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machine head  作者: 伊勢 周
9章 オブジェクトダイバー
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オブジェクトダイバー 1


 リルと宗助達が再会した日から数日が経った。

 五月は終わり六月がやってきて梅雨の気配が色濃くなり、その日の空は鈍色で雨が降ったり止んだり、はっきりしない空模様であった。そんな中、稲葉によって指示されたリルとジィーナの身辺警護は続いていた。


『今日からまるまる五日間、二人の様子を監視してくれ。更に詳しい身辺調査も頼みたい。こちらは出来ればで構わない。五日間経過すれば再度スワロウへの入隊を勧告する、という流れでいこう。五日間何もなければそれでよし。何かあれば基本的にはお前の判断に任せる。判断が自分ひとりでつけられないと思えば指示を仰いでくれ。こちらから指示を出す』


 千咲は稲葉の言葉を思い返しつつ、なるべく本人たちの目につかないように、また、目につく場面があったとしても不自然に思わない程度に、彼女達の周辺に付き添い続けた。もちろん千咲単独ではなく、スワロウの保安部隊も少数名リルとジィーナの家の近くに待機していたり、千咲のバックアップについていたりするのだが。

 稲葉にこの任務を託されてからこれまで特に変わった様子はなかった。ただ宗助が言っていた通りリルは殆ど家を出ないし、出たとしてもあまり人のいない夜の時間帯に、ジィーナと二人で近場を散歩したりする程度だった。

 そしてその保護者のジィーナも昼間は出かけていることが多い。仕事であったり、買い物であったり、はたまたその両方であったり。あくまでこれまでの経緯から考えても、千咲が重点を置くのはリルの方なので、ジィーナが外出する場合にはそちらを保安部隊に任せ、千咲は家に残ったリルを見守る。

 任務開始から三日目のその日、千咲はオペレータールームの一角で、小春と共に航空映像を眺めていた。映像は、リルとジィーナの家の近辺を映したものである。

 今更な話であるが、スワロウが航空映像などを取得する際に使用している映像機器はなかなか優秀で、映像の高さは人間目線、かつほぼリアルタイムで映像を更新してオペレータールームに提供し続けてくれている。


「……今日も動きはないかぁ……。このままだと体が鈍りそう」


 千咲は呟いて、ぐっと両手の指を組んで天井に向かって伸びをした。しかし彼女がこんな愚痴を言うのも仕方が無いのかもしれない。

 千咲が例の任務を引き受けてからというもの、常に待機わを強いられるため、通常週に三回のチームの訓練も、週に一回の全体合同訓練も、千咲は全て欠席。というより、不参加。

 今日も今までと同じくジィーナは朝から出かけている。服装や所持物からして彼女は仕事に出かけたらしく、夜まで帰ってこないだろう。


「大変だねぇ、千咲ちゃん」


 隣で忙しなくキーボードをタイピングしていた小春がその手を休めて、千咲に声をかける。


「別にぃ、訓練に出てる方が体力的にはキツいし。それに、何かがあるって事は誰かが危険に晒されるって事だし、私達が出動せずに基地でじっとしてるっていうのが一番なんじゃないの」

「ははーん、さては訓練に出席できないから、生方君と一緒にいる時間が少なくなって寂うごごご」


 厭らしい笑みを浮かべながら妙な事を口走る小春に対して、千咲は右手で小春の口をふさぐように頬を掴み、ぐりぐりと親指と人差し指で左右から圧迫する。


「いひゃい、いひゃいってちしゃきしゃん、わひゃしいちひょうへっひょうひょしうえなんひゃへほ! (訳:痛い、痛いって千咲ちゃん、私一応結構年上なんだけど!)」

「いつもの事だけどさぁ、なんで桜庭さんってそういう話に繋げるのがそんなに好きなの? そろそろ他人の事より自分の事心配しないと、今年でいくつでしたっけ。さーくらばさーん」


 千咲は毒を吐くだけ吐いて手を離し、再びモニターに身体を向ける。


「いたたたた……。ふぅ……。自分の事ね……なかなか良い所を突くじゃないか、明智君」


 小春は解放された頬を自分の手でそれぞれもみほぐして労わりながら、いかにも無理矢理だしました感が色濃い低音ヴォイスで言った。千咲はそれを無視して、モニターへと視線を釘づけている。


「…………まぁさ、暇なのが一番っていうのは否定しないけど、なにかあった時の為の任務なんだから、気を抜いちゃだめだよ?」

「わかってますよー。それより、桜庭さんはミラルヴァの消えた先をさっさと追跡してくださいー」


 千咲はうんざりした表情と脱力した声で言うと、しっしっと手の甲を小春に向けて払う仕草をする。まるで野良犬や野良猫を追い払うかのようである。千咲のその態度に「ひどっ!」と言って涙目になる小春であった。と、そこで。


「……よーし決めた。私今からリルの所行ってくる。という訳で、移動中に何かあったら連絡よろしくおねがいします」


 千咲は立ち上がってそう言うと、オペレータールームを後にしようとする。


「え? ……あ、ちょっとちょっと!」


 小春は千咲のその行動がすぐには理解できずに、千咲の背中に声をかける。千咲もその声に反応して、立ち止まり振り返る。


「なに? なにか問題でもあった?」

「え、いや。リルのところに行くって、今からあの子の部屋に行くって事?」

「うん。そりゃあ毎日通ってたら流石に怪しいけど、たまに遊びに行くって感じならいいでしょ? ジィーナさんも『リルの話し相手になって』って言ってたし、私ももう少し、あの子と話してみたいから」


 千咲はそう言って笑い、「という訳だから、よろしくお願いしますね」と告げ身を翻し、片手に上着を掴んで雪村司令の元へ行き、外出する旨を伝えると、そのまま颯爽とオペレータールームを出て行った。

 それを呆然と見送った小春は、しばらく経ってから再起動して、「どんな仕草もサマになるねぇ。いいねいいねぇ」と満足そうに、そしてどこか羨ましそうに呟きながら頷いて、ゆっくりと自らの目の前にある端末を再び操作し始めた。



          *



 リル・ノイマンは部屋で一人食卓に腰掛け、胸の中には熊のぬいぐるみを抱いて、少し厚めの小説を読んでいた。その物語を読み進めていく内に、彼女は突然その小説を読むのを中断し顔を上げて、今度はジィーナや、宗助、千咲へと思いを馳せる。ついでに不破も。

 理由は彼女にはよくわからなかったが、そうすることで自然と顔が綻んだ。なにやら満足した様子で、読みかけにも関わらず、栞を挟んで勢いよく本を閉じた。

 と、同時にピンポーンと部屋のチャイムが鳴る。

 普段来客などは殆ど無く、宅急便なども滅多にこない為、訝しげな表情でリルは玄関の方へと視線を向けて、小説を卓上に、ぬいぐるみを椅子の上に置いて、静かに立ち上がり玄関に向かう。そっと覗き穴から外の様子を見ると、そこには一文字千咲の姿があった。リルは再び顔にぱぁっと笑顔の花を咲かせて、いそいそと鍵を解除して扉を開けた。


「や、リル。こんにちは」

「千咲さん、こんにちは! どうしたんですか!?」

「いやぁ、うん。ごめんね急に。今日も私、お休みだから、どうしてるかなーって」

「そうなんですか! 今日は、ジィは仕事に行ってますけど……」


 リルはそう言って辺りをきょろきょろと伺う。千咲は、彼女のその仕草が何を表しているのかすぐに理解して、彼女に「残念ながら、今日は私一人」と告げる。すると「そうなんですか」と言って、僅かに落胆した表情を見せたが、それでも千咲が来てくれた事に対して大きな喜びを感じていて、すぐに明るい表情を取り戻した。


「宗助は今日も、本部で訓練中。今頃汗まみれで走り回ってる頃だろうね。というか、走り回らされている、というか……」

「そうなんだ……頑張っているんですね!」


 千咲の補足に対して、リルは弾ける笑顔でそう言った。たとえ宗助がその場にいなくとも、彼の現況を知れただけでもが彼女にとって大事で嬉しい事なのだろう。


「うん。そりゃあ普段から真面目に頑張ってないと、いざ! って時に戦えないからさ。……ところで、ねぇ。立ち話もなんだし、お邪魔していい? お土産も買ってきたんだ」


 千咲は右手に持っていたスーパーのレジ袋とつるやと書かれた和菓子屋の紙袋を掲げて見せる。中には飲み物だとかお茶菓子が数種類入っていた。


「あ、はい! どうぞ!」


 リルは扉を右手で支えたまま、身体を部屋の方へと引いて、千咲が通れるスペースを作る。


「それじゃあ、お邪魔しまーす」

「はいっ」


 彼女の元気のいい歓迎を受けながら、千咲はゆっくりとリルとジィーナの部屋へと足を踏み入れた。これで彼女がこの部屋に入るのも三度目になる。

 千咲とリルはダイニングの食卓に腰掛けて、向かい合わせに座っていた。机の上には千咲のお土産と、もともとリルの家に蓄えてあったお茶菓子が幾つか載っており、その光景はちょっとしたお菓子パーティーである。リルは相変わらず、宗助がプレゼントした熊のぬいぐるみをなるべく傍らに置くようにしていた。


「そう言えばまだ聞いてなかったんだけどさー」

「はい、なんでしょう」


 千咲は自ら買ってきたまんじゅうを齧りつつ、対面でニコニコとしているリルに話しかける。


「リルと宗助ってどうやって知り合ったの。あのスカイガーデンで。そこのとこ、ちょこっとだけ気になってさ。んー、相変らずおいしーわこのまんじゅう」

「あぁ、それはですね、かくかくしかじかで。……それで、わたしにクレープをご馳走してくれたんですよ! それで、お礼をしながら話していたら……って千咲さん?」

「…………あのヤロー、私達がプレゼントを選んでる間ナンパしてやがったのか……」

「千咲さん?」

「え、なに?」

「なにって、その、すごく怖い顔していたから」

「あ、うん。なんでもないよ。ちょっと考え事。へー、成程ねー。そんなことがあったんだ」


 ドスの利いた声でぼそりと呟いていた千咲だったが、なんとかそれを沈めて話を次へと進める。

「っていうかさ、リルは宗助の事をすごく、なんていうのかな、憧れの眼差し? で見ているけどさぁ、そこまでアイツに尊敬できるポイントってなんかあった?」


 千咲が何の気なしに(特に悪意があった訳でも無くただ純粋な興味から)そう尋ねると、リルは宗助が馬鹿にされたと勘違いしたのか頬をリンゴのように真っ赤にして、激しく反論する。


「沢山あります! 宗助のおかげで、わたしは今すっごく毎日が幸せなんですから!」


 椅子を蹴って立ち上がり、顔を目の前まで近づけて反論してくる彼女の迫力に気圧された千咲は、苦笑いを浮かべながら「どうどうどうどう」と彼女を押し戻して席につかせる。


「そ、それよりもさ、どう? 最近。何か困った事とか起きてない?」


 この数日嫌と言う程観察してきたので、彼女の身辺には何も起こっていないのはよーく把握しているのだが、それでも一応、聞いておかないといけない気がして千咲はそんな話題をふる。


「最近ですか? はい、わたし達、毎日元気ですよ。千咲さんこそ、体調とか大丈夫ですか?」

「うん。すこぶる元気。私だって、普段から鍛えてるからね」


 そう言って千咲は、自らの胸を叩く。どっ、と筋肉質な音がした。リルはそんな彼女を相変わらず尊敬のまなざしで見ていた。

 

 そんなこんなで。

 二人はなんとなくの世間話をずっと続けていった。部屋に置いてあったファッション雑誌を二人で見て、あれがいいこれがいいだとかこの娘がかわいいだとか、食べ物の話だとか、占いを信じるだの信じないだの他愛のない話を、それはもう延々と。

 リルは普段ジィーナくらいしか話し相手がいないからなのか、沢山、そして懸命に自分の事を喋って、そして千咲が話す時も真剣で、全て聞き逃すまいと言わんばかりの集中ぶりを見せたりした。

 千咲は千咲で、時折任務の事を忘れて、彼女と話の花を咲かせた。

 その姿は既に友人同士のようであり、仲の良い姉妹のようでもあった。兎に角、二人はその日、驚くような速さで仲を深めていった。


 そして、夕暮れも過ぎ、外は夜。野球中継なんかはとうに終わり、小さな子供達のあくびが多くなり、そろそろと眠りに就く時刻。


 千咲はまだ、リルの部屋にいた。

 別に、宗助の時の様に、泊まってまで護衛をするというつもりではない。留守にお邪魔したから、と一言挨拶をしようと待っているのだが、一向に、その部屋の主であるジィーナ・ノイマンが帰ってこないのだ。



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