新しい任務
千咲と宗助が出かけている間のアーセナル。
ブリーフィングルームでは不破と稲葉が、福知山の研究所から送られてきたカレイドスコープの分析結果報告書に目を走らせていた。内容は、不破が研究所で直接研究員から聞いた途中経過とほぼ同じ。
「ただの鉄クズ、ねぇ……」
「コアだったものは、なにやら不明な部品群が幾つか確認されているようだが」
不破の納得いかなさそうな呟きに、稲葉が補足を入れる。
「ただの鉄クズが、あんなスライムみたいな動きできるもんですかねぇ……」
上空のコアと、地上の鉄の塊、どちらを本体と呼ぶかは意見を分けそうだが、ただ、地上で暴れていたそれは、普通の機械はもちろん、生物でも到底かなう動きでは無かった。既に研究所で大まかな判明事項を伝えられていたとはいえ、そのレポートにはいまいち納得が出来ない。不破は、谷沢が研究所で話していた事を思い出す。
――ドライブ能力を、なんらかの方法で機械化した物が存在するかもしれない。
その仮定の輪郭が、ぼやけたものであったのが少しだけ、ほんの少しだけ焦点が合いつつあった。
「なぁ、要。宗助の任務報告書での、ミラルヴァとの対戦の項。奴がカレイドスコープの事を『実験作』と呼んでいたと書いていたよな」
「……そうなんですか?」
「あぁ、書いていた。というか、お前は読んでないんだったな。一度目を通すと良い。あいつの報告書は、お前のそれと違ってなかなか読みやすい。初めてなのに大したもんだと感心したくらいだ」
「はは……」
「奴らはマシンヘッドの事を『シーカー』と呼んでいるが、確かに『実験作』で『失敗作』と言っていた、と書いてある。『制御が効かないから捨てた』ともな」
「……実験作で、失敗作……?」
「あぁ。その言葉が意味するところは……。あのカレイドスコープか、もしくはそれ以上に強化・改良された奴がこれから幾つも出現してもおかしくないという事だろうな」
「……………。成程」
「まぁ、相手の殆どが未知なのは今まで通り。近頃この周囲では、列車の件以来マシンヘッドが出たと言う報せはないが……次の定例会議で再度の注意と警戒を心がけるよう呼び掛けておくとする」
・・・
昼も過ぎ、夕暮れが近くなってきた頃。不破は、未だに落ち着ける場所を求めて宙空をさまよう思考と共に、アーセナルの居住区をゆっくりと歩いていた。先程の話以降も、しばらくカレイドスコープについて稲葉と意見交換を行っていたのだが、その際の会話をぼんやりと思い返していた。
「実験作、ねぇ……」
不破は独り言を呟きつつ、足を前へと運ぶ。あのような掴みどころのない敵と遭遇したのは不破にとっても初めてだったが、もしも稲葉が危惧する通りにそれが量産されて襲いかかってきたら、なんて想像が浮かんで憂鬱になる。
そんなこんなで、彼がふらりと辿り着いたのは休憩室。人はまばらだったが、飲み物提供コーナーの前に知った顔が居ることに気づいた。不破はそちらに向かって歩みを進める。
「おっす、岬。偶然だな。休憩中か?」
「あ、不破さん。こんにちは。はい、偶然ですね」
彼女はにっこりと優しい笑顔を湛えて、話しかけてきた不破を受け入れる。誰にでも分け隔てなく、心からの優しさとあたたかさを振りまけるのは彼女の才能である。
どうやら岬は何を飲むのか決めあぐねていたようで、ひとさし指を胸の前あたりに突き出したまま、あてどなくふらふらさまよわせていた。
「まーた飲み物ひとつでぐだぐだ迷ってんのか。ここの飲み物なんか全部タダなんだから適当に押せばいいじゃねぇか。相変わらず優柔不断だよなぁ」
「えぇー、だって、その日自分の身体に摂りいれる物って大事ですよ? 千咲ちゃんも前に『岬は飲み物選ぶの一つでも一所懸命だよね』って褒めてくれましたし!」
「褒めてんのか、それ……」
自慢げに言う岬に対して、不破は先程まで過剰に張りつめていた肩の力が抜けるのを感じた。
「俺はこれ」
不破は岬が選んでいる自販機の隣の自販機で、特に迷うことなくブラックコーヒーのボタンを押した。その隣で岬が「むぅ」と呻って、真剣な目つきでショーウィンドウを眺め、そしてようやく突き出されたままの人差し指でホットレモンティーのボタンを押した。
岬と不破、それぞれが選んだ飲み物が注がれた紙コップを自販機の取り出し口から取り出した。不破は空いているテーブルを指さして、「どうだ、少しの間、世間話でも。時間が大丈夫なら」と岬をお茶に誘い、岬もにこやかに「ええ、大丈夫ですよ、そうしましょう」と答えた。
休憩室備え付けの円卓に腰掛けて、不破と岬はそれぞれの飲み物を啜る。
「なんか、こうやって不破さんと二人で話すっていうのは、あまりないですよね」
「んー? そうだっけか?」
「はい。いつもは、このあたりに千咲ちゃんが居るでしょ?」
岬が自分の左隣の空気を手で撫でると、「そういやそうだ」と不破も納得した風な顔で言った。
「そこに最近は宗助も入って来たし」
「そうですね。……宗助君も、みんなと仲良くできてるみたいで良かったです」
「あぁ。研究所でもなんだかんだと結構な人気者でなぁ。カレーがどうのこうの言ってたっけなぁ」
不破は研究所の様子を思い出して、苦笑いを浮かべた。
「へぇ。私、あっちはしばらく行ってないですけど、皆さんお元気でしたか?」
「あぁ、皆相変わらずだったよ。……お、そうだ研究所といやぁ一つ面白い事があったんだ。言い忘れてた」
不破は、今の苦笑いから、くくっと噛み殺すような笑みへと表情を変化させる。そんな不破を岬は不思議な目で見ながら、「面白い事?」と言って自分のカップに口をつけた。浮き立つ白い湯気が吐息で揺らぐ。
「いやそれがな、岬。お前、篠崎あかねって知ってるか? 最近人気出てきた歌手のさ」
「ええ、知ってますよ。有名になったのは最近ですけど、私結構前からファンなんですよぉ。もしかして、不破さんも好きなんですか?」
同じ趣味の人間を見つけたと思い込み、少し弾んだ声で不破の出した話題に飛びついた。
「好きっつうかなんつうか、名前くらいは知ってたんだよ、うん。……それでな、その篠崎あかねのコンサートが、ちょうど京都で開催って事でさ、俺たちの任務の期間と被ってて」
「い、行ったんですかっ!?」
話の流れからオチを予測して、岬が少し腰を浮かせて不破に詰め寄る。
「あぁ、行ったよ。一応、いろいろあって仕事の一環って事でな。ちゃんとしたチケットで普通の客と同じ入口から入場して、最初から最後までいた」
「ええー、いいなぁ不破さん! どうやってチケット手に入れたんですか!?」
「それがなぁ、宗助の奴がチケットを二枚持っててな」
「ええ、宗助君が? なんか意外。好きだったんだ、あかねさん」
びっくりした表情で岬が質問するも、不破はそのフレーズに思わず吹き出してしまう。そんな不破を岬は再び不思議そうな表情で見ながら、答えを待つ。
「いや、あいつも別にファンって訳じゃなかったみたいだが、ああ、でもコンサート終わった後には、これからは応援するって言ってたな」
「そうなんですか。ライブ行ったら、ファンになりますよね。でも、なんでファンでもなかったのにチケット持ってたんだろ」
岬はそんな疑問を口にしながら、「今度、CD貸してあげよっと」などと言っている。
「いや、それがな、ぶったまげなんだよ。ほんと」
「なんですか、さっきからもったいぶって。早く教えてくださいよー」
痺れを切らした岬が、困った笑顔で不破に対して話を催促する。すると不破がゆっくりと口を開いた。
「昔、宗助の恋人だったんだってよ、篠崎あかね」
「……。こぃ……?」
岬は目を点にして、表情を凍り付かせた。そんな彼女を置き去りにして、不破は続きを喋る。
「そんであいつらが偶然街中で再会して、ぜひ見に来てってコンサートチケット渡されたって流れだ。いやぁ、情報部からの個人情報にもそんなような事は書いてあったのは覚えてるんだが、まさかのまさかだった」
「えっと、ええ、え……。宗助君と、あかねさんが……、ええ? えええ!?」
岬は、それはもう休憩室全体に響き渡る大きな声で、驚きを表現した。普段控えめで、大きな声を出す事が無い彼女の大声に、周囲に居た休憩中の職員も驚いて岬の方へ視線を集める。
そんな視線に岬自身も気付いて、慌てて口を両手で押さえる。
「ほ、本当なんですか、それ……」
ようやく不破の言葉を頭で処理して、彼女は非常に複雑そうな表情で不破の顔を見る。信じ切ることが出来ず真偽を確かめているようだ。
「本当だって。そんな意味不明な嘘つかねぇよ。ま、コンサートの夜に宗助に聞き出したら、もう過去の話ですって言ってたから安心しろよ」
不破はそう言って意地悪な笑顔を見せる。
「あ、安心するってなんですか! わ、私はただっ……」
「お、噂をすりゃああいつらが帰って来たな。なんだ、えらく早い帰りだな」
岬が頬を赤く染めて不破に反論しようとしたが、休憩室の窓から一台の乗用車がアーセナルの警備ゲートをくぐる姿を不破が視認した事で話が完全に流れてしまった。
休憩室の窓からだとかなり遠くの光景になるのだが、不破はドライブを磨いた副産物で視力も常人よりも優れており、中に乗っている人物までもしっかりと肉眼で見える。
車が不破の居る場所から見えない場所へと進んでいったのを機に、不破は自分のコーヒーの残りを飲みきって席を立つ。
「さてと。あんまり長い間話に付きあわせるのもなんだし、待機に戻るとするかぁ……。ありがとよ、話し相手になってくれて」
そして最後に「頑張れよ」と言って岬の肩をぽんとひとつ叩き、不破は休憩室を後にした。なかなかマイペースな男である。
「……なんですか、がんばれって……」
岬は不満そうに、不破の去って行った方へ向かって言い返す。不破には届かず、返事はない。
「……がんばるもん……言われなくたって……」
頬が赤いままの岬はそう呟いて、レモンティーに口をつける。紙コップの中のそれは、少しぬるくなっていた。
*
千咲と宗助は、荷物をひとまず全部千咲の部屋へと運び(宗助は部屋の中には入れてもらえなかったが)今日起こったことを報告する為に隊長である稲葉の元へと足を運んでいた。その稲葉はオペレータールームに居たため、とくに探すことに手間取る事も無かった。
「………という訳で、その保護者を、私の独断ですがスワロウへと勧誘したんですが、今日は良い返事は聞けませんでした」
千咲はその日あった事を、全て稲葉に話した。リルの保護者と出会った事。彼女がドライブ能力を知っていた事、そして使える事。そしてリルの記憶がひとつとして誤魔化されていない事、彼女は断続的に謎の敵に狙われている事、二人を独断でアーセナルへと勧誘した事。
「そうか。まず、休日にそんなことをさせてすまなかったな、二人とも。まぁ、そういった類の不備というか、記憶操作が効かない人間がごく稀に存在するのかもしれない。人間の脳はまだまだ判らない事だらけのブラックボックスだ」
稲葉は二人を労うと、彼女の記憶が健在である事に対しても特に咎めたり焦ったりすることもなく、ただその事実に対しての己の見解をゆっくりと述べた。
「でもさぁ、海嶋くん、万が一今までの記憶操作とか情報封鎖にもミスがあって、それが元で『殺人マシーン世に憚る!』つって、世間が大騒ぎになったら、上層部はどうするんだろうね」
「まぁ、そりゃあ大問題だろう……。世間がそれを信じるか信じないかは別として。とにかく報道規制を敷いて……、ただのオカルトやゴシップである事を強調して。でも、圧力をかけすぎても、それはそれで真実だとこちらから言っているようなものだし……」
「ネットなんか凄いよ、そういうの。情報があっという間に、それこそ爆発的に拡散するからね。それが真実だろうがデマだろうが、ソースが信用できない物でも面白そうだったり耳触りが良ければ……」
隣で話を聞いていたオペレーター達、桜庭・海嶋・秋月がそんな風な会話を交わし、そしてさらにそれを聞いていた稲葉が
「うぅむ。確かにそう言われると不安になってくるな……」
と眉間に皺を寄せて、一緒になって呻りだした。稲葉鉄兵という男は、顔はなかなかの強面だが、少々ネガティブな一面を見せる事もある。
「あの、そうじゃなくて、それよりもまずリルの事について!」
何やら千咲の思惑とは別の方向へと話の花が咲いてしまい、彼女は慌てて話の軌道修正を試みる。稲葉は少しの間考える素振りを見せ、そしてゆっくりと千咲に視線を向けた。
「……そうだな。その二人の監視を強化するのが妥当だろう」
「監視強化ですか」
「あぁ。我々の中から一人選び、彼女達の生活を監視する。情報の流出阻止、有事は護衛の任務に就いて貰う。……と言っても、女性の二人暮らしの部屋を監視し続けると言うのも、任務とはいえ少々気まずいものがあるな」
「ま、役得だなんて思う不届きな奴も中にはいるでしょうけどね」
秋月がぼそっと呟く。
「そこでだ、千咲。この任務、頼まれてくれないか。同性のお前ならそういった問題も少しは緩和されるだろうし、彼女達との面識もある。いざと言う時もやりやすいだろう。通常の任務と併せてだから少々キツイ事になるかもしれんが、そのあたりは俺達がなるべくカバーするようにする」
「いいえ、大丈夫です。その任務、私に任せてください」
気遣う稲葉に対して、千咲は姿勢をただし、爽やかな笑顔で敬礼のポーズを取った。




