トレインジャック 9
読みは浅かった。「時間を稼いで、敵の目的達成を阻害する」なんていう作戦は、最初から失敗に終わっていた。敵に立ち向かう、そのずっと前から。
最初から、それ程難しく考えて生死の境目にわざわざ躍り出た訳では無い。
心のどこかで、『きっとなんとかなるだろう』『自分は死ぬはずないさ』と勝手に決めつけて、わざわざ逃げろという命令まで無視した。一体それらの行動は、何を根拠にしていたのだろう、と宗助は思う。待っていたのはこんな結果だ。
自分の立つ場所と不破達が居る場所がどんどん離れていくのを感じながら、ごうごうとうるさい風の音を聞いていた。宗助はこう考える。ここで諦めて、この目の前の男の思い通りにさせてしまうのは、それこそ何にも成らないと。
「……やれるだけの事は、やってやる……!」
宗助に残されていたのは、たった一つの細く脆い道。
*
稲葉・一文字と平山ら救急部隊は車に乗り、専用道路で列車発着ホームへと向かう。駅に駐在している列車整備員達は既に避難しており、車庫や倉庫には誰一人人間はいない。
車内は沈黙が支配しており、しかし時折スピーカーからは本部からの列車状況の情報が供給されていた。そしてそれらの情報は、刻一刻と時間が過ぎる度に、良くなるどころか悪い方へ悪い方へと転がっていく。
稲葉は静かに目を瞑り沈黙を貫いており、その隣の千咲は自分の手の内にある刀を力強く握りしめる。別動車に乗って稲葉達のすぐ後ろにつけている平山と岬を含む救急部隊員達はみな緊張した面持ちである。
稲葉の右耳に装着されている通信機が細かく振動し着信を報せた。稲葉は素早くボタンを押しこんで、通信に応える。
「こちら稲葉」
『雪村だ。稲葉、一から三両目と、四、五両目が切り離された。敵の手によるものだ。一から三両目にはスタッフ三名と車掌、運転手に不破と白神の計七名が乗車している。四、五両目にはミラルヴァと生方の二名』
「ええ。把握しています」
『一から三両目は相変わらず暴走中、このままの速度で尚且つ脱線しなければ、予測計算では三十一分後には暴走したまま車庫に突っ込むことになる。何としても阻止をしたいが……残り時間が短すぎる。先頭車両には外部からできる事は無いに等しい』
「不破達に賭けるしかないと」
『……そうだな……。ただただ、時間との戦いになる』
「生方はどうなりましたか?」
『なんとか無事だ。しかし、こちらも時間の問題かもしれん。現在生方の乗る四、五両目は減速し始めている。稲葉と一文字両名は生方宗助の救出を最優先の目標とする。今回はミラルヴァの撃退は考えない。いいな?』
「了解」
『救急部隊の安全を確保する事も忘れるな。彼らは戦闘に関しては全くの素人だ。万が一交戦になった場合、くれぐれも気を付けるように』
「ええ。ちょうど列車車庫に到着しました」
『順調でなによりだ。そのまま列車との合流ポイントに急いでくれ』
雪村と稲葉の会話は終わり、再び車内には沈黙が訪れる。
*
生方宗助は右足を一歩、ミラルヴァへと進める。ミラルヴァはそれを半分意外そうに、半分楽しそうな顔で見る。
「近づいて来るのか。列車から飛び降りた方が、まだ軽い怪我で済むかもしれないぞ」
「……そうかもな」
「この列車に何か思い入れでもあるのか」
「そんなんじゃない」
「何故立ち向かってくる」
「お前を止める為だ!」
宗助は拳を握りしめ叫ぶ。ミラルヴァの表情は先程と変わらない。静かに口を開き、こう言う。
「ここで自分を止めることが出来たとして、何も変わらない。他の奴が命や物資を頂くだけ。リスクと成果が見合っていないぞ」
「いちいちそんな事考えてられるか! 他の奴が来るならそれも全部止めてやる!」
ほんの二メートル程の距離を挟み、せまい車内で二人は向かい合う。ミラルヴァの開けた天井の穴からは、相変わらず流れ込む空気と列車の摩擦音が激しく鳴り響いている。
「……言ってわからないのなら仕方ない」
ミラルヴァは小さくため息を吐いてから、一足飛びで宗助の眼の前まで間合いを詰めて、左拳をまっすぐ宗助の喉笛目がけて突き出した。
それだけで、空気が乱れ散る。不自然な風が巻き起こる。突き出された拳を、すんでのところで体をひねり回避した。突きの衝撃で前髪が一斉にふわりと持ちあがる。二人の身体は、超至近距離で擦れ違う。
ミラルヴァは突き出した左腕を少し曲げてテイクバック、そのまま体を横回転させ手刀で宗助の延髄を掻っ切りにかかる。宗助は咄嗟に上半身を前方へと屈ませる。手刀は後頭部を掠めた。曲げた体を戻そうとはせず、そのまま地面に手をついて、勢いそのままに地面を蹴り前転。
ミラルヴァから少しだけ距離を置いた場所で、回転の反動を使い立ち上がり、振り返って通常の態勢を取り戻す。
宗助とミラルヴァはまた三メートルほど距離を開けて、再度向かい合う。間合いを取ったといっても、この程度の距離ではミラルヴァからすればなんてことの無い距離であるのだろうが、無いよりは幾分かましである。
「はぁ、……はぁ……、」
緊張感と単純な疲労により呼吸を荒げている宗助に対し、ミラルヴァは息一つ乱していない。宗助は、この幾つかの攻防から敵の攻撃を分析する。
大雑把な連撃を繰り出したかと思えば、いきなり凄まじい正確さで人体急所を狙った攻撃を仕掛けてくる。要するに、攻撃が見えない上に読めない。それに、急所を狙っていない攻撃であっても、当たれば大ダメージ間違い無しの規格外すぎる攻撃力に、体力と共に精神力は削られていくばかりだった。
「……どんな訓練を積んだか知らないが」
攻撃の手を一旦休めて腕を組み、ミラルヴァは宗助に話しかける。
「フラウアから聞いていた話とは違うな。僅かな期間で……、随分と成長しているじゃあないか」
「……」
成長していると言われてこれ程悔しいという感情を覚えたのは、宗助にとって初めての事だった。ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。要するに今、目の前の男は自分を一人の敵と認識しておらず、自分の成長などとるにたらない物と思っているからこその発言なのだろう。
「だが……お前は何か…………不自然。そう、不自然だ。この言葉が一番しっくりとあてはまる」
「……どっちが」
ミラルヴァの言葉に反論する。必死に闘う事の、何が不自然だと言うのか。暴走する列車の天井をぶち壊して侵入してくるような人間に不自然だなどと言われる覚えはない。
「……もう少し手合せをすれば、不自然の正体がわかるだろうか」
ミラルヴァは腕組みを解いてゆっくりとその両腕を下ろしていく。その両腕を降ろしきる前に、一瞬で宗助の眼の前まで踏み込み、右拳を振りかぶる。
(……っ、右拳っ……いや!)
宗助はそのまま迷わずに左に跳躍すると、その一瞬後にその場所をミラルヴァの左足が蹴り上げる。
「いい読みだ」
ミラルヴァは少し高揚した様子で言って、更に宗助目がけて拳を何度も打ち出す。拳が迫る度に宗助は、攻撃の場所を予知しているかのように、攻撃を躱していく。
「だが、それが不自然」
次なる攻撃へ、腰を捻り、全身の筋肉を唸らせる。
「俺はドライブの恩恵で、相手の肉体の状態や能力の程度が把握出来るが……」
ミラルヴァは流れるように攻撃を繰り出しながらも、宗助へ話し続ける。
「今のお前の肉体と、お前自身が発揮している能力が噛みあっていない」
ミラルヴァは宗助への攻撃の手を休めずに、自分が感じていることをそのまま伝える。『不思議でたまらない。その答えが知りたい』と、そんな様子で。
一方。宗助の肉体には、じわじわと確実に疲労がたまっていたが、なぜかそれと反比例して、ミラルヴァの放つ攻撃に対しての反応速度は格段に上昇していた。次から次へと襲い来る攻撃に対して、一歩も間違わず、引けを取らず。宗助は、まるで『誰かが自分の身体を手取り足取り動かしてくれているような』不思議な感覚を味わっていた。意識は少しだけ靄がかかったような、はっきりとしない状態。命がかかっている戦闘中であるというのに、夢の中に居るかの様な、不思議な感覚。
(……呼吸。呼吸を読んで……攻撃のタイミングを掴め)
頭の中で、そんな言葉がこだまする。宗助には、聞き覚えのない声。
(エアロドライブは、どんなに微かで乱れぬ呼吸でも、感じ取ることが出来る筈だ)
誰だ、誰の声だ。頭の中に問いかける。答えが返ってきてほしいが、もし返ってきたらそれはそれでかなり異常だ。
(呼吸と、奴の攻撃のタイミングをパターン化しろ。どんな奴だろうと必ず攻撃にクセはある。クセを見抜け)
頭の中に響く謎の声に戸惑いつつも、宗助はミラルヴァの再びの猛攻を受け続ける。
身体が覚えている、つい先程の数回にわたる攻防。客観的に見ればほんの数回のやり取りだったが、宗助には少しだけわかり始めたことがあった。
それは、大雑把に攻撃を繰り出す時と、急所を正確に狙った攻撃を仕掛けてくる時の違い。それぞれ同様に流れる様な連続攻撃であるのだが、その違いは攻撃回数にあった。人間の急所という限られた部位を狙う為の攻撃の方がやはり、連続して攻撃する際のパターンが少なく、そして連続攻撃の限界攻撃回数が少ない。そして、頭の中で響く謎のヒントが、その情報をより一層有意義なものへと昇華させる。
一呼吸。一回空気を吸い、一回吐く、その行為。
格闘技でもスポーツでもすべて常識として存在する知識であるのだが、『人間の肉体が一番力を発揮するタイミングは何時か』それは、息を吐いたそのすぐ後である。そしてその例に漏れず、ミラルヴァは完全に自らの呼吸を把握しながら攻撃を仕掛けてくる。つまりその呼吸のリズムを掴めれば。そして、敵の攻撃の直後に、反撃を加える事が出来たなら。
その規則正しさが、本当に小さな、節穴程の、だけどゼロではない突破の可能性になる。
そして、一呼吸で攻撃してくる回数は、大雑把な攻撃の場合はかなりバラつきがあり予測が立てにくい。つまり狙うべきは、ミラルヴァが宗助の急所を狙う攻撃を仕掛けてきた時で、その攻撃の切れ目。
宗助の意志は、決してまだ死んではいない。
相変わらず極太の鞭でも振るったかのような凄まじい風切り音を残して、ミラルヴァの拳が宗助を捉えきれずに空振りする。
ちっ、とミラルヴァは舌打ちをして、宗助と顔を合わせてから初めて、不快そうに顔をゆがめた。
(大丈夫、行ける……攻撃を読めている。そして掴んだっ、一呼吸で攻撃できる、急所への連撃は、最高で四発まで……!)
一呼吸で四発攻撃できる事自体が驚きだが、海嶋の「普通の人間の動きを当てはめてはいけない」という言葉を把握し、常識は捨てるよう心掛ける。
そしてそれを受け入れる事によって、反撃への道のりが見え始めた。それはあまりにも細く険しい道のりで、暗闇の森に無造作にある獣道なんかが天国への通路に見える程であるが、それでも崖なんかでは無くて、確かに道があった。
再びできた二人の間合い。瞳に再び希望と覚悟を灯して、目の前の大男を睨みつける。だが、その視線の先の男は、次にこう言った。
「面倒だ。もう終わりにしよう」
「え」
ミラルヴァの何度目かになる、無防御での突進。だがそこに隙は見出せず、躱しにかかる。攻撃は肉眼で見えなくとも、その存在や意図、軌道を感じる事が出来る。左拳での頭部への突きを屈んで避けて、ミラルヴァの拳が描いた線を把握する。
(来たっ、急所への連撃!)
一発目をかわした事で、それに繋げてすぐに二発目が襲いかかる。左拳を引きながら、右拳による手刀が袈裟をかけるように振り下ろされるのを、屈んだ反動を使い右に横っ飛びに避ける。
左鎖骨を風が撫でた。
ミラルヴァはそのまま左腕の引きを利用し左へ半回転捩じり右足を上げ、宗助を追いかけるように右足刀を胸倉目がけ打ち出す。
(これも読める!)
宗助は思いきり右足で地面を踏んで横跳びを中断すると、膝を曲げて再度屈む。ギリギリのタイミングで足刀は頭頂を掠めた。
(次で四発目っ!)
四発目は、普通ならあり得ない動きだった。
ミラルヴァは右脚を蹴りだした勢いそのまま左脚一本で跳び左旋回しつつ、左脚をしならせ空中で蹴り突きを放ったのだ。
だが、それも回避した。とてつもない集中力だった。宗助自身が信じられぬほどの集中力。
相変わらず意識にうっすらと靄がかかっているようで、半分誰かに操られているような、そんな感覚だったが、確かに自身のドライブの力を感じていた。
この時宗助は、ドライブが精神力に依存すると言うのなら、もしかして自分は、追い込まれれば追い込まれるほどその才能を発揮させるタイプの人間なのかもしれない、などと考えていた。
そして、ミラルヴァは限界値である四発目を放ち終えた。
(ここで攻撃に一拍入れる筈)
ようやく巡ってきた、反撃の好機。迷わず即座にミラルヴァの胸元に飛び込み、喉に空気の弾丸を撃ち込むため、右腕を伸ばす。
「喰らえっ!」
正確に当てれば、一撃で重大なダメージを与える事が出来るのが人体急所。いくら常人離れした身体能力を持つ相手だろうと、それは変わらないはず。宗助が意識を集中させ、指先から空気弾を撃ち込もうとしたその時。目と鼻の先の位置にあるミラルヴァの顔が、冷たく嗤う。
「四発。正解だ」
「――え」
「あえて、そう思うように仕向けていなかったら、の話だが」
無いと勝手に思い込んでいた『五発目』。ミラルヴァの右拳が、宗助の左脇腹を襲いかかる。
「っ!!」
攻撃の為に踏み込んだ態勢のため、すぐに回避行動がとれない。ただ、空気の振動を通して、その残酷無比な威力だけが伝わってきた。咄嗟に左腕で脇腹の前に壁を作り守る。
その刹那後。
折れると言うよりは、骨が砕ける様な音。そんなものには構わず、ミラルヴァは拳を振りぬく。左腕ごと脇腹に衝撃が走った。
「ぐがっ!」
言葉にならない呻き声が漏れ、そして宗助は吹き飛び壁に激突。そのまま……床にずり落ちた。




