれ』

「あぁ、心配御無用。ちょっとひと悶着合ったけど解決済み。そんじゃあ、リルを連れて今すぐ基地まで戻ってきて。最大最上の注意を払うのを忘れずにね」

『よしわかった』

「あ、ちょっと待って。ジィーナさんはこっちで保護しているんだけどさ、とりあえず今晩は基地で泊まってもらうから、ジィーナさんの着替えを一式揃えて持って来てほしいんだけど」

『……お、俺がか!?』


 電話の向こうで宗助の素っ頓狂な声が響く。女性の着替えを持ち歩くなど、妹の物でも気恥ずかしさを感じる程の彼にとっては、年上の綺麗なお姉さんの着替えを持ち運ぶ等、大役である。……が。


「……。リルに持って来てもらうに決まってんでしょ。何考えてんの、この変態は」

『へんっ……! お前なぁ、今の言い方じゃそんなもん……』

「なにっ?!」

『……いや、なんでもない。わかったよ。リルに伝えておく。他に必要な物は?』

「ったく。……とりあえず今日は着替えだけでオッケー。詳しい話は基地で直接するわ。そんじゃあ、任せたから」

『了解』


 千咲は電話を切り、そのまま携帯をズボンのポケットにねじ込んだ。


「これであっちもよし。それで、ジィーナさんのこの血だらけジーンズは私のと一緒にクリーニングに出しときますね。つっても、こんなに穴だらけじゃもう着れないかなぁ。ダメージってレベルを遥かに超えてるし」


 千咲が、血まみれのジーンズを広げて見せながら言った。それは赤と言うよりも、空気に触れて酸化したことにより黒く変色している。それを見たジィーナは何かに気付いたようで、自らにかけられている毛布を少しめくった。


「もしかして、私、今下に何も履いて無いのっ?」


 そして、少しトーンの高い声で言った。


「だ、大丈夫ですよ、下着はちゃんとそのままですから……」

「下着だけでも充分恥ずかしいよ! いつから!? あー、もう……自業自得って奴だろうけど」


 あまりフォローになっていない岬のフォローに対してツッコミを入れつつ、血の気が少ないと言うのに顔に血液を集め赤らめさせて、ぶつぶつと独り言を言っている。


「で、でも、その、ほら。まじまじと見たのは私ぐらいですし……、まだ体しんどいでしょ、安静にしていてください」

「あー……恥ずかし……。まじまじとって事は、そんじゃあちらっと見られたりはしてたって事でしょう……はぁ……」


 そう言ってため息を吐くジィーナに岬はただ苦笑いを浮かべる。救助・治療中に他の男性隊員の数名がしっかりとジィーナを見ていた事は、自分の心の中だけに秘めておくことにした岬であった。



          *



 彼女たちがアーセナルに戻ると、不破や稲葉が出迎えた。彼らとの帰還の挨拶もそこそこに、ジィーナはすぐに医務室へと運ばれ、ベッドに寝かしつけられた。

 一方で、千咲に呼び出された宗助とリルも、数十分の差を以て無事アーセナルに帰還しており、宗助がリルを連れて基地内を進んでいた。今度は宗助から千咲へと連絡したところ、ジィーナや千咲は医務室に居るとの事だったので、まっすぐに医務室へと向かっている最中である。

 ゆっくりめのペースで歩く宗助の背中を追って、リルはそのすぐ後ろをちょこちょこと付いて行く。背中に少し大きめのバッグを背負っていて、歩くたびに上下に大きく揺れる。中身は彼女と彼女の保護者の分の着替えだ。


 既に時刻は午後十一時を回っているとはいえ、基地内にはまだ職員や隊員達が多く働いており、彼らはすれ違うたびに見知らぬ顔のリルに好奇の視線を向ける。基地内では基本的に制服で歩くし、様々な意味で話題の人である新人・生方宗助の後ろを歩く彼女は、どうしても職員達の目についてしまうのだ。そういった視線に滅法弱い彼女は俯いて、宗助の踵だけを追いかけて歩く。

 基地内を歩いて数分が経った頃、宗助がリルに話しかける。


「不安か?」

「え?」


 リルは顔を上げて返事をする。


「ジィーナさんの事。……ま、俺も詳しくは知らされてないけどさ、一文字が心配御無用って言ってたし、それ程大事じゃないって。大丈夫さ」


 宗助は歩きながらそれだけ言って、また前へと歩き始めた。だが、そんな一言でも彼女にとっては絶大な効果を持っていたようで、リルは「うん」と返事をして、再び宗助の後ろを歩きはじめる。表情に先程までの固さは無く、足取りもほんの少しだけ軽やかだ。しかし、またしても周囲からのあからさまな視線を感じ、顔を赤くして俯いてしまう彼女であった。

 そんな風に前を見ずに歩いていれば当然かもしれないが、宗助が立ち止まるとその背中にぶつかってしまった。


「むぐっ」

「……? なにやってんだ」

「ご、ごめんなさいっ」


 リルが視線を上げると、医務室と書かれた札と飾り気のない扉があった。


「着いたぞ、ここだ。一文字とかもここにいる筈なんだけど……」


 宗助がそう呟きつつドアの前に立つと自動扉が静かに開く。そのまま室内に入り左右を見回すと、備え付けのソファに稲葉と不破が少し疲れた表情をして座っていた。


「お、宗助。ご苦労さん」

「ご苦労だったな、宗助」

「いえ、そんな、大した事してませんよ。それより、ジィーナさんは?」


 二人がそれぞれ宗助に労いの言葉をかけると、宗助も素直に言葉を返した。不破はそんな宗助の言葉に対して「言うようになったなぁ」などと呟きながら、親指でくいっと、カーテンで仕切られたブースの一つを指さした。

「ありがとうございます」


 宗助が不破に礼を言って、そのまま指さされたブースに向かうおうとするが、「今はやめとけ。進入禁止」という不破の言葉ですぐにその行動は止められた。


「やめとけって、なんで」


 宗助が当然の疑問を彼にぶつける。すると代わりに稲葉が説明した。


「ジィーナさんが怪我をした部分を診ているんだ。いろいろと聞きたいところだが、野郎はシャットアウトになるのはまぁ当然だな。俺達は、今は岬と平山先生の診察が終わるのを待っている状態って訳だ」

「あぁ、なるほど……」


 宗助はその説明に納得したという顔をして、そして次に後ろを振り返った。リルが入口から一歩入った所で、こわごわといった様子で室内を見回している。宗助がそんな彼女に話しかけようとした瞬間だった。


「あ、宗助。おかえり。リルは?」


 カーテンで仕切られたブースからひょっこり顔だけをのぞかせて、千咲が宗助に声をかけてきた。


「あぁ。ただいま。リルもちゃんと連れて来た」


 宗助が視線で彼女の存在を千咲に伝えると、千咲はブースから身体を出してリルへとゆっくりと歩み寄った。


「リル、お疲れ様。さっきは突然部屋飛び出してごめんね」

「んーん。大丈夫。それより、ジィは?」

「うん、ちゃんと無事よ。こっちおいで」


 千咲はリルの肩を抱いてブースの方へ歩くように促した後、「あ」と何か思い出したような仕草で振り返る。


「宗助、お疲れ様。今日はもう休んでいいよ。いろいろありがと」

「あぁ、おう。いや、でもまだしばらくここにいるよ」

「そ。まぁ、明日に響かないようにね」


 そして宗助に対しては先程変態と罵ったとは思えない程優しい口調で労いの言葉を遣り、二人はそのままブースの中に入っていった。そこで不破が続いて、宗助に言う。


「宗助、千咲の言う通り、後は俺達がやっとくから上がっていいぞ。お前、今日はだいぶ訓練でしごかれてただろ。明日は久々に俺がつきっきりで色々やるし、倒れられても困るからな」

「……いえ、俺もいますよ。気になりますから」

「そうかよ」


 不破は「倒れてもしらねぇぞ」と付け加えて脱力してソファにもたれかかると、宗助もソファの一角に腰を下ろした。



 ブースの中に入ったリルが目にしたのは、少し不健康そうな顔色で横たわるジィーナの姿だった。


「あ。あなたがリルちゃんね。初めまして、こんばんは。私、瀬間岬っていうの。よろしくね」


 ブースに入ってきたリルに、岬が微笑みかけて自己紹介すると、「は、初めまして」と、リルは少し硬い面持ちで岬に言葉を返した。


「あの、その。……ジィは今、どういう状態なんですか」

「えっと、ジィーナさんは……」

「大丈夫よ、リル。心配しないで。その人が私の怪我を治してくれたの」


 不安を前面に出した表情でリルが岬に尋ねると、岬が答える前にジィーナ本人からの答えが返って来た。ジィーナはゆっくりと上半身を起き上がらせる。


「ごめんねリル、心配かけて。晩御飯はちゃんと食べた? お腹空いてない?」

「なんで、ジィが謝るの? ……また、わたしのせいなんでしょ?」

「………違うわよ。何言ってんの。ずっと家に居たあんたが、どうやって私に怪我させる訳?」


 今にも泣き出してしまいそうな震えた声で言うリルに対して、ジィーナは馬鹿な事を言うなと言わんばかりのばっさりとした口調で言い返す。


「だって、きっとわたしの事を狙う人に襲われたんでしょ!?」


 リルは大きな声でジィーナに言い返す。ジィーナは彼女のその一言に一瞬言葉を失ってしまう。リルの目は充血しており、鼻の頭や頬は紅潮していて、目じりには既に涙が溜まっていた。震える声で、彼女は続ける。


「わたし、こないだの事、すごく反省してるの。近頃、変な人が狙ってくる事が無かったから、大丈夫だと思って勝手に外に出かけて、そしたら宗助や千咲ちゃんに怪我させたり、迷惑かけたりして……他にも、沢山の人に迷惑かけて……。それなのに二人共、わたしにすごく優しくしてくれて、気にしないでって逆に励ましてくれて……。ジィだってそう。いっそ『お前のせいだ』って言ってくれた方が……!」


 それ以上、リルは喋ることが出来なかった。喋ろうとしても、口から出てくるのは言葉にならない嗚咽だけ。涙を拭うハンカチもなくて、リルは両手で顔を覆うようにして涙を抑えた。


 ――本当は、こんなことを言うつもりではなかったのだ。


 無事で良かったと言って、こちらの方から『迷惑をかけてごめんなさい』と謝るつもりだった。それがあろうことか、ジィーナの方から謝ってきたのである。

 たったのそれだけ。それだけでリルの心はぐちゃぐちゃに混乱してしまった。今回だけでは無く、これまでにも同じような事を繰り返してきて、その結果、彼女の心にじわじわと気付かないうちに積み重なってきていた罪悪感が満杯になって、溢れた分の逃げ場もなくて、そしてそれをリル自身が一番ぶつけるべきではないと思う人にぶつけてしまったのである。それ以上言えば、ジィーナの思いやりを全て踏みにじる事になる。早く謝らなければ、きっとジィーナを傷つけてしまう。そんな風に思う心がある一方で、大部分は未だにぐちゃぐちゃで、相変らず涙と嗚咽ばかりが溢れて来て、言いたい言葉はでてこない。


 千咲も岬もなんと言葉をかけていいものか判断できず困惑顔でただ傍観し、平山は二人と違いその進む先をただただ見守る為に傍観を決め込んでいた。数秒沈黙が続き、そして次に起こった事はというと――。


「ぷっ」


 ジィーナが噴き出した。そして顔を覆って泣くリルの頭に優しく掌を乗せる。


「な、で、笑うの、よぉ……!」

「ほんと私達って、似た者同士って思ってさ。なんか面白くて」

「……え?」

「今さっき、千咲さんに怒られたばっかりなんだ。なんでもかんでも、自分のせいだって考えてちゃダメだって。それでね、自分が助けて貰ったり迷惑かけたりしたら、その分を別の事でとりかえせばいいんだって。ねっ?」


 ジィーナは千咲に目配せして、千咲は照れくさそうに視線を外して、自らの後頭部を撫でて「いやぁ、はは」などと言いながら照れ笑いをした。


「だからあんたも、そんなに自分の事を悪く考えるのはやめなさいな。そもそも迷惑だなんて思ってたら、十年も一緒に居ないっつーの。私は、好きであんたと居るのよ」

「……うん」


 リルは嗚咽を落ち着かせながら、自信の頭に乗る掌の温かさと、ジィーナの優しい言葉をただただ享受していた。


 カーテンがシャッと音を立てて、ブース内からゆっくりとジィーナが出てきた。そして目を真っ赤に腫らせたリル、千咲と岬、そして最後に平山が出てくる。同時に、外で待機していた男性陣が揃って立ち上がる。


「何か異常は?」


 彼女たちの顔を見て早々に稲葉が平山に尋ねると、平山は「特に悪い所は無いよ。後は安静にして、栄養沢山とって、体力の回復を待つだけだね」と言ってにこりと目じりを下げた。


「千咲さん、岬さん、平山さん。それに生方君、不破さん、稲葉さん」


 ジィーナは名前を呼んだそれぞれの顔を、瞳の奥まで見る様な真剣な眼差しで見回す。


「今日は私たちが――、……いいえ、今日も本当に、お世話になりました」


 そして深々と腰を折って頭を下げて、医務室に居る面々に礼をする。誠意と感謝が余すことなく伝わるように、腰を折ったまま、じっと頭を下げ続ける。体調を心配した岬が彼女の頭を上げさせるまで、彼女は頭を下げ続けた。


「こんな言葉だけでは伝え切れない程、感謝しています。それはリルも同じ気持ちだと思います。だから……微力ながら、私たちはあなた達の力になりたいと、今心から思うんです」


 ジィーナがそう言うと、リルもこくんと小さく頷く。


「俺達は、別にあなた達に感謝されるような特別な事はしていない」


 ジィーナの言葉を聞いて、稲葉が言う。彼が今醸し出す雰囲気は、優しさでも厳しさでもない、ただただ何も変わらない普通さである。


「恩義を感じているのならその必要はないし、恩返しをしようと思うのなら俺達は逆に困ってしまう。我々はやるべきことをしただけ。気にしないで欲しい」


 ジィーナは稲葉の台詞に困惑した。千咲の話では人手不足という事で、自分なんかで良ければいくらでも働いてその人手不足を埋めて、感謝の気持ちを表そうと思っていただけに。


「それはそれとして、こんな時にこんな話をするのもなんだが……」


 ジィーナの困惑を余所に、稲葉は一人話を進める。


「うちの基地は、設立されてまだ日が浅い。まだいろいろな部分で人手が不足していてね」

「……? ……え? え?」

「どうだろうか。あなた達さえ良ければ、住み込みで働いて貰えればと思うんだが」


 不破や千咲や宗助は、稲葉の下手くそな芝居と、それに困惑するジィーナの表情の組み合わせがたまらなく愉快に感じて、今にも吹き出しそうなのを堪えていた。岬は話の流れがよく掴めずにはてな顔で、平山は苦笑い。


 宗助が予測する稲葉の心情は、きっと『恩義だとか、そんなものだけで共に居てほしくは無い』という物だった。世の中にはそういった物を美徳とする感覚は間違いなく存在するが、宗助や不破や千咲が知る限りでは、稲葉はそういった類の動機を好まない。だが、この流れで行くとその方向からは逃れられそうにもない。だから、恩義を果たす為ではなくて、『こっちが頼み込んで』と言う形に仕立てようとして、その為にアドリブで一芝居打ったようなのだが、しかし不自然極まりなかった。

 リルとジィーナがそんな心遣いに気付いていたかどうかは定かではない。だが今回の一件は、一応の所で収まりがつこうとしていた。


「はい、是非、よろしくお願いします!」


 元気よく返事をする彼女達の素性に関しては、今の所やはり全く謎のまま。そんな素性が不明な人間を仲間に引き入れるというのは如何な物かと感じる人間もいるだろう。けれども、その場にいる面々は誰一人としてそんな風には考えなかった。もちろん、交われる部分、交われない部分は必ずあるだろうが……それでも、彼らはジィーナとリルを、問題なし、と判断した。


 少しだけ遠回りはしたものの、晴れてこの日から、ジィーナ・ノイマンとリル・ノイマンの両名は、アーセナルの一員となったのであった。


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