オブジェクトダイバー 5
「少し気になるのは……今、どうやって投げを回避したか」
千咲は河川敷を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
彼女の放った投げは、完全に回避不可能の域に達していた。にも拘わらず、不思議な事に男は突然上着だけを残して姿を消した上に、妙な反撃を仕掛けてきた。技の外し方というのは、外しやすい・外しにくいという差異はあれども、どんな技にも存在する。完全無欠な技など存在しない。無論千咲とて自らが放った技の隙や弱点は承知しているが、今起こった出来事は彼女の知るそんなものを超越していた。
それを理解せずにこのまま敵のもとへと突っ込んでいくのは、あまり賢いとは言えない。考えうるすべての予測をはじき出そうとしていると、そこに。
「……物体に、潜行する」
地面に倒れたまま、ジィーナがうわ言のように呟いた。
「え?」
「……奴は、地面の―石畳だとか、野球のボールだとか、その辺の岩、壁も……きっとそう、触れた物に潜行できる……。潜っている間は、隣り合っている物にも移れる。私が、理解できたのは、そこまで……」
「……潜行、か。ありがとう、ジィーナさん。随分と楽になりそう」
「ごめんね……巻き込んじゃって……。気を、つけて……」
ジィーナが蚊の鳴くような声で千咲に向けて注意を促すと、千咲は特に言葉で返事はせず、勇ましく優しい微笑みで返事をしてみせた。そして千咲は再び河川敷へと向かう。
敵は、河川敷の階段を下りた数メートルの位置で静かに佇んでいた。階段の中段程に居る千咲と、河川敷に居るゼプロ。視線がぶつかる。その髭面の黒い男が、何の恨みがあって、どういう種類の人間で、最終的な目的がなんなのか、といった所は気になるが、それは目の前の男をとっちめてから聞けば問題ない。問題なのは、いかにスムーズにスマートにとっちめるか。
「保安から連絡が途絶えた、って秋月さんから言われた時は、何事かと思ったけど……。ちょっと探したら、道端で気絶してた。それも、あんたの仕業って訳ね」
「倒した者の事などいちいち覚えていないさ」
「ふぅん。私はあんたの事、しばらく忘れられそうもないけど。夜中にナイフ持って女の尻追いかける変態髭男。これ、忘れられるって方がどうかしてるね」
ひとつ毒を吐き捨てて、千咲は腰に携えた刀を抜きながら再び階段を降りる。刀身が街灯の光を跳ね返し、夜の闇に細く白く、光が煌く。
「……お前に用は無いが……邪魔をするならば、倒す」
ゼプロは静かな威圧感を放ちつつ、右手に持っていたナイフを体の少し前に構え、鋭い視線を千咲へとぶつける。
「丸腰相手に刀使うのは気が引けるけど、あんたみたいなナイフ持った変態には遠慮なく使えるわ。安心しなよ、殺しはしないから」
千咲は静かな動作で、刀を下段に構えた。右足を少しだけ前へ、少しだけ両足の踵を浮かせる。小石を踏みつぶして、じゃりじゃりと音が鳴った。
「さぁ。とっ捕まえて、いろいろ尋問してあげる☆」
おどけた口調で言う千咲。その表情は、相変わらずちっとも笑ってはいなかった。
「物に潜るって、イマイチ想像しにくいけれど……さっきのは自分の着ていた服に潜ったって事ね」
少し厄介そうだと千咲は思う。どんな物体にも潜れるとしたら、小石が多く転がっている河川敷の石畳の道は、全てが敵の行動攻撃範囲という事だ。服や靴なんかに潜られるのもまずい。
敵が外に姿を現している時に叩くのが基本で確実と言う事になる訳だが、先程のようにずっと腕だけを出して攻撃してくるようなら、大ダメージを与えるのは難しい。
考えを巡らせるが、時間も敵も待ってはくれない。目の前の男の目が少しだけきっと細まった。千咲はそんな僅かな変化も敏感に感じ取り、それが攻撃への合図と本能的に察する。千咲の勘の通り、ゼプロは小さいモーションで、千咲へとナイフを投げつけた。
投擲されたナイフは特に速くも遅くもなく、まっすぐ一直線に千咲へと向かう。
千咲はそれを難なく避けて、反撃の為ゼプロの方へと足を一歩踏み出す。だが。
「っ!?」
(消えた!? ……いや違う、焦るな! どこかに潜っているだけ!)
ゼプロは既にその場から姿を消していた。投げられたナイフは初めから、至極単純な目くらましでしかなかった。千咲も千咲で、いちいち消えただのと焦ったり騒いだりせず、すぐに思考を切り替える。
(どこに潜った!?)
一番に怪しむのは地面。千咲は足元への攻撃に備える。しかし。背後に、微かな衣擦れの音がした。水流の音に紛れてのその微かな音も千咲は聞き逃さず、『ここにあるべきではない異常な音』として認識し、背後へと素早く振り返る。
ゼプロが潜っていたのは地面の石畳では無く、転がる石でもなく、自らが投擲したナイフ。彼は千咲の背後ですぐに姿を現してナイフを掴み、空中からそのまま縦に裂くようにナイフを振るう。千咲は間一髪で横に跳んでかわす。
奇襲は不発に終わったが、しかしゼプロに隙は出来ない。
そのまま着地して、二撃目、三撃目の突きを素早く放った。千咲はどちらの攻撃も巧みな体捌きと小刻みなステップで躱す。空を切る音だけが鋭く鳴った。
「面倒くさい、能力っ……」
余裕っぽく言いながらかわしていくが、千咲からすればあっという間に懐に潜り込まれ、リーチの差を逆手に取られてしまった形である。戦闘では間合いの取り方が物を言う。自分の得物と相手の得物のリーチを知り、いかに自分の得物のリーチに有利な間合いで戦闘を進められるか。
この戦い、千咲の方が刀でゼプロがナイフ。得物のリーチの差から見ると明らかに千咲の方が有利に思えたかもしれない。だがリーチが長い武器は得てして小回りが利かず、どうしても攻撃や防御のモーションが大きめになってしまう。逆にリーチの短い武器は、小回りが利き、致命傷を与えにくいが攻守とも隙が少ない。
ナイフや脇差、小太刀などでリーチが長い武器を持つ相手に対して戦う際に、懐に潜り込んで自らの間合いでの戦いに持ち込むのはなかなか至難の業だが、一旦懐に潜り込むと、たちまちその威力を発揮する。
接近戦では、ナイフは時として銃よりも強いのだ。
軽快な動きでゼプロは千咲を追い詰めていく。防戦一方だ。
ゼプロが千咲の喉仏目がけてナイフを横に薙ぐのを間一髪で後ろに跳び避ける。間髪入れずに同じ個所に今度は突きの攻撃が迫るが、千咲は首を捻って避けた。切れ味は相当鋭いのだろう、千咲の髪の毛が少量切断され、宙に舞う。ゼプロと千咲の視線が一瞬かちあった。
そして更に続くゼプロの攻防の中、足場が悪かった。雨と、先程のジィーナの一連の攻撃によって濡れた地面に、千咲は少しだけ足を取られる。
ゼプロはそれを見逃さず、ナイフを両手で持ち、彼女の腹部目がけて思い切り突いた。
「くっ……!」
キンッ、と、金属と金属がぶつかる音。千咲はなんとか刀の根本の腹でナイフを受け止める。が――。
次の瞬間、またしてもゼプロの姿が消えた。
「しまっ……!」
千咲が後悔の声を上げるが、気付いた時には遅かった。ゼプロはぶつかったナイフを介して、千咲の刀に一瞬で潜り込んでいた。刀身からまず右腕が飛び出し、主を失い宙に佇んでいたナイフの柄を逆手で握る。次に左腕が素早く千咲の首を掴んだ。
「うぐっ」
千咲が表情を歪ませながら、刀から生えた腕を睨む。刀から左右の両腕が生えているという奇妙な光景だった。咄嗟に刀から手を離し自らの首を掴む手を右手で掴み返した。だが、ゼプロの右手につかまれたナイフの鋭利な切っ先は千咲の顔面へと照準が定められている。
首は絞めつけられ、ナイフは今にも千咲の顔面へ降りかかろうとしている。
「……っ、ぅぐっ………!」
喉仏を押し込まれて呻く。五本の指がそれぞれ首にきつくめりこんで、満足に呼吸ができない。
(い……いきが、できないっ……!!)
そして躊躇なく、ナイフは振り下ろされた。
その瞬間、千咲の眼が鋭く光る。ナイフを持つ腕の肘付近を、振り下ろされるのを迎え撃つように思い切り左拳で殴りあげた。ゼプロの攻撃は中断を余儀なくされる。さらにその隙に、千咲は両こぶしで自分の首を絞める左腕を左右から思い切り挟むように殴る。ガチン、と骨と骨がぶつかる音がした。
ゼプロはそれでも千咲の首を離さない。だが首を掴む力は間違いなく弱まっていた。続けざまに、千咲は右の掌底でゼプロの腕を叩き上げる。
そして今度こそ喉が解放され、一つ二つ、苦しげに咳をして、自らの首を守るように掴む。
刀は地面に落ちてカラカラと音を立てる。ゼプロはそのまま刀の中に両腕を再度引っ込めて、完全に姿を消した。
千咲は、敵が地面に潜って攻撃を仕掛けてくるのではないかと足元に警戒を寄せる。それとも、刀に潜行したまま、自分が刀をまんまと拾うのを待っているのではないかと。だがそれらは二つ共杞憂に終わった。
千咲と十分な間合いをとって、ゼプロは地面から生えてくるかのように再びその姿を現した。ゼプロから視線を外さずに刀を拾い、ゼプロは特にそれを阻止しようとはしなかった。
(……こいつの能力……)
千咲は態勢と呼吸を立て直して再び考える。恐らく正面から素直に突破しようとすれば、服だとかナイフだとかに身を隠されてかわされてしまい、今の攻防の二の舞を踏むことになるだろう。想像するに難くは無い。
刀でナイフをはじくのもまずい事がわかった。攻撃は基本的に受けとめるよりも、避けた方が賢明だ。服や靴なんかに潜られると更に危険である。
(そんな条件ね。ならばどう攻めるべきか)
単純に、思考を裏返す。
それは、相手の意識の外を突く事だ。相手が攻撃されたことを攻撃された後に気付くような攻撃。それが必要である。
正攻法で数撃てば当たる作戦は彼女の好むところでは無いし、敵が逃げ込む物体を無くすために身ぐるみやらを全てひっぺがすのはむしろ彼女の方からお断りしたいくらいである。
ならば、意識の外を突くのが今の所ではベストである。単純に、相手の完全なる隙を突く。
そして隙が一番顕著に表れるのは、相手の攻撃の後。そうなると、基本的に後の先をとる。
(って事は、コイツの能力、もう少し詳細が欲しい所……)
千咲はそう考えて、ふぅ、と一つ大きく息を吐き、ダメ元でゼプロに声をかける。
「ジィーナさんに教えてもらったあんたの能力は『物体に潜行する』って事だったけど。そこで私が疑問に思うのは……なんであんたは、いちいち私の目の前に姿を現すのか、ってとこな訳よ」
そこまで言って、千咲は少しだけゼプロの表情の動きを観察する。彼の表情は、注意してみなければわからない程のとても微妙なものだったが、僅かに変化していた。聞きたくない説教を聞かされている時の様な表情である。
「物の中に潜んで移動する。結構な能力じゃないの。戦い方によっちゃあ、誰も勝てない気がするくらい怖い能力だわ。それなら、ずっと何かに潜って隠れ続けながら、攻撃の機会を伺っていれば良い」
千咲は再び刀を下段に構える。
「そうして欲しいのか?」
「できるのならやれば、って話をしてるの」
「………お前がどこの誰だか知らないが、さっさと排除させてもらうぞ」
千咲の言葉の切り返しにうんざりしたようで、ゼプロは少しだけ不愉快そうに眉を顰めてそう言った。それに対してまたもや千咲は。
「はっ。物陰に隠れるゴキブリみたいなコソコソした能力の割に、随分と口は大きいのね。排除する? そんなのは、終わってから言うもんよ」
「……口の減らない奴だ」
ゼプロは手の内でナイフを巧みに回転させながら千咲に詰め寄る。確かに素早かった。素早いが、千咲からすればなんてことのない動きである。だが彼女は迎撃する事も攻撃を受け止める事も憚られた。なぜなら先程と同じ状況になるから。
正面からの横なぎを後ろに一歩下がり避けて、そのまま斜めに切り返してくるのを後方に大きく跳んで避ける。ゼプロは距離を詰めてくる事はせず、またしてもナイフを投げ、千咲はそれをたまたま足元に落ちていた手のひら大の石を拾って防ぐ。当然ゼプロは姿を消しており、千咲の手が持つ石に潜り込んでいた。
千咲は構わずそのままその石を、ナイフを巻き込ませ適当に遠くへ放り投げた。がこん、という石と石がぶつかる音と、少し遅れて金属が地面を転がる音が響いた。
「あー、もう」
千咲は苛立った様子で頭を掻く。
正直な所彼女の頭には、刀に潜り込まれた時の対処法が思い浮かばないままだった。それが思い浮かばない限り、刀での防御や単純な攻撃は好ましくない。こうなってくると、刀を武器として戦うのはあまりメリットが無いと言える。徒手空拳の方がカウンターの種類も多く懐に入られようが素早く対応できるし、反撃の機会が多い。
だがしかし、刀に全くメリットが無いと言えばそうでもなく。今この場で、千咲は峰打ちによる攻撃を狙っているのだが、峰打ちだろうとやはり素手よりも刀の方が威力は数倍高い。
それぞれの長所と短所を見極めて、どちらの戦法で戦うのかを決定しなければならない。千咲がそれを決めあぐねていると、先程放り投げた石の中から、ゼプロが姿を現した。
「……何故、使わない」
「は?」
そしていきなりそんなセリフを吐いた。その突然の台詞に、千咲はそんな返事しかできず。だがゼプロは構わずに言葉を続けた。
「ドライブ能力を、何故使わないのかと聞いている。俺のこの能力を見ても驚かないという事は、既にドライブ能力についてある程度知っているという事だ。そしてその存在を目の当たりにしても恐怖しないという事は、それに対抗しうる力を持っている、と受け取れる」
「……。あぁ……それで、私が、ドライブを使わないから、不思議に思ったって?」
ゼプロは暗闇の中、ただ千咲を見つめながら立ち尽くしている。
「それとも、私みたいな小娘に手を抜かれたと思って、プライドが傷ついちゃったとか」
千咲は大きくため息を吐いて前髪をかきあげ、小馬鹿にしたような態度で言う。その言葉に、ゼプロは目を少しだけ細めた。少しは心当たりがあったらしい。
「ならお気の毒。謝らないけど。確かに私はドライブ能力の存在を知っているし、使える。……ま、なんで使わなかったかって言うと――」
一拍置いて不敵に笑った。
「えげつないのよね、私の能力。あんまり、生きている物に使いたくなくてさ」




