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machine head  作者: 伊勢 周
9章 オブジェクトダイバー
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オブジェクトダイバー 4

 ボールや石畳などの物体に、身体を丸ごと潜行させる。姿は見せず、誰にも気づかれず、何の異変も感じさせず。音も立てずに忍び寄り、気付かぬうちに、じわり、じわりと傷つけられ、そして―呑み込まれてしまう。

 まるで海の上で人食いサメに狙われたようだ。男の物静かな態度と相反して、その能力には獰猛さと狡猾さが潜んでいた。

 ジィーナは、両足から脳へとずっと流れ続けている激痛信号を無理矢理無視して、地面を睨みつける。痛がるのは後でも出来る。止血する暇もない。


(そして恐らく、隣り合った物同士も、自由に行き来できる!)


 男が水の結界を全く介さずに、それでいて遠距離攻撃の能力を使った訳でもないのに攻撃された理由は恐らくそれだと目星をつける。まず最初にボールへ潜行し、弾んだ拍子に地面へ移動。石畳から石畳へと移動し、水の結界を難なく超えて、ジィーナの足をナイフで攻撃した、という寸法だ。

 そこでジィーナは脊髄反射的に考える。

 相手が『物体に潜行する』ならば、その潜行している物体を粉々に砕けばどうなるのかと。


「実験あるのみっ……!」


 ジィーナは水弾を続けざまに石畳に叩き込もうとした。だが彼女の攻撃は一瞬遅く。男は、まるで瞬間移動したかのように彼女の目の前に突然姿を現す。


「くっ……!」


 視線と視線が、至近距離でぶつかる。夜の闇の中でも互いの顔が認識できるほどの近距離。ジィーナは石畳へと向けた水の着弾先を慌てて男へと変えようとしたが―。


「無駄だ」


 男はジィーナの左肩に、一寸の躊躇なくナイフを突き刺した。


「うああああああっ!」


 ジィーナの、その日何度目かとなる悲鳴が辺りに響く。集中を切らし、水は何処に向かう訳でもなく四方八方に飛び散り消えた。男の顔に返り血が飛び散るが、やはり表情を変えない。そのまま空になった右手で拳を作り、釘を金づちで打ち込むかのように、ナイフの柄を更にジィーナの肩に食い込むように打ち込んだ。ジィーナの痛々しい悲鳴がもう一度響く。


「水を操る力、なかなかの威力だ。その上柔軟性もあり、攻守にわたり用途も多様。……俺の敵ではなかったが」

「……ハァ……ハァ……。……敵じゃ、『なかった』……? 言って、くれるね……。あなた、名前……、なんていうの」

「ゼプロ・イヤンク。お前の運命を決めた人間の名だ。せいぜい―」

「そう……。面倒くさいから、ゴキブリって覚えておくわ」


 間髪入れず、男を左右から挟むように水の弾丸が発射される。ジィーナの目の前を、まるで戦場のど真ん中にいるかのように水弾が超高速で左右に飛び交う。

 だが、それらも何処に着弾するわけでもなく、彼女のコントロールの範囲外へ抜け出し、飛沫になって空中に消えて行った。


「無駄だと言ったのが、わからないのか」


 ゼプロは、ジィーナの肩に刺さったナイフに潜行して攻撃を難なく躱していた。無傷の状態で再び彼女の目の前に姿を現すと、そのまま素早く彼女の腹部へと右足で突き蹴りを撃ちこんだ。


「ぃえっ!!」


 声にならない悲鳴をあげて、後方へと吹き飛ぶ。そしてそれを機に彼女の周辺にまだ僅かに浮遊していた水は全て一斉に霧散した。体が回転し、地面を転がる。血を撒き散らして、髪を振り乱して、石ころのように彼女は無様に地面を何度も転がり、這いつくばった。


「う……くっ…………」

「ガキの居場所まで案内しろ」

「……ゴホッ……冗談」

「強情な女だ。何がお前をそんなに意固地にさせる」

「興味ないって……、言った、くせにさ……」


 右腕一本で身体を支え、まるで生まれたての鹿かなにかのような様子でよろよろと立ち上がろうとするジィーナ。だが、三つの深手に、腹部への強烈な衝撃によって、彼女の身体は既に彼女自身の制御から遠ざかろうとしていた。そんなジィーナに向かって、ゼプロはゆっくりと歩いて近づく。


「その足ではもう、戦うどころか逃げる事も満足にできないだろう。時間は沢山ある。そのうち嫌でも喋りたくなるさ。リルの居場所を、な」

「……気安く、あの子の名前、を……口に、出してんじゃあない、わよ……!」


 肩に刺さったままのナイフの淵から次々と血が流れ出る。足元もやはり血だらけで、こうして目を開いて喋っている事自体が奇跡のようにすら感じる程。

 しかし闘志は全く衰えず。彼女の瞳は男に敵意をぶつけ続けていた。


「私なんか……」

「……?」

「あの子が……自由に、幸せになれるのなら、私なんかどうなってもいいのよ……。居場所を喋れ? すぐに喋りたくなる? ふ、ふ……。……ほんとに、笑わせてくれる……。残念ながら、私は……。痛みや苦しみなんか、で……! 家族を売るようなチンケでクズな人間、やってないのよッ! あんたみたいな、人の命で金稼いでるクズには、わかんないだろうけどさぁ!」


 勇ましく言うだけ言ったが、ジィーナを支える右腕にも限界が来て、再びその場に崩れ落ちてしまう。地面にひれ伏すジィーナの目の前にゼプロが立った。ジィーナは彼女が持てる上での最大限の敵意を込めてゼプロを見上げて、睨みつけた。その姿はあまりに弱々しくて、ただただ強がっているようにしか見えず、アリ一匹も殺せそうにもない。狩られる寸前の鹿だ。そして。


「なら、もういいさ」


 ゼプロは小さくため息を吐き、これまでの冷めた表情と態度を少し崩して、諦めたような表情を見せてそう言った。相変わらず口調は冷たく起伏が無い物だったが。ジィーナはその発言に対して一瞬理解が追い付かず、理解したところで驚きに目を見開く。


「……?」

「お前の首を持って帰るのに変わりはないが、リルの居場所は喋らなくてもいい。…………このあたりを虱潰しに調べるだけだ。少し手間だが、そっちの方が、お前に吐かせるよりかは楽そうだ。ただの時間の問題だからな」

「…………ッ! そんな、そんなこと、させない……!」

「口だけならいくらでも言える。できない事を言葉にするな」


 ゼプロは彼女の左肩に刺さるナイフを軽く蹴った。更に血しぶきが舞い、悲痛な声が短く響く。


「さぁ。そう決めたからには、お前にはもう眠っておいてもらう事にする」


 ゼプロはジィーナの髪の毛を左手で鷲掴みにして顔を無理矢理持ち上げる。ぶちぶち、といくつか髪の毛がちぎれる音がした。ジィーナには、抵抗する心はあっても、血が抜けすぎた肉体は自身の命令さえ聞かず、両手には力も入らず、ただぶらりとぶら下がるだけ。

 身体全体が冷え切っていた。まるで身体をバラバラにされて氷の詰まった箱に詰め込まれたような、痺れた感覚。


(ここで…………。……もし私が、ここで戦う事を終えたとして……)


 ジィーナは、重たい瞼を必死に持ち上げながら、想いを馳せる。


(あの子を……。リルを、誰が守ってくれる……?)


 きっと自宅で、自分の事を待ってくれている少女へと。怒っているだろうか。心配しているだろうか。それとも、もう寝てしまっているかもしれない。


(……守って戦うっていうのは、負ける事は、許されない……。例え刺し違えようともっ!)


 指先が少しだけ動いた。ドライブの力が再び漲ってくるのを感じる。しかし。


「寝ろ」


 ゼプロの右拳が、ジィーナの顎に目がけて放たれた。


 パシィン、と……拳で人の顔面を殴ったにしては、軽く高い音が響いた。例えるなら、野球においてピッチャーの投じたボールを、キャッチャーが絶妙なミットさばきでキャッチした時の様な、力が弾けて、そして消える爽快な音。ジィーナが必死で持ち上げた瞼の少し下に映るのは、あの不快な髭男の顔面ではない。

 少し小さめの白い手が、ジィーナの顎へと向かっていたゼプロの拳を阻んでいた。


「………なんだ、お前は。こいつの仲間か」

「んー。『まだ』仲間じゃあないかな。そう、どちらかと言うと、正義の味方、ってとこ」


 ごくごく最近に聞いた覚えのある若い女性の声。ジィーナが瞳を少しだけ左上にずらす。闇夜の中で、街灯の光を受けて鮮やかに赤く輝く髪がさらさらと揺れていた。腰には、日本刀を携えて。


「千……咲、さん……? どうして、ここに……?」


 擦れた声で名前を呼びかけても、彼女は答えない。見向きもしない。一方でジィーナは千咲の事をあまり知らないが、それでも、いとも簡単に伝わってきた。

 放たれた軽い口調とは対照的に、千咲の横顔は怒りに燃えていた。


「その手、いつまで掴んでんのよ」


 千咲は掴んでいたゼプロの右拳を外側へ勢いよく薙ぎ払い、ジィーナの髪の毛を掴むゼプロの左手の手首を素早く右手で掴み、更に左手を戻し肘付近を握り、腕全体を絞るように関節を極めて無理矢理手をひっぺがす。ジィーナの頭部は解放され、そのままガクリと項垂れる。

 腕のひねりあげと連動してゼプロの身体は徐々に回転し、千咲に背を向ける形になった。腕を背中に極められた、所謂『とったり』の形である。


「くっ!」

「扱い方を知らないなら、気安く触んじゃあないよ。女の髪をさ」


 ギリギリと音が鳴る程関節を締め上げ、その度にゼプロは身をよじり痛みから逃れようとする。千咲はそのままゼプロの膝裏に突き蹴りを放ち態勢を崩して、襟を掴んでそのまま後方に引き倒し、後頭部と背中を地面に激突させることによる一撃昏倒を狙う。

 だが、突然千咲の手の中から手ごたえが無くなる。彼女の手の中にあるのは、男の上着のみ。


「は?」


 間の抜けた声を上げる千咲。しかしその後すぐ、男の上着の裏側からナイフを逆手で持った右腕だけが飛び出し、千咲に襲いかかる。


「わっ!」


 千咲は上着を手放し身体を右に躱してナイフの軌道上から外れ、更に右足で上着から現れた腕の内側にあたる部分に蹴りを加えた。あまりにも突然の出来事で、咄嗟の反撃だったため威力も高くはなく襲いかかって来た右手からナイフを手放させる事は出来なかったが、右腕を上着ごと遠ざける事には成功した。

 黒い上着はそのまま宙を舞い、千咲の三メートル程前方で地面に落ちた。

 そこから彼女の行動は早かった。すぐ傍に居たジィーナを迅速かつ丁寧に抱えて、跳び上がり、河川敷から二メートルほど上方に並行している歩道に着地した。


「ごめんなさい、ジィーナさん。随分と遅れちゃって」


 千咲はジィーナをゆっくりと地面に下すと、上半身だけ腕で支えたまま、謝罪の言葉を述べた。


「……別に、助けを求めた訳じゃあない、んだから……謝られても、困るわ……」


 ジィーナは辛そうに作り笑いを作り、千咲に向ける。その千咲はと言うとゆっくりとジィーナを地面に寝かせると、自分の上着の袖の部分をちぎり、それでジィーナの両足の傷口を縛って簡単な止血を施した。「これで少しはマシかな」と呟き、立ち上がる。


「言ったでしょう? 皆をああいう輩から守るのが、私たちの役目。少し寝心地は悪いでしょうけど、ここで安静にしていてください。すぐに救護班と応援部隊が来ます。――応援部隊に仕事を与えるつもりは、全くありませんけど」


 千咲は静かな怒りを充満させて左手で腰に携えた刀の鞘を軽く握ると、暗闇の河川敷を睨みつけた。


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