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machine head  作者: 伊勢 周
7章 トレインジャック
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トレインジャック 8


 現在ミラルヴァが侵入した貨物室には、その広さの割に載せてある荷物は少量であり、閑散としている。そんな中に一つ、異様な大きさの箱状の物があった。大きな黒い布が被せてあったが、逆にそのお蔭で一際存在感を示しており、ミラルヴァは真っ先にそれに目をつける。それは、まさしくカレイドスコープを収めている容れものだった。


「これか」


 布を取り去ると、現れたその鉄の箱に手をかける。その箱の材質もさることながら、電子ロックにより強固に閉じられているその箱の、髪の毛一本さえ入りそうにもない開け口隙間付近を持ち、左右に無理矢理こじ開ける。メギメギ、と嫌な音をたてて、まるで駄菓子の袋を開けるかのように軽々と鉄の箱を開けてしまった。

 中身を確認すると満足げな表情を見せて、こじ開けたケースを閉じ、子供が興味の無くなったおもちゃを地面に打ち捨てるかのように床へ放った。


「さて、それじゃあこの車両ごと頂いて……」


 ミラルヴァは自身が破壊して新しく作った出入り口の方へ顔を向ける。顔を向けたその時、彼は視線の先に意外な物を発見する。少なくとも、ミラルヴァはこうなる事をあまり予測にいれていなかった。


「逃げなかったのか」


 いかにも意外だ、という表情で言う。

 ミラルヴァの振り返った先には、生方宗助が立っていたからだ。

 少しだけ、本当に少しだけ、口角を上げる。生方宗助が、自分に向かって来る事を心のどこかで望んでいたかのように。赤く光る二つの瞳が宗助の姿を捉えて離さない。

 対して、宗助の瞳に浮かぶ色は、先程の様に怯えているだけのものではない。その中には、確固とした覚悟と勇気があった。


「……聞きたいことがある」


 ミラルヴァの言葉には反応せずに、宗助はまっすぐな視線を向けて言う。


「言ってみろ」

「……この列車は、どうなってる」

「意図的に暴走させている。少し前にシーカーを一体潜ませ、この列車の全てを奪い取った」

「……そんな事をして何になる……!」

「貰い受けやすくなるからさ。その先は自分で考えてくれ」


 言って一歩、宗助との距離を詰める。宗助は、再び襲い来る圧迫感に決意が揺らぎそうになるのを必死で堪えて、ここで自分が退いた時の事を考えろと自らを奮い立たせる。もう一歩、二歩、三歩とミラルヴァが歩くと、あっという間に二人の距離はほんの一メートルにまで縮んでいた。


「質問はそれで終わりか?」

「……っ」


 宗助は身構える。相手の一挙手一投足までを見切れるよう、全ての感覚に集中力を与える。圧倒的な威圧感に負けないように、心に覚悟を与える。対するミラルヴァの顔には、冷たい笑みが張り付いていた。


「馬鹿正直に答えてやったんだ。こちらの遊びにも少し付き合ってもらおうか!」


 その刹那。宗助は、ミラルヴァの周囲の空気が鋭く変化するのを感じる。その正体は、彼が凄まじいスピードで右拳を繰り出した為に起こった空気の変化。

 それを感知したのは、視覚でも聴覚でもなく、ドライブによる感覚だった。脊髄反射のように、宗助は一瞬で左半身を引いて右拳の突きを躱す。

 躱した一秒後に、ビュウッと空間が風に切り裂かれる音が鳴り、凄まじい速度で空気が疾走する。宗助の眼には、その音の原因を捉える事ができない。かわされることは想定の内だったのか、ミラルヴァは特に攻撃後の隙を見せる事もなく、次の攻撃へと移る為にスムーズに踏み込んでくる。

 まるで巨大な鉄球が地面に落下したかのような強い打撃音が鳴り、床が派手に凹む。ミラルヴァが地面を踏み込む音と、その結果だ。交差気味に打ち出された右足刀が宗助の右骨盤のすぐ横を掠め、制服の一部分が破け宙に舞った。

 宗助は間合いを取る事だけを考え、後ろに跳ぶ。そんな宗助を追ってミラルヴァは更に前方へ足を運び、宗助の懐に飛び込もうとする。


「くッ!」


 全く反撃など恐れない、ノーガードでの突進。海嶋の言う通り、動きは異常に早く、身のこなしの一つ一つが人間のソレを明らかに逸脱している。全身が強力なバネで、体中がしなり、伸縮し、動きに鋭さを与えている。

 ミラルヴァは、拳の突きで鳴る音とは思えない――それはまるで、鞭でも振るっているかのような風切り音を残しながら、次々と宗助の急所を的確に狙い定めて攻撃を繰り出してくる。

 宗助には攻撃が一つとして見えない。それでも、攻撃をいなし、躱し、見事な身のこなしで対応してみせる。宗助自身、なぜ攻撃を躱せているのかが不思議な程。貨物室内を立ち回る。

 しかし狭い車内、このまま攻撃され続けては、必ずどこかで手痛い一撃をお見舞いされてしまう事は火を見るより明らか。

 そして、その時はやって来ようとしていた。


「うっ!」


 ドン、という音。身軽にバックステップを取りながら紙一重で攻撃を避け続けていたが、そこは狭い列車の貨物室内だ。限りのある空間である。壁に背中ぶつけてしまい、追い詰められた。


「潰れろ」


 完全に攻撃射程に入ったミラルヴァが、動きの止まった宗助に照準を合わせる。赤い瞳が、獲物を補足した鷹の眼のようにギラリと光る。


「しまっ――!」


 後悔のセリフさえ最後まで言えないまま、ミラルヴァの攻撃が繰り出された――。


(避けられ――)


 その時。

 ふわり、と、一瞬の浮遊感。

 その原因は、列車が速度超過のままカーブに差し掛かり大きく揺れて傾いたことによるもの。宗助の身体は揺れと傾きにバランスを崩して、無理矢理にその場から移動させられてしまう。

 キィンと耳に残る轟音が響き、宗助が飛ばされた先から元いた位置を振り返る。振り返った先では、貨物室の壁にまた一つ新たな風穴が開けられていた。原因は、もちろんミラルヴァの攻撃。場所は、つい一瞬前に宗助がぶつかった壁。


「………っ」


 こんなパワーの攻撃が人間の肉体に当たるとどうなるかなどと、考えただけでも全身が寒くなる。宗助はすぐさま立ち上がり、また攻撃に対しての準備態勢に入った。


「……運が良かったな」


 そう言って、ミラルヴァは再び宗助の方に向き直る。


(一体、どういう攻撃なんだ……!? 何をすればこんなことになる? 本当に海嶋さんの言う通り、単純なパワーだけで、ここまでの攻撃を……?)


 相手の繰り出す攻撃を必死に分析しようとするが、理解できた所で何か策が増えるわけでもない。宗助は、この三十秒にも満たない交戦で、気付いていることが一つだけあった。それは。


『この男は、全力で戦っていない』


 そして、それでも必死に攻撃を避ける事しかできない自分との力量の差に奮い立たせた心が絶望に染まりそうになる。あまりに大きすぎる、力の差。消耗させられていく体力と精神力に、色濃くなっていく『敗北』の二文字。


「ちょろちょろ逃げ回られると、盗む車両が穴だらけになって困るんだが」


 なんという自己中心的なセリフだろうか。自分で破壊しておいて、あまり破壊させるなと言う。


「ふざけんなよ……」


 その傲慢っぷりに、呆れてそんな言葉しかでない。宗助の眼の前の男は、その車両を盗む事に、列車を暴走させて大事故を起こすだろう事に、そこに人の命が幾つも存在する事に、欠片ほどの罪悪感も感じていないらしい。


「だが、今の揺れ。よく脱線しなかったな。まぁ、どちらでも興味は無いが」

「?」

「生方宗助。お前は恐らく……自分が『時間が少ない』と言っていたのを考えに入れて、このまま時間稼ぎをすればなんとかなる、とでも考えているのだろう」


 図星。だが宗助は、そのタイムリミットが何であるかまでは知らない。


「だとしたら、間違いだな。それは」


 ミラルヴァは言う。列車の速度にも揺れにも文字通り動揺することなく、直立不動で立ちはだかる。そしてまた、先程よりも更に大きく列車が揺れた。あまりの揺れの激しさに、宗助はバランスを崩しながらも、倒れぬように必死に態勢を整える。


「な、なんだ!? 何が起こってるんだ!?」

「……もうお前に、ここから逃げるか残るか、『それらを選択する時間』は無くなった」

「なんだと?」

「できれば欲を張って、この列車ごと頂きたいとは考えたんだが……さすがに自分一人では、この列車全てを持って帰るのは難しいからな。必然的にこういう選択になる」


 その時既に、その列車の、宗助とミラルヴァが乗るその車両では、『通常では絶対に不可能な事』が意図的に起こされていた。


「今日は、この車両だけで良い。先頭車両は、シーカーもろとも適当に事故でも起こしてスクラップにでもなって貰って……それもまぁ、後日頂く事になるのかもしれないな」

「この車両、だけ……?」

「わからないか? 今この車両と、最後尾の車両は、三両目から切り離されたのが」

「滅茶苦茶な事をっ、走行中に車両を切り離すなんて、システム上出来るはずが――」

「自分は嘘を言わない。言ったはずだ。この列車の全てを奪い取ったと」

「……っ!」


 その言葉を聞いた宗助は、すぐ後ろの出入り穴から慌てて通路に飛び出し、そして三両目へと続く扉を開ける。宗助の眼に飛び込んできたもの、それは―。


「……なんだよ、これ……」


 思わず呟いた。自分の居る車両からの連絡通路は、既にどこにも繋がっていなかったから。

 既に、宗助の立つ場所から五メートルか、十メートル程はあるだろうか。そんな所まで、三両目の入口は離れていた。その上、三両目はますます速度を上げ始めた。ぐんぐんと、車両と車両は距離が離れていく。


「……理解できたか?」


 後ろから、ミラルヴァの声が聞こえてくる。宗助が振り返ると、そこには先程までとなんら変わらぬ表情のミラルヴァが立っていた。


「もう半分以上、自分の目的は終わった。後はお前次第だ」

「この、野郎……!」


 宗助はきつく拳を握りしめ、歯を食いしばり、その男を、全身全霊の敵意を乗せて睨みつける。だが。その男の前ではやはり、自分の未来はどこにもないように感じさせられる。いくら心を強く構えても、地面に落ちた砂糖に群がる蟻のように、次から次へと恐怖が湧いて出てくる。

 どうやって車両を丸々と奪い取るつもりなのか想像もつかなかったが、ただこの時点で判っている事は、この男は出来ない事をわざわざ「出来る」と宣言する男ではないという事。出来るから、出来ると言っているのだ。

 そして一方で、自分の無力さを改めて痛感していた。大人しく命令に従い、惨めに無様に逃げておいた方が、少しは何かの役に立てたかもしれないと。


 逃げ道も、勝利への道も、霞の向こうへ見失ってしまった。



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