甘える
千咲はゼプロが完全に気を失ったことを確認して刀を鞘に納める。
ちなみに彼女が灯した熱は、彼女が再度触れる事で温度は元に戻る。更にその熱を自らのエネルギーと出来るおまけつき。還元率はあまり高くないが。
土手の上から何台かの自動車のエンジン音と、それに続いてブレーキによってタイヤと地面が擦れる音、そして自動車の扉が開く音がして複数の人の声が飛び交う。
「お、ぐったいみーん♪」
千咲が音のする方に顔を向けると、ひょこっと男性の顔が姿を見せた。それは千咲も良く知っている顔、スワロウ特殊部隊隊員である白神弥太郎だ。
「白神さーん、お疲れ様です」
千咲は笑顔で挨拶するが、その千咲を見た白神は珍しくぎょっとした表情を見せて、すぐに土手の階段を駆け下りて彼女に駆け寄った。
「千咲さん、大変だっ、その怪我、早く手当てしないと!」
「あ、えっと、その……。た、大したことないですよ、こんなの」
白神の真剣な表情と態度に気圧され、千咲は笑顔を苦笑いに変えつつも手をプラプラさせて『大事には至っていない』とジェスチャーで表す。だが白神はそんな千咲の言葉には耳を貸さずに、相変らず真剣な表情で千咲の手を掴み、半ば強引に彼女を引っ張る。
「その出血量で大したこと無い訳がないでしょう、岬さんの所に行きましょう、早く」
そう言って、白神は千咲をぐいぐいと無理矢理岬の居る方へ更に引っ張っていこうとする。だが、当人の千咲は、乱暴にならないように自らの手首を掴む白神の手を優しく解いて、困った表情も少し混ざった苦笑いを浮かべて、拒否した。
「だ、大丈夫ですよ、一人でもいけます。それよりも白神さん、じゃあ、そこでノびてる黒い男を代わりに確保しておいてください。そいつが今回の犯人です」
「……。……わかりました。任せてください」
「すいません、雑用押し付けちゃって」
「構いませんよ。それよりも早く―」
「あ、はい。すぐに軽く手当てしてもらいますから、そんなに心配しないでください」
「心配は……。いつだってしています、僕は……」
「あ、そうだ、白神さん。そいつね、簡単に言うと物の中に隠れる能力を持っているんで、手錠だけじゃ逃げ出すかもしんないんですよ。しっかり手足がっちり縛っちゃってくださいね」
「………あぁ。はいはい」
「それじゃあ、すいません、お願いします!」
そして千咲は、本当に首筋の傷などなんともないといった様子で白神の横を抜けて階段を駆け上がっていった。千咲の後姿を見送った後、白神は右手に微かに残る彼女の微熱を感じつつ、その自らの掌に視線を移す。
「はぁ……」
白神の口から、珍しく一つため息がでた。いつまでもその場に立ち尽くしている訳にもいかないので、本来の目的で、今しがた千咲に任せられたゼプロ捕縛を遂行するために足を動かし始めた。数人の武装した人間が、よく訓練されているのだろう、揃った足取りで白神のもとへと駆け寄る。
「周囲に人影はありませんが、迅速に作業を終わらせてしまいましょう」
「了解」
その言葉を合図に、彼らは惚れ惚れするほどの手際の良さでゼプロを拘束し、あっという間に連れ去る準備を終わらせてしまった。
未だに目を覚まさないゼプロを見ながら、白神は立ち尽くす。じっと、まるで釘を打ち付けられたように、ゼプロから目が離れない。
自然と、拳に力が入る。彼女の首筋の傷、そして出血。
視線で『噛み殺せそうな』程の殺意を載せて。
(この………この男が……)
「――さん。……みさん!」
「…………」
「白神さん!?」
「……。……あ、はい。なんでしょう」
武装した隊員の一人に声をかけられて、はっと、白神はどこか遠い場所へと飛んでいた意識を取り戻し、いつものアルカイクスマイルを張り付けて返事をする。
「なんでしょう、じゃあありませんよ、ボーっとして。白神さんに同行してもらわなければ、我々も動けません」
「すいません。すぐに」
白神は先を行く隊員達のすぐ後ろに付いて、何事も無かったかのように歩き出した。
「……少し、疲れているのかな……」
白神は今沸き上がっていた自らの黒い衝動と感情に、少し困惑気味に呟く。彼の独り言は夜霧と共に、誰にも届かず宙に溶けた。
千咲は土手の階段を登ったすぐ上、ジィーナが倒れていた場所にまで戻ってきた。そこには岬が来ており、ジィーナに治療を施している真っ最中であった。
「とりあえず、刺傷部の止血と治療は完了しました。ですが刺傷の他に打撲が多数・肋骨も折れているかもしれません。後は車のなかで検査と治療をするので、車の応急スペースの方へ運んでください」
千咲がそこに着いた時、岬が周囲の医療班へてきぱきと指示を飛ばしていた。ジィーナの治療はひとまずヤマを越えた所のようで、口ぶりからして命には別状はないようだ。
「お疲れさん、岬」
「あ、千咲ちゃん。お疲れさ――」
千咲を見た岬は、挨拶の途中で絶句、白神と同じくぎょっとした表情に変わった。
「なによ、岬までそんな顔して」
「だって、血が! すぐに診るから、こっちきて!」
「あー、だからほんと、そんなに大したことないから焦らなくてもいいって」
千咲は再び苦笑いを浮かべてそう言った。一体自分はどのような出で立ちなのか鏡で見てみたいな、などと思いつつ、千咲は今まさに運ばれようとしているジィーナの元へと歩み寄った。そんな千咲に対して、岬が仕方なさそうに歩み寄って、『ほら、ちゃんと肩見せて! バイキンでも入ったら大変だから!』と世話焼きの母親の様なセリフを言って傷を見せるように促す。
千咲は「はーい」と気のない返事をして、大人しく自らの首筋の傷を見せる。
「この人がジィーナさんだよね? ……気を失っているけど、外に見える刺傷は塞いだし、あとは他のケガも治せば、しばらく安静にしておくのは絶対だけど、ちゃんと元通り元気になると思う」
「そっか……。良かった」
千咲は、今まで堆積していた緊張を開放するように、大きく息を吐いた。
「じゃあ安心したところで、ほら、首筋みせて、早く!」
「はいはい。…いたた! 触り方が厳しいって、岬!」
「充分優しいよ! これで痛むなら、それだけ傷が深いって事! もうちょっと千咲ちゃんは自分を大事にしなさい! わかった!?」
がみがみと人差し指をたててぶんぶん振り回しながら岬は説教して、それに対して千咲は諦観の表情でこう言った。
「……はぁーい、わかりました。岬先生」
*
ジィーナはストレッチャーに乗せられ、手際よく車の後部スペースに収容された。医療班が二名運転席と助手席に乗り込むと、その後部スペースには岬が乗り込んだ。彼女は早速車に取り付けられた医療器具をいじくっており、続いてそこに千咲も乗り込む。
後部スペースの扉が閉じられて、運転席からもうすぐ出発する旨を伝えられる。そしてすぐに彼女たちを乗せた車は出発した。そして三十分程走った頃。
「……ん……」
ジィーナが瞼を重たそうにゆっくりと持ち上げ、次にだるそうに身体を揺する。彼女が顔を横に向けると、そこにはつい先日知り合った一文字千咲と、見知らぬ黒い髪の少女が佇んでいた。
「あ、目が覚めましたね」
「……んん……?」
「気分はどうですか? どこか痛い部分とか」
「……。……ここ…………どこ? ……あなたは……誰? あの男は……」
ジィーナは少し混乱している様子で、目の前の知らない人物―瀬間岬に質問を返す。
「ジィーナさん、アイツなら、私が代わりにぶっとばしておきました。この子は私の友達の岬です。それより、体は大丈夫ですか? 傷、ちゃんと治ってます?」
「千咲さん。……あれ、言われてみれば全然痛くない……。あれだけ好き勝手刺されたのに」
「岬のドライブは、傷を治せるんですよ。ジィーナさんの傷も、岬が治してくれたんです」
そう言われて、ジィーナが千咲から岬へと視線を移すと、岬は少し照れくさそうに微笑んで小さく頭を下げた。
「そうなんだ……。えっと、岬さん、ありがとう。少し力が入らなくて動きにくいけど、痛い所はほとんど無いわ。すごいわね」
ジィーナはそう言うと、上半身を起き上がらせようとする。だがそれも岬によって制された。
「あ、あ、まだ寝ていて下さい。今日の内はどれだけ痛みが無くても絶対安静ですよ。治ったと思って無理すると、治りきっていない傷口が開いたりする場合があるので」
「……そっか。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうとして……ねぇ、千咲さん」
「はい、なんですか?」
「助けて貰っておいてあつかましいのは自分でよく解っているんだけどね……。私は大丈夫だから、リルの所に行ってあげて欲しいの。きっと心配しているだろうから……。怪我した顛末を説明するのは、ちょっと気が引けるけど……」
「あぁ、それなら大丈夫ですよ。宗助君がリルちゃんの所にいってくれているので」
千咲に変わって、岬がジィーナに返答する。その返答内容にジィーナは、安心した顔と、そして少しだけ情けなさそうな顔をした。
「……そっか。私達、二人揃って、またあなた達に助けて貰っちゃったね。なんてお礼をしていいか、世界中の辞書調べあげても見つかりそうにないわ」
「そんな大げさな。いいですって、こういうのが私たちの任務なんですから。ね? 岬」
「うん。ジィーナさん、細かい打撲とか打ち身も治していくんで、痛いところがあったら遠慮なく言ってくださいね」
千咲が白い歯をこぼして言うと、岬も微笑んで、優しい口調でジィーナに語りかける。だが、ジィーナの笑顔はすっきりと晴れ渡る事はなかった。安心しているけれど、悔しそうで悲しそうな、難しい表情。きっと突然の展開に心が整理しきれていない部分もあるのだろうが、何よりも彼女は、無関係な他人の手を煩わせてしまう事に対してどうしても罪悪感だとか、無力さを感じてしまっているのだろう。
「でもさ、……なんか、ほんとに情けないんだ。あなた達に、『リルをずっと守ってきた』なんて偉そうに言っておいて、このザマだよ? ほんと、口だけの人間って……格好悪いし、最悪だよね……」
ジィーナはそう言って、千咲や岬とは対照的に寂しそうな笑みを見せて目を閉じた。その姿を見て、千咲は少しだけ眉根を寄せて、顔を俯かせる。
「ねぇ、ジィーナさん」
「……はい?」
「一人で闘うって、それはもう、とっても大変ですよね。イチから百まで、全部自分でやるって決めて、失敗も負けも許されないなんて。そんなの、私には絶対無理です。だから私、ジィーナさんの事すごいなって思います。あんなにボロボロになっても諦めずに闘いつづけて。今までも、きっと私には想像できない様な厳しい事を沢山乗り越えて来たんだろうなって肌で感じました」
「そう言ってもらえると、ちょっと救われるんだけど……」
ジィーナはそう言って自らの左肩あたりをゆっくり擦る。
「……だけど私、今、すごく強く思ったんです。感じたんです。『一人でやる』って決めたら、なんて言うのかな、前ばっかり向いちゃって、自分の隣が全然見えなくなっちゃたりしますよね。今のジィーナさんみたいに。……何か悪い事があると、必要以上に自分の事ばかりを責めてしまったり、辛いのを一人で覆いかぶさったり……」
そう言っている途中の千咲の脳裏に、いつかの記憶が走り抜ける。目の前で、心に傷を負って寂しく嗤うジィーナと何かがかぶって見える。彼女はその正体をすぐに脳に呼び出すことができた。
――それは、ほんの少しだけ前の話。すぐ傍にいた岬を守る事が出来ずに後悔して、自らを責めて、勝手に沈んでいた自分自身の姿だ。弱気になって、誰かに強い言葉を与えて欲しくて、途方に暮れていた自分自身。
そこまで言って急に言葉を止めた千咲を、ジィーナと治療している岬も不思議そうな瞳で見つめる。二人から浴びせられる視線には特に気にすることもなく、千咲は先程よりも僅かに晴れやかな表情で、続きを語り始めた。
「……そんなに一人で、全部背負わなくても大丈夫です。誰だって、勝ち続けたり、ずっと正しい道を選んだりは出来ないんですから」
彼女は、まるで過去の自分に話しかけているかのような錯覚を感じていた。ジィーナを慰め、諭している筈なのに、千咲は自身の心が驚くほど軽くなっていくのを感じていた。何故こんな簡単な事に気付けなかったんだろう、と。
「もし失敗したり負けたりしても、横にいる人に支えて貰って」
――あの日、宗助が自分にそうしてくれたように。
「隣にいる人が失敗したり傷ついたりしたら、もちろん支えてあげて」
――自分が今、ジィーナにそうしているように。
「助けて、助けられて。そうやって初めは小さな輪が出来て。それが、気付けばどんどん大きくなって。そのわっかが全部、自分の力になるんです」
「輪……」
ジィーナは気持ちを込めて喋る千咲の言葉を、まるで噛みしめるように聴き入れていた。
「……ジィーナさん。私は、情けなくたっていいと思います。私だって、そんな事沢山あります。でも、隣に誰かが居てくれれば、それはきっと回り回って……自分の強さになるんだと思います。それで、強くなった自分はきっと、そんな情けない過去さえも力に変えて……この先を、闘っていけるんです」
「過去を、力に……」
「なんだか、これ以上うまく言えないけれど、でも私は、そう信じています。だから……」
千咲はそこまで言って、言葉を区切る。千咲が顔を上げると、ふとジィーナと視線がぶつかった。二人は、数秒の間見つめあう。
「私ね」
ジィーナは視線を窓の外に逸らし、今度は彼女が言葉を紡ぐ。
「こんなに近くまで、嗅ぎつかれているとは思わなかった。……あいつらが何者だとか、私たちがどうだとかは、……その、話す事はできないけど。でも……」
「でも?」
「……こんな姿を見せておいて、まだ独りで闘える、なんて馬鹿な事言うつもりもないし、それにそんなに心強そうに喋られたら、魅力を感じない訳ないじゃない。だから……」
ジィーナは一旦言葉を切って、目を閉じてゆっくりと息を吐き……、そして再び目を開いた。
「だから私達も、あなたの作った輪に入れて欲しいって、今心から思うの」
千咲はその言葉を聞くと、少しだけきょとんとして、しかしすぐににぃっと笑って、「はぁ~っ」とわざとらしくため息を吐いた。
「……えっと、ダメかしら」
そんな千咲のリアクションを見て、少し不安げな顔で言うジィーナ。すると千咲は相変わらずの笑顔で、こう言った。
「ダメもなにも。……もうとっくに入っちゃってるのに、そんな質問、答えようがないですよ。私には」
そんな千咲の言葉に、今度はジィーナが狐につままれたような顔となり、彼女の顔へと視線を戻す。だが、千咲の顔に張り付いている表情はやはり笑顔。
彼女の顔は優しくて、頬にできたえくぼが何故だが無性にあったかくて。言葉だけでなくその眼差しが、雰囲気が、自分を柔らかく受け入れてくれているのがわかった。もちろん、隣にいる瀬間岬と名乗る少女にも。
ジィーナは、肩がとても軽くなるのを感じた。涙が出てきそうで上を向いた。
「……あったかい……」
そしてぽつりと呟いて。
「……こんなにあったかかったんだ……。誰かに、寄りかかれるって」
ゆっくり目を閉じ、小さい安堵の息を吐いた。




