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machine head  作者: 伊勢 周
7章 トレインジャック
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秘密の場所へ

 宗助はやはり、その背中を見送る事しかできなかった。そして彼女のその小さな呟きは、棘となって宗助の心に突き刺さったままだ。

 彼女が部屋から出ていった後の、自動ドアが閉まる音が心なしか大きく聞こえて、胸がきゅっと締め付けられる感覚に襲われる。不破が千咲の出て行った方向を見て、「あららー」なんて軽い口調で言う。

 宗助が出入り口から目を離すと、今度はすぐ隣にいた瀬間岬と目があった。

 卑怯ともとられるかもしれない。だが宗助は今、誰かに謝らなければ、心を安定させる事が出来なかった。だから、岬に向かって言った。


「…………その、ごめん、岬。勝手なことして、迷惑かけて……。最低だ、俺」

「うん、そうだね」


 宗助の自虐的な一言を、躊躇なくはっきりと肯定する。宗助は今になってようやく、自分がいかに愚かな行動をとったのかを理解し、その現実を受け止めていた。それは情けない事に、一文字千咲の目に浮かんでいた涙のおかげで。

 宗助は岬からも咎められると予想して、そのつもりで心構えをして彼女が口を開くのを待っていたのだが、それはいつまで経ってもやってこなかった。


「……怒らないのか? 俺の事」


 思わず宗助は、そんなことを岬に尋ねてしまう。


「……言いたいことは、千咲ちゃんが言ってくれたから」


 その言葉を聞いて、宗助はまた少し俯く。そう言った岬の表情も、複雑そうなものではあったが。


「……岬、えっと……。怪我、治してくれたんだよな。……ありがとう」

「……うん。どういたしまして」


 宗助の感謝の言葉に岬は控えめに笑って応える。その笑顔を目にして宗助は、心のつっかえが少しだけ取れた気がした。


「不破さん、稲葉隊長、平山先生。迷惑をかけて、すいませんでした」

 宗助は続いて、岬よりも少し後方に立っている三人にも頭を下げる。平山は「全く、どうなる事かと思ったよ」とため息まじりに言い、不破が「気にすんなとは言わねぇけどさ、まぁ、勉強だな」と続けた。

「宗助」


 そして最後に稲葉が宗助の名前を呼び、宗助はその声に反応して頭を上げる。


「勘違いしているようだから言っておくが、迷惑だなどと一言も言った覚えはない」

「隊長……」

「命を懸けて戦うという覚悟をしたのなら、どうしても退けない、退く事の出来ない場面には必ず遭遇する。だがな、……今日はその時じゃなかった……ように俺は思う。……確かに奴らは、鉄材や精密機械をあちこちからくすねているようだ。そういった盗難被害の件数もここ数年で急激に跳ね上がっている。それは将来マシンヘッドとして再使用されてしまうのだろう」


 稲葉は自らが語っている事実が気に食わないらしく、険しい顔をしながら語っている。


「しかし。それを阻止できたとして、もしお前があのまま殺されてみろ。結果だけを見た時に残るのは『あいつは列車の車両と壊れたマシンヘッドを守って戦って死んだ』だ。そんなのは悲しすぎるし、絶対に誰も納得できないだろう」

「……はい」


 稲葉の言葉を噛みしめるように、宗助は返事をして頷く。


「覚悟を決める時を間違えるな、宗助。そしてその時の為に、今はしっかりと強さを身につけるんだ。いいな」


 稲葉はそう言って、俯く宗助の頭にポンと手を乗せて二、三回わしゃわしゃと少し乱暴に撫でた。宗助はされるがままで、俯いたまま稲葉のその掌の大きさと存在感、その温かさを感じていた。

 稲葉は宗助の頭から手を離すと、「初任務、ご苦労だった。大変だったろう。今日はゆっくり休んでくれ」と労いの言葉を残して、医務室から出て行った。掌の温かさが急に離れた事により、宗助は頭上に少しだけ肌寒さを感じて、自分の手で頭をひと撫でしてみる。

 そこに、今度は不破が宗助に声をかける。


「宗助、お互い無事で何よりだな。ミラルヴァが出たって聞いた時は正直焦ったぜ」

「不破さん……。……あの、白神さんは?」


 宗助は顔を上げて、そしてこの三日間を共に過ごした先輩の姿が見えない事に気付き、その疑問を不破に尋ねる。


「あいつも無事だよ。ちょっとばかしドライブを使いすぎてな、過労っつーかなんつーか。奴はちょっと特殊なんだ。まぁ、心配ない。部屋で休んでる」

「そう、ですか」

「四両目とカレイドスコープは奪われちまったが、列車の暴走もほぼ無事に食い止められたし、誰一人死ぬ事なく事態は収まった。一安心だ」


 不破は、自分自身が壊した幾つかの扉と、変形させた線路については触れなかった。宗助は相変わらず暗い顔で、「そうですか」と言ってまた俯いた。少し疲労が強いせいもあるが、やはり千咲の一言がこたえたのだった。


「……なんつーかさ」


 そんな宗助を見かねて、不破は優しい口調で話し始めた。


「気持ちはわかる。そりゃあもう、すっごくわかる。敵を目の前にして逃げろって言われて、そりゃないよって思うよな。厳しい訓練受けてきたのになんだそりゃって、なんの為にここにいるんだって思っただろう」

 不破は遠い目をして語る。宗助と新米だった頃の自分を重ね合わせて、色々と思うところがあるのだろう。記憶のフィードバックが終わったのか、今度は過去の自分ではなく、宗助自身をしっかりと見つめて、言う。


「まぁなんだ。焦らなくたっていいさ。お前が頑張ってるのも知っているし、早く一人前になりたいって思うのもわかる。だが、焦って先ばっかり見ていたら、一番大事な今が見えなくなっちまうんだ」

「今……」

「今が無けりゃ、明日は来ない。また明日、始末書やら任務報告書やら色々やる事がある。しっかり休んで備えてくれ」


 不破はそのまま出口へと向かう。


「あ、そうだ、宗助」


 だが医務室から出ていこうとする間際、不破は立ち止まり振り返った。


「後で、もう一回ちゃんと千咲に謝っとけよ。……あいつさ、そりゃあもう、めっちゃくちゃ俺たちの事を心配してくれてたみたいだからさ」


 不破は宗助の返事を待たずに扉の方へ向き直り、右手をふらふらと掲げて、ゆっくりと医務室の外へと出て行った。


「……そうだよな。ちゃんと謝らないと」


 不破が去った後、宗助はぎゅっと拳に力を込める。脳裏には、つい先ほど目じりに涙を溜めて怒りを顕にする一文字千咲の姿が映る。「簡単には許してくれなさそうだけど」と呟くと、そんな宗助に対して岬が「大丈夫だよ」と励ましの言葉をかける。


「千咲ちゃんは、宗助君の事が嫌いで、あんな風に怒ったんじゃないから」

「……うん。嫌われてたら、あんな事言ってくれない」

「うん。……それでね、宗助君」


 岬が神妙な顔で宗助と向き合う。彼女の頬は少し赤い。


「あの……。今から、時間大丈夫かな?」



          *



 医務室で岬に時間の有無を尋ねられた宗助は、素直に「大丈夫」と答えた。すると岬は、「それじゃあ、三十分後に居住区の庭の入り口で待ち合わせね」と言い、それ以上、その事に関して何も語る事は無かった。時間が許せば千咲に謝りに行こうと考えていた宗助だったが、岬の話をもう少し聞いてからでも遅くは無いと考えた。


 約束通りの時間、宗助は庭の入り口にやってきた。岬は既に待ち合わせ場所で待ち構えており、先程までの白衣ではなく長袖のシャツにスキニーのデニムパンツというシンプルな服装だった。手にはなにやら小さな紙袋を携えている。

 えらく身体のラインが出る服装で、出ているところは出ているのに、腕や足、ウエストは妙に細い。あどけない顔で自覚のないらしい色っぽさを振りまく彼女に対して、先程までぼこぼこに凹んでいたにも関わらず妙な雑念を抱く宗助だったが、何かを念じる様に強く瞼を閉じて、軽く左右に首を振って雑念を振り払う。


「それじゃあ行こっか」


 岬はそう言って、宗助の前を歩き庭の中へと進んで行く。


「行くって、どこへ?」


 宗助の問いかけにも、岬はただ微笑み「いいところ」とだけ言ってとぼけるばかりで、歩みを止めない。立ち止まる事によって彼女を一人だけ進ませる訳にもいかず、小走りで彼女に追いついて、隣につける。


 「結構歩く?」と尋ねると、

 「そんなにだよ」と言ってまた微笑んだ。


 アーセナル居住区のすぐ近くに設けられているこの庭園は、もともと基地が山中にある事もあり、広大なスペースを有し、様々な花や木々が植えられ、日々の訓練や心労からの安らぎを求めてこの庭に訪れる隊員も少なくない。また、園芸スペースが無料で貸し出されており、そのスペースを利用して農作物を趣味で育てている者も多いのだ。

 淡い紫の杜若カキツバタ黄菖蒲キショウブなど、色とりどりの五月の花々がやわらかくふわふわと両脇で揺れる細い道を、岬と宗助は歩いている。

 刻は夕暮れ。

 西の空では赤い夕陽が空に溶けかけていて、東の空は群青に染まりかけていた。春の虫が夕焼けに照らされ羽を輝かせながら飛んでいた。

 岬は急に立ち止ったかと思えば、「こっち」と、木々の茂みの中の更に細い道へと潜って行った。

 どこにいくつもりだ? と、訝しげな眼で岬が入って行った茂みを見つめながらも、宗助は後を追って茂みの中へ入っていく。中は薄暗かったが、思うよりもきちんとした道になっていて、きつめの登り道ではあるが、少し先を岬が慣れた足取りで歩いていた。宗助はそれを追い、急こう配な茂みの中の坂道を登っていく。

 五分程だろうか、けもの道を歩き続けると、目の前の岬が「到着!」と言って茂みの外へ出て行った。


「到着って……こんな繁みの中に――」


 宗助もそれに倣って外へ出る。すると。


「へぇ……」


 周囲を見渡しながら、宗助は感嘆の声をあげる。


「ちゃんとした行き方もあるんだけど、この抜け道の方が断然早いから」


 照れくさそうに岬が言う。


「いい場所でしょ?」


 二人の目の前に広がるのは、だだっ広い芝生広場。その先に続くのは、見晴らしの良い高台となった丘。なかなかの高度で、宗助が今立っている場所からでも、宗助の生まれ育った故郷の町を隅々まで見下ろす事ができたし、その先にある海も、遥か彼方の水平線も見る事が出来た。

 景色の中の他の山々は、西日を浴びて木々が茜色に染まっている。


「ん?」


 その高台にベンチが一つ設置されているのだが、そこに座る人影が一つ見えた。


(先客?)


 そう思い宗助は、眼を凝らして先客の正体を見極めようとする。その人が作る影は長く伸びて、もう夕闇が空を包むまでそう時間が無い事を示している。

 宗助は少しずつ歩いて、人影の正体を探ろうと近づく。知っている人物だろうか。それとも全く知らない人間だろうか。ベンチの背もたれより上には肩から上しか見えないが、それが女性だと言う事はわかった。


 後頭部で一つに束ねた髪形、太陽の光でつやつやと光る赤みがかかった髪色。それを見てすぐに、ハッキリと、そこに居る人間が誰なのかを知ることが出来た。


 その人影の正体は――


「一文字……?」


 先程宗助の頬を思い切りひっぱたいた張本人・一文字千咲であった。


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