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machine head  作者: 伊勢 周
7章 トレインジャック
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トレインジャック 12

 カタンカタンと、早めのテンポで規則正しく、列車が線路上を駆ける音が鳴り続ける。西へ傾き始めた太陽の光が、床に窓枠の形の影を作る。風が吹き抜け宗助の前髪を揺らす。

 動力を搭載している車両から切り離されてから減速はしているのだが、直接ブレーキをかけている訳では無い。切り離した直後にトレイン・ジャックにより少々の減速信号が出されただけである。


 不破達が乗る一両目からは随分と距離を離されたが、それでもまだ、随分な速度でレールの上を走っていた。ミラルヴァがその列車をどのようにして止め、どのようにして奪うつもりなのかは不明だが、この男は出来ない事をわざわざ無意味に言うような性格とは思えないし、できないのならわざわざ列車を襲撃しない。

 そもそも、それが嘘か真かなど、そんな物、既にこの状況は超越していた。


 この時、生方宗助は静かであった。

 殆ど何もしゃべらずに、ただその場に立つ。

 喋る事さえも無駄なエネルギー消費と考えているのか、そもそも肺を痛めて喋る事が容易ではないのか。……はたまた、それ以外に何か理由があるのか。生方宗助は、静かである。ほんの数分前と比べて、全くの別人へと変貌を遂げた。

 二人は無言で対峙し、手の内、腹の内を探り合う。何かを待っているかのように、ただただ静かに。列車が走る音と風の音だけがこの場を包む音の全て。

 そんな中、列車がカーブに差し掛かり、大きく揺れた。揺れによって宗助の身体が一瞬、バランスを失い右に傾く。

 その瞬間。

 ミラルヴァは前に飛んだ。

 左足を前に踏み込み腰に捻りを利かせて、右拳で宗助の鳩尾に向かって突きを放つ。

 常人の肉眼では捉えきることは到底不可能な速さを持った攻撃も、宗助はいとも簡単に体を左に移動させてかわす。


「それで避けたつもりか!」


 突き出した右腕をそのまま曲げて折りたたみ肩上にテイクバックを作って拳を握り直し、横一文字に裏拳を薙ぎ払おうとする。

 だが、次に宗助がとった行動は。

 さっきまでそうしてきたようなかわす動作ではなく、かといって防御をする訳でもなく、なんとミラルヴァの鳩尾に向かって右の手のひらを突き出したのだ。

 ミラルヴァは、宗助のこの行動に心底驚かされた。余りにも想定外だった。その突き出された右手は、いつでも空気の刃を放てる格好だ。まさか、『相討ち』を選ぶとは思ってもいなかったのだ。

 ミラルヴァの攻撃がこのまま繰り出され、がら空きになっている宗助の右わき腹に直撃したならば。いくらドライブ能力で空気のクッションを作りダメージを和らげられると言っても、宗助にとって間違いなく致死レベルの攻撃になる。

 だが、今の宗助が放つ空気の刃や圧縮された空気の弾丸は既知の威力である。目と鼻の先。超至近距離、威力は一○○%で迫ってくる。例えこのまま無理矢理攻撃を押し込もうとも、反撃は避けられない。そしてそのまま急所に撃ち込まれてしまえばタダでは済まない。最悪、死が待っている。

 反撃を予測していなかった訳ではないが、あまりにも早いタイミングでの切り返しにミラルヴァの心は戸惑いざわつく。

 一瞬の思考、一瞬の判断。押すか、一旦引くか。


(……引く? …………ありえん!)


 それは戦士としてのプライドか単純な自信か。

 ミラルヴァは拳を一層強く握り締めて、裏拳を宗助の右わき腹目がけ、躊躇わずに始動させる。

 そして全く同じタイミングで、宗助の右掌で空気が激しく、渦を巻く。

 未来を掴むのは、どちらの右手か。



          *



 一両目の運転室では……。


「参った……こりゃあさっきの予想到着時刻よりも、随分と早く到着するぞ」


 不破が外の景色を見て呟く。小春がコンピューターに数値を打ち込んで算出した予測タイムリミットは、あくまで『その時の速度を保った場合』なのであって、先程までぐんぐんと加速していたこの暴走列車は、コンピュータが打ち出した三十一分という予想時間を大幅に短縮して、不破や白神が既に見知った景色を肉眼でかすかに捉えられるほどまでにアーセナルの駅舎へと近づいていたのだ。

 当然、速度が上昇すれば到着が早くなることなどは小学校を卒業していれば誰でもわかる問題ではあるのだが、法則性もなく際限もなく速度を上昇させるため、到着時間を試算するたびに新たな数値が算出されてしまう。

 結論は「とにかく急いで止めるしかない」というシンプルな答えにしかいきつかないのだ。

 そのため、到着時間まであと何分だとかに集中力を割くよりかは、新たな操作盤の製作作業に精神を集中させた方が幾分か建設的なのだ。なのだが……、それはあまりにも予想を超えて早かった。


「これが最後の線」


 不破が一本の銀の線を目の前にしてぽつりと呟く。


「ったく、とんでもねぇ事してくれやがったな」


 忌々しげな表情と視線を送り、右手の指先をその線へと伸ばした。そして不破の指がそれに触れた瞬間、その部分がみるみる細くなり、あっけなく切れた。


「どうだ、白神」

「ええ、成功です。この列車はたった今、正常に戻りました。あ、でもだからってそのマシンヘッドは破壊しないでくださいね。それも立派な制御盤の一部ですから」

「わかってるよ、それくらい。本部。こちら不破。列車の制御自体は無事取り戻した。運転可能だ」

『了解! すぐに列車を止めてください! 現在四・五両目は随分と後方に位置しているし、線路の経路もこちらで移動させるので、追突の恐れはありません!』

「オーケー。そんじゃあ後は運転手さん」


 不破が運転手席に顔を向けると、運転手は既に運転手席に座ってボタンやレバーの操作を始めていた。


「あぁ任せてくれ。だが……距離が少し、足りないかもしれん」


 先程までずっと静かに佇んでいた初老の運転手は、自分の出番か、ときびきびと行動し始めた。彼は彼なりに、自分に何かできる事は無いかと隣でずっと神経を尖らせていたようで、ようやく力になれる事に誇りとやりがいを感じているようだ。


「多少止め方が荒くなっても構わない、死ななきゃなんとかなる」

「……やれるだけのことはやらせてもらおう」


 作業を続けながら話す運転手に今度は白神が話しかける。


「運転手さん。車内アナウンスを借りますね」


 そう言って車内アナウンス用のマイクを手に取った。


「列車スタッフのみなさん。落ち着いて聞いてください。今からこの列車を急停止させます。相当揺れると思うので、何かにしっかりとつかまって、ヘルメットか何かをかぶっていると好ましいです。手許に無い場合は、何か布だとかで頭を保護して、衝撃に備えてください。よろしくお願いします」


 淡々とそれだけ言うとマイクを所定位置に戻し、白神は壁にもたれかかり、そのままずりずりと壁伝いにずり落ちて、地面にペタリと座り込んだ。まるで、そこに座るしか他に選択肢がなかったような様子で。


「……すいません、不破さん」


 申し訳なさそうに、白神が言う。少し息が荒く、こめかみや額に汗がいくつも浮かんでいた。


「少し長く使いすぎたんだろう。よくやってくれた」


 白神の謝罪に、不破は何も気にしていないと言う素振りで返答する。白神のエレメンタルドライブは、その特性から、長時間使用し続けると精神への負荷が大きい。その為、今回のように休みなく酷使すると、精神力はすり減り、それは肉体にまで影響を及ぼし、強制的に脱力状態となってしまう。

 不破が外の景色に目をやると、既にアーセナルの駅舎へと続くトンネルがすぐそこまでせまっていた。


「よし、ブレーキをかける!」


 運転手の言葉と同時に、まるで突然後ろから誰かに思い切り突き飛ばされたかのような衝撃が不破達の背中を襲った。


 キキキキキ、キキ、キキキキ!

 鉄と鉄が擦れあう甲高い音。車輪とレールが必死にせめぎ合っている。


「うおおおおおおっとぉ!!」


 慣性で前方に投げ飛ばされた不破は壁に激突し、さらに首がガクンと前に押し出される。体全体を想像以上の圧が襲う。

 列車は急速にスピードを落とし始めるが、いかんせんもともと出ていたスピードがスピードで、簡単には停車しない。

 列車はトンネル内に入る。運転手も必死に足を踏ん張って運転席にしがみついており、右手はぎりぎりと音が鳴るほど強くレバーを握りしめている。何にしろ本来想定されたキャパシティを大幅に超えたスピードで走っていたのだ。この停車作業も想定外の負荷がかかり、前後だけでなく、列車は左右にも激しく揺れる。

 窓に開いた穴から、悲鳴のような野太い音が侵入してきた。トンネル内で音が反響し、音同士がぶつかり合って、耳がイカれそうな程の振動となる。列車が左右に激しく揺れて、喉の奥がひっくり返って浮くような感覚に襲われる。


「……止まってくれっ……!!」


 誰かが叫んだが、その声すら外から絶えず侵入してくる凄まじい摩擦音にかき消された。電光掲示型の速度表示はもはやエラーを起こして、正確な数字を表示しようとさえしない。しかしながら、随分と速度は落ちた。耳障りなブレーキ音も間隔が短くなり、トンネルを照らす照明が通り過ぎる間隔も同時に長くなる。

 だが、まだ止まらない。


(まだ止まらないのか……!?)


 不破は思ったことを、この状況を、そのまま心の中で呟く。圧迫感が小さくなってきた為、不破は体の横にあった台に手をついて立ち上がる。目測でも未だに一〇〇㎞/h以上は出ているだろうか。薄暗いトンネルがしばらく続き、そして、前方に小さい光が現れた。

 それもぐんぐんと大きくなり、光の向こうには、つい三日前に自分たちが発った場所、アーセナルの駅舎がある。列車は依然として高い速度を保ったままゴールに辿り着こうとしている。


「おい、もっとブレーキ効かないのか!」


 不破が運転手に叫ぶ。だが。


「これが限界だ!」

「このまま揺れながら駅舎につっこんだらそれこそホームにぶつかって脱線するぞ!」「わかってる!」


 会話の間にも、列車は走る。スピードが落ちているのは実感できる。だが、このまま止まるべき場所で止まってくれる実感は、全く湧かない。そこで突然、不破が一両目の出口へと走り出した。


「どこに行く!?」


 運転手が、不破に顔を向けずに声だけを投げかける。


「アンタは列車のブレーキに集中してろ!」


 そう言って、全速力で一両目を飛び出していった。



 不破は走る。二両目の通路を抜けて、三両目に辿り着く。三両目の通路も走りきると、既に連結が解除されている四両目への扉を蹴り開けた。やはりそこには続きは無く、ただただ走ってきた線路が遠く彼方まで続くのみである。相変わらず列車は相当なスピードで走行しており、線路の枕木がいくつもいくつも後方へ流れていく。


「……まぁ、死なんだろ」


 不破は小さく呟いて一秒、躊躇なく列車の外へと跳んだ。

 足が地面に着地した途端、今度は背中を思い切り『見えない何か』に引っ張られるような感覚に見舞われる。たまらず背中から転び、先程まで乗っていた列車の速度そのままに引きずられるように線路の上を派手に転がっていく。不破はその間どちらが上でどちらが下か、どこが痛くてどこをぶつけて、どこが無事なのか、理解が追いつかない。

 何十回、体は回転しただろうか。信じられない事に、不破はそこから態勢をリカバリーする。

 転がりゆく中、両足が上に投げ出されたところで思い切り腕に力を込めて、身体ごと逆立ちするように持ち上げる。転がる勢いと、身体が持ち上がる力を利用して、不破は漸く地面にその両足を着けた。

 足を小刻みに動かしつつバランスを取り、不破は線路上に立つ。列車は既にかなり後方へと進んでしまっている。

 不破は一人助かる為に列車から飛び降りたのか?

彼の性格はそんなことを絶対に良しとしないのは、彼を知るものなら誰でもわかる。服はずたずたに破け、服や肌は泥だらけ、頭から多量の血を流しながらも、不破はそんなことを気にも留めず、すぐにその場にしゃがみ、両腕を広げて両手で線路に触れた。

 彼は自分が助かる為に飛び降りたのではない。線路はこの先ずっと、駅舎を超えて車庫まで直線だ。それを利用する。

 不破が直接線路に触れて、線路を正確かつ超高速で後方に滑らせるように変化させることによって、無理矢理列車を線路ごと後方へ引っ張り、ホームまでの距離を稼ぐ。

 余りに膨大な変化量だが、ここまで来たからには、やるしかない。

 不破が触れた部分に紫電が走る。静かに、歯を食い縛って、ありったけの精神力をつぎ込み線路を変化させ続ける。レール伝いに感じる振動は、未だに列車が止まっていないサインである。


(もっと早く、もっと正確に……!)


 傍から見れば線路上でただ線路に触れているだけのように見えるが、日本の鉄の線は今、大蛇が地を這うように、線路の進行方向とは逆の方向へと動いているのだ。


(止まれ、止まれ、止まれ止まれ……!)

「と、ま、れぇぇぇぇぇぇっ!」


 不破は、腹の底から、地面に向かって雄叫びをぶつけた。

 やがて。

 列車が走行する事によって生じるレールの振動は止まった。列車が脱線・衝突するような音も、駅舎が大きく破壊されるような音も、トンネル内には響かない。


「止まったのか……?」


 不破が列車の走って行った方向へと振り返る。彼の耳に装着された通信機が振動し、着信を報せる。


「……こちら不破」

『不破さん、今どこに?』


 無線の相手は白神だった。「線路の上だ」と率直に答えると、「はぁ?」と、彼にしては珍しい素っ頓狂な声が飛んだ。


「列車、ちゃんと止まったか?」


 そして今度は不破からの質問。それに対して、少し間を開けて返って来た答えは。


『ええ、止まりましたよ。めちゃくちゃギリギリでしたけどね』


 それを聞いて、不破はその場にへたり込んだ。


「……この三十分間、その言葉を待ってたよ……。ほんとぉーーーーーに」


 不破の心に残るひっかかりは、後は生方宗助のみ。



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