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machine head  作者: 伊勢 周
7章 トレインジャック
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プレゼント

 宗助達が訪れた高台では、一文字千咲が両足を腕に抱えた体育座りでベンチに座り背もたれにもたれて、そのままぼんやりと景色を見てはまた足元に視線を落として、を繰り返していた。


「この場所はね」


 岬が、ぽつりと話し始めた。宗助は、ベンチに座るその影を遠巻きに見つめながら、岬の言葉に耳を傾ける。


「この場所は、私と千咲ちゃんの秘密の場所で。いろんな時に、この場所に来て……気持ちの整理をするっていうのかな、とにかく、落ち着ける場所なんだ。二人で来る時もあるし、一人で来てぼんやりする時もあるし……」


 少し強めの風が吹いた。生い茂る芝生や草を揺らして、さらさらさら、と広場が合唱する。


「今の千咲ちゃんの気持ち、ちょっとだけわかるんだ」


 風で靡く髪を右手で押さえながら、岬がぽつりと呟いた。


「不破さんも白神さんも、宗助君も。あんな状況からみんな生きて帰ってきてくれて、すごく嬉しくて、ホッとした。だけど、なんだか納得いかなくて。喜んでいいのか怒っていいのか、なんだかもやもやして、気持ちの置き場所がわからなくなっちゃったんだと思う。きっと宗助君にどう接して良いか、千咲ちゃん自身もわからないんだよ」

「そっか……ありがとう」


 岬に礼を言い、宗助は前を見据える。

 怒った姿も涙を流す姿も、遠くを眺めて思い悩む姿も、宗助にとっては初めて見る彼女の姿だった。宗助が知っている、明るくて勝気で自信に満ちている彼女の姿はそこにはなくて、彼女をそうしたのは彼自身の仕業なのだ。千咲のその姿を目の当たりにして、宗助の中から彼女へかける言葉を見失わせてしまう。

 だがしかし。だからと言って、ここで彼女から逃げる事は許されないというのも判っていた。千咲はこちらに気づいておらず、じっとオレンジに染まった空と山と町を見つめ続けている。その背中に向かって、宗助は静かに歩き始めた。

 彼女に視点が集中する。自分の足音がやけに大きく聞こえて、緊張しているのが自分でもわかるほど、心臓の鼓動がハッキリと感じられた。彼女にかけるための様々な言葉が宗助の頭の中を過るが、どれもこれもしっくりと来ない。それでも一歩一歩芝生を踏みしめて、拳を握りしめて、彼女の居る場所へと歩く。そして、彼女が座るベンチの一メートル後ろで立ち止る。


「一文字」


 名前を呼ぶと、彼女の肩が一瞬だけびくりと浮き上がる。しかし振り返りはしない。


「……………。なんであんたがここに居んのよ」


 返ってきたのは、ぶっきらぼうな台詞のみだった。


「岬が連れて来てくれたんだ」

「……そ」


 言葉が、途切れる。

 暫くの間立ち尽くして、言葉を探す。だが、宗助が自分で予想していた以上に適切な言葉は見つからず、生まれてくれもせず、ただただ草木のざわめきが丘を包む。気の利いたセリフも謝罪の言葉も言えない自分が情けなくて、宗助は唇を噛む。


「…………ごめん」

「え?」


 突然、千咲が謝罪の言葉を述べた。宗助にとって余りに予想外の展開で、頭がついていかない。謝ろうとしていた人物に先に謝られ、肩すかしをくらう。


「だから……急に、顔ひっぱたいたりして、ごめん」


 相変わらず千咲の顔は景色の方へと向けられたままだったが、ハッキリとした声だった。


「……あ、あぁ。いや、いいよ。その、俺が悪いんだ。命令無視して、みんなに迷惑かけて、心配かけてさ。ひっぱたかれても仕方ないし……むしろあれのおかげで目が覚めたっていうか……」


 それ以上何も言えず、そして、またしても沈黙。謝るべき人間に逆に謝られると言うのは、なんともばつが悪い。宗助は言葉を発しようとするも、喉元で止まったそれは空気を震わせることは無かった。

 少しして、千咲が自分の座っている場所の横を、ばんばんと平手で叩く。座れという事らしい。彼女の背中が、「いつまでも背後に居られると居心地が悪い」と言っているようだった。何も言えない自分に対して、「あっちにいけ」だとか「用が無いなら帰れ」だとか、すぐにでも追い払われてしまっても仕方ないと想定していた宗助にとって、少し意外な展開だった。宗助は恐る恐ると言った様子で千咲の隣へと腰掛ける。


「で」

「……で?」

「あんたは何なのよ」


 千咲は相変わらず、隣に座った宗助に視線さえ向けずに言葉だけ投げかける。抑揚がない、普段の彼女を知る者ならあまり考えられない様な声色である。


「勝手な行動をとって心配かけたから、それを謝りに来たんだ。……本当に、すまなかった」

「別に良いわ、もう。心配うんぬんも、この隊に居たら誰だってそうなるし。仲間のミスをサポートするのも任務の内だから」

「……じゃあ、なんでそんな納得いかなさそうな顔してるんだよ」


 宗助が言うと、千咲はまた黙する。もう良いと言いつつも、やはり彼女の中では何かしら咀嚼しきれていない気持ちがあって、だからこそこうしてこの『秘密の場所』で黄昏ていたのだろう。

 宗助は考える。彼女に今必要なのは自分の謝罪なのだろうかと。宗助が彼女を「納得していなさそうな顔」と評したように、彼女に必要な物は「納得」なのかもしれない。「ごめんなさい」の六音よりも、もっと彼女に必要な物。


「――あの時。あの、命令を聞かずにアイツに向かって行った時」


 宗助が沈黙を破った。慎重に、慎重に、まるで薄氷を踏んで進むかのように、話し始める。


「勝てる訳ない、逃げろって皆が言った。俺も直前まで逃げるつもりでいた。皆の言う通りあいつは想像の何段も何十段も上を行っていて、立ち向かった時も、考えが甘すぎたって事を思い知らされた」


 宗助は思い返す。初めてミラルヴァと対峙した時の事を。あのほんの一筋さえ希望の見えなかった威圧感、凍り付いて熱を失っていく闘志。圧迫感に吐き気さえもよおした。それでも立ち向かえたのはなぜだったのだろうか。自分の気持ちを辿っていく。


「……でもさ。相手が強いから逃げて、相手が弱ければ戦うって、なにかが違うんだ。そうじゃなくて、相手が誰であれ、逃げるだけじゃなくて、自分に出来る事はなんだろうって考えて……その気持ちのまま動いたら、ああなってた。自分でも不思議だった。『なにやってんだろう、俺』って思ったよ。思ったけど、でもなんか、すっきりしたんだ。迷いが飛んで行ったような感じで。あぁ、俺はここでこうやって戦っていくんだなって」


 話した言葉自体は一文一文をなんとか無理矢理繋ぎ合わせたようなちぐはぐな内容だったが、それでも精一杯の自分の気持ちがわかってもらえるように、必死に言葉を選んで話した。


「その結果があんなのだから、説得力ないけどさ……」


 そう言って話を切り、小さくため息を吐き、自嘲する宗助。

 千咲はそんな彼の横顔をチラリと見て、そして言葉を聴いた中で、宗助に対する評価が少しだけ変わった。そこには彼女が思っている以上に、彼が今彼自身の置かれている状況に対しての自覚と決意があった。命令を無視した揚句意識不明の重体で帰還するなど全く褒められた物ではないが、それでも彼は、自分の行く道を他人に無理矢理ねじまげられてなお、懸命にもがきながら進もうとする確固たる意志があったのだ。


 千咲の沈黙が耐えられず「あぁ、もう、何が言いたいんだろう」と、宗助は頭をがしがしと掻いた。


「兎に角、心配をかけたし、泣かせてしまった。許してほしい。勝手かもしれないけどさ。お詫びといっちゃあなんだけど、俺に出来る事ならなんでもやる。やらせてくれ、何でも」

「………………………本当に? 何でも?」


 食いついた。宗助からすれば、それはもう、突然に。


「……俺の出来る範囲で」


 千咲のその反応に、少しだけ「しまった」といった顔をしながらも、宗助はそう言うのが精一杯だった。「やっぱりダメ」なんて言おうものならどうなる事かわかったものではない。それに、宗助にとって、この同僚にあのまま無感情でいられるよりはずっと居心地が良かった。


「ふむ……。何させてやろっかなぁ、ひひひ」

「うわっ、悪い顔」

「何よ悪い顔って、しつれーな」

「いや、だって本当に、それこそまるでドラクエのあくまのつぼのような――いってぇ!」


 千咲は左拳で宗助の肩をがつんと殴りつけた。宗助は痛みの患部を左手でさする。


「あんた本当にお詫びしようって気持ちあんの?」

「あ、あるさ、あります! でも痛いのは出来るだけ無しの方向が良いです!」


 背筋をピンと伸ばして必死に意志表示する宗助が、思いのほか千咲の笑いのツボにはまったのか、くくっとのどを鳴らして笑みを零してしまう。先程まであれ程浮かない気分だったと言うのに、人間はこんな数分で気分がころころと変化する物だったろうかと自嘲してまた笑う。

 くっくっく、と声を殺して一通り笑い、波が過ぎ去って再び千咲は態度を落ち着かせて言う。


「いい、いいよ。もういいわ。この件はチャラ。あんたのその熱意に免じて」


 待ち望んていたその言葉を聞いて、宗助の硬かった表情が和らぎ始める。


「……でも、なんでも言う事聞いてくれるって言うのを無視するのもあんたの熱意を無駄にしちゃう事になるし、仕方ない。ひとつ『お願い』をしてあげる」

「え」


 そして一瞬で元通りに強張った。と、その時。


「ち、さ、き、ちゃん!」

「うわっ!」


 突然千咲の視界に、上部からすとんと紙袋が降りてきて、彼女は驚き小さな悲鳴をあげる。千咲が何事かと振り返ると岬が笑顔で立っていた。ぶら下がっていた紙袋を思わず受け取ってしまう。岬は小走りで千咲と宗助の正面に回り込んだ。


「み、みさき!?」

「何驚いてんだよ、岬に連れてきてもらったって言っただろ」

「そうだけど!」


 そして自らの手許にある紙袋に視線を戻して、それが何かを一瞬で理解する。


「これっ……! わ、わたしが渡すの!?」

「だって、仲直りできたみたいだし、千咲ちゃんの方が適役かなって」

「そんなの、岬だって、ほら、あれ! 毎晩渡すの楽しみにして紙袋見つめたり抱きしめたり――」

「ええっ、えっ、え、え!? なんで!? 見てたの?!」

「え、あ、えぇ!? あっ、適当に言ったんだけど、本当にそんなのしてたのっ?」

「……」

「……」


 二人の間に妙な空気が流れるが、宗助は全く会話に付いて行けず、ただ目の前の二人の狭間で視線を左右にせわしなく動かしていた。


「えっと、何の話……?」


 宗助が二人に向かって恐る恐る尋ねると、二人は同時にバッ、と宗助の方を向く。

 そして彼女らは再びバッ、と音を立てて向き合うと同時にコクリと頷き、紙袋の手提げ部分を二人で持って。


「誕生日、おめでとうっ!」


 宗助にその紙袋を二人で突き出した。しばし呆然とその紙袋を眺めていた。まるで他人事、映画を見ているような感覚で。彼女らの顔が赤いのは、夕陽のせいか、それともまた、他に何か原因があるのか。


「え、ええ?」


 宗助からすれば急展開だった。ここにたどり着くまでの経緯もあり完全に自分の誕生日が頭から抜け落ちていた為仕方ないが、宗助の思考回路は数秒間電流が止まった。そして千咲と同様、突き出されたそれを反射的に両手で受け取る。


「えっと、これ、俺の?」

「うん。二人で買ったの。前に三人で買い物行ったでしょ? あの時に」

「そうなんだ……全然気づかなかった。ありがとう……!」


 宗助は心底嬉しそうな顔で、しっかりと紙袋を握りなおす。中身が気になるようで、視線がチラチラと紙袋の中身へと向いている。


「ほら、開けて開けて」


 と千咲に促されて、では遠慮なく、と宗助は紙袋を閉じているテープを破り中身を取り出す。千咲と岬は、その様子をまるで手に汗握るアドベンチャー映画を見ているかのような表情で見つめていた。髪袋の中からは包装された小箱が現れた。それを手に取って、袋から取り出す。


「へぇ、なんだろう」


 小箱を開けると、先端に青く光る石が装飾されたチャームが付けられたペンダントが静かな存在感を放って、鎮座していた。


「すごい綺麗だな。男の俺が付けてていいのかな、こんなの」


 手に取ってまじまじと見る宗助を横に、二人が話を始める。


「まぁ確かに男の人が付ける感じじゃないかもだけど……でも、お店の人が言ってたよね」

「うん。誕生日とか性別とか色々訊かれて。それで確か、『その人の幸福な運命を固定するアイテムだから、常に身に着けておいてください』って」

「あ、あと『あくまで手助けするものだから、過信しないで』だっけ?」

「うん、そんな感じ」

「……。そ、そうなんだ……」


 そんな二人の会話に対して、ぎこちない笑顔で応える


(………言っちゃ悪いから言わないけど、怪しいにおいがする……)


 宗教にでも勧誘されそうな文句ではある。だけど、それが綺麗だと思ったのは心からの感想だ。それに、どんな品物であっても、誕生日を覚えていて贈り物をしようと考えてくれた二人のその気持ちが心底嬉しかった。


「ありがとう、二人とも。本当にうれしい。それで、今日は本当にごめん。もっと頑張って、誰にも心配かけないくらいに、強くなるから」


 二人の目を交互に見つめながら、宗助は力強く言い切った。


「ん。そんじゃあこの千咲師匠がまたびっしばししごいてあげる。覚悟しなさい」


 千咲は、照れ隠しなのか少し軽めの口調で言い


「あんまり無茶しすぎて、身体壊さないでね」


 岬は普段通りの優しい口調で応えた。空はその殆どを群青色が占めていて、宗助達が見渡した街にも少しずつ光が灯っていった。


 五月二十日。その日だけで幾つの出来事があっただろうか。

 紆余曲折を経て三人は、それぞれ互いの心を少しだけ近づけてその日を終えた。





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