スワロウ
――。
(なんだ、これ……。なんか、あたたかい……)
「――……で……傷が――ってて」
(なにか、聞こえる……。近くで、……人の声が……)
「これ……治り――ね?」
(知らない声が、すぐ近くに……。誰、だ……?)
宗助がうっすら目を開けると、目の前には見覚えのない天井があった。寝起きでぼんやりした思考で目だけを左右によろよろ動かし、周囲を確認する。
「あ、起きた」
「おー。ようやくお目覚めか」
聞こえてくる声は、どうやら自分に向けられているものらしい、と宗助は理解する。しかし、どれだけ頑張っても理解できない事があった。
「……どこだ、ここ……」
見覚えのない天井、知らない匂い、空気。
ベッドの横では、クリーム色のブラウスの上に白衣を羽織ったロングボブの黒髪の女の子が、ベッド横の長いすに腰掛け、長い睫毛を揺らして心配そうに宗助を覗き込んでいる。年齢は宗助と同じか、少し下に見える。その横には、えんじ色のジャケットとチノパンツを着た二十代半ば程の、短髪黒髪で精悍な顔つきの男性がこちらに微笑みを向けている。さらにその隣には、男と同じジャケットを着た赤髪の女――。
(っ、こいつ……この女だ! こいつは知ってるっ、この女には聞きたいことが山ほど――!)
急速に記憶が蘇っていく。
病室での件を問いただそうと上半身を起き上がらせて、口を開こうとした。しかし。
「おっす、はじめましてだな。俺の名前は不破だ。不破 要。よろしくな」
「は、はじめまして、私は瀬間岬です。岬って呼んでね。よろしくお願いします」
宗助が言葉を発するより先に、他の二人がそれぞれ自己紹介をした。不破と名乗った男性はにっと笑い、岬と名乗った女性はぺこりと腰から頭を下げた。それぞれの自己紹介に完璧に出鼻を挫かれて「やっぱりさっぱりワケがわからない」という顔の宗助に、追い討ちをかけるように赤髪の女性、一文字千咲が話しかける。
「私は一文字千咲。改めてよろしくね。ほら、こっちの自己紹介も済んだから、寝起きの頭覚ましがてら自己紹介してよ。あと、いろいろ訊きたい事とかあるだろうし、なんでも言っちゃって」
「えっと、その……」
宗助としては特に考えもなく、なんとなく声を発しただけだったのだが、三人はその声を聞き逃さなかった。バッと三人同時に宗助の方へと顔を向け、真剣な面持ちで次の言葉を待っている。
「……いや……何を、何処から聞けばいいのかまとまらなくて」
宗助の言葉を受けた三人は沈黙したまま固まった。宗助からすれば、怪我の痛みで気絶し、気がつけば知らない場所で知らない人物に囲まれていたのだから、無理もない。
「ご、ごめんね、いきなり過ぎてわかんないよね、そりゃそうだよねっ」
まず、岬と名乗っていた白衣の少女がとても気まずそうな顔で慌てて謝ってきた。謝っているのは彼女の方で、宗助に非も無いはずなのだが、そのあまりに腰の低い態度に宗助は自分が悪い事をしてしまったかのように感じてしまう。
そんな時、少し離れた場所からまた違う声が飛んできた。女性の声だが、岬や千咲のようなソプラノボイスではなく、少し年季が入った低い声だ。
「うっさいよ、あんたたち。廊下まで声が響いてきてる」
ベッドとベッドの間に設置されたパーテーションカーテンが捲られ、白衣を着た、恰幅のいい四十代程の女性が顔を出した。
「お。目を覚ましたんだね。状態は?」
「怪我自体はもう大丈夫そうだよ、お母さん」
その女性は、宗助を見るとニっと笑い、語りかける。
「きみ、騒がしくてすまないね。こいつら新入りが来たって舞い上がってんのさ。落ち着くまで我慢してやっておくれ。それより、もう気分は大丈夫かい? 眩暈や頭痛はない?」
宗助は自分の身体の感覚を改めて確認する。
あの鉄のロボットにこっぴどく痛めつけられた筈だったのだが、既に肉体で痛い部分を探す事の方が困難な程に回復していた。
寝ている状態から上半身を起き上がらせると、実際に肩を回したり腰を捻ったり、身体の各部の調子を確かめるような動作をする。
「……なんともない……なんで」
「そりゃあ良かった。健康に越したことは無い。岬に感謝しなよ。その子がいなけりゃあ、全治半年は下らなかっただろうね。肋骨三か所と足の甲の骨がボキッと派手に折れてた」
そう告げられ、自分の寝ているベッドの隣に目を戻す。岬と名乗る彼女の黒く澄んだ二つの瞳と、バチっと音が鳴ってしまいそうな程ばっちりと目が合った。
「……っ」
少しだけ見つめ合って、照れくさくなり、どちらからかともなく視線を外す。
「えっと……ありがとう、治してくれて。何が起こったのかわからないけど、もうどこも痛くない」
「う、うんっ。でも、もしまたどこか痛くなったら、遠慮なく言ってね」
そう言うと、岬はとても嬉しそうに、かつ照れくさそうに頬を赤らめ、微笑みを向ける。宗助はというと、自分に向けられたその微笑に数秒間心を奪われてしまっていた。有り体に言えば「かわいい」と見とれていた訳であるがしかし、そんな思考に浸っている宗助の意識も、ウオッホン、というわざとらしい咳払いですぐに現実に引き戻される。
「紹介が遅れたね。私は平山佐和子。この医務室の室長だ。覚えておいて貰えると嬉しいね。それで、あんたの名前も聞かせてちょうだい。できれば簡単な自己紹介も」
「俺は、生方宗助です。えっと……大学生で、十八歳です」
「生方宗助君、ね。いい名前じゃないか。十八って言ったら千咲と同じ年か。それで、生方君。お互いにもっと色々と聞きたい事があるだろうし、質問があれば遠慮なくこいつらにぶつけてやると良い」
室長の平山と名乗る女性は、そう言って不破達を指差しながら宗助に質問を促した。
「えぇっと、では。そう、まずここはどこですか。医務室って、どこかの病院でしょうか」
「ハズレだ。病院じゃない。ここは、特殊部隊『スワロウ』の基地『アーセナル』の医務室」
「と、特殊部隊……!?」
普通の大学生にとって、あまりに無縁で現実離れしている四字熟語であった。しかし不破は彼の反応に大きな反応を見せることはなく平坦な態度で話を続けた。
「おう。一応、Special Weapon And Law of the Warなんて長ったらしい名前があるんだが、頭文字だけとってスワロウって読んでる訳だ。隊のエンブレムもそれをモジってツバメだからな。Lは一個足りないが」
「スワロウ……」
「まぁ、それは後付けみたいなもんだ。本当の由来は、天屋公助さんという方がこの部隊の創設者で、その天屋さんが戦う時はまるで風に乗ったツバメみたいに素早く縦横無尽な戦いっぷりでな。それでSWALLOWにかけてってつけられたんだ。知識として頭の片隅に入れといてくれ。皆が伝説の兵士と称えるすげぇ人だ」
説明が足りていないと思っていた宗助だったが、説明を聞いたところで無駄だったと悟る。