トレインジャック 6
不破の精神は、今にも擦り切れてしまいそうだった。
任務の優先順位に私情を持ち込むべきではないのはわかっているつもりだった。だが、不破は知っている。部下が彼にプレゼントを買っていることを。態度には見せないが、それを渡す事を楽しみにしていることも。たとえ列車を止める事ができたとして。無事に自分達が帰還できたとしても、宗助が無事でなければ、きっと自分はダメになってしまう。そして、実の妹のように可愛がってきた部下達―― 一文字千咲と瀬間岬に、合わせる顔が無くなってしまう。
思い出すのは、前隊長天屋が居なくなった日。誰もが俯き、皆の顔から笑顔が消えた日。不破は思う。あんなに静かな日はもう来なくていい、その為には、どんなに残酷で絶望的な選択肢も、全て否定してやる、と。もう一度、生方宗助への通信ボタンを押す。彼の纏まらない思考にも、明らかに不可解な点が一つあった。それは。
「もしマシンヘッドを仕向けたのがミラルヴァなら、何故わざわざ自分が乗る列車を暴走させるんだ? この速度で脱線なんてすれば、流石の奴自身も到底無事では済まないはずだ」
突然列車を乗っ取ったマシンヘッドと、なぜか乗り込んできたミラルヴァ。この二つが直接関係あると言われた訳では無いが、このタイミングで無関係であると仮説を立てるのは苦しいだろう。関係があるとして、その意図はなんなのか。
「何か、脱出する手立てでもあるのか……?」
やはりつながらない宗助への通信が、不破をますます焦らせ、冷静さを奪う。こんなことを考える時間すらもどかしかった。無事に列車から出るヒントは、ミラルヴァにある。彼は直感でそう断定して、そして次にこう考えた。
(このままここで手をこまねいているくらいなら……――宗助を助け出して、そしてすぐに列車も止めてやる!)
まったく具体的ではない解決案だったが、それぐらいしか、今の不破には出せる答えが無かった。何かを振り切るように頭を思い切り左右にぶんぶんと振り回すと、顔を上げ、キッと宗助が居るであろう方向へ顔を向ける。
「白神! お前はここで、列車を止める方法を見つけてくれ! 俺は宗助を助けに行く!」
不破は、制御盤と繋がる配線とそれを蹂躙しているマシンヘッドを交互に険しい表情で眺めている白神に向かって叫び、四両目へと引き返そうとした。だが。
「ちょっと待ってください、不破さん」
白神は大きい声で、不破を制止する。
「なんだ!」
不破は足を止めて振り返り、白神の言葉の続きを促す。
「暴走を止める事はできるかもしれません。ですが、これは不破さんにしかできない。厳密に言えば、僕と不破さんです。僕か不破さん、どちらかが欠けたら不可能なんです。その方法を実行するならば」
「っ、どんな方法だよそれは!」
回りくどい言い方に、不破は苛立った気持ちを抑えずに荒々しい口調で白神に尋ねる。その質問に対して白神が返した答え。それは。
「新しい制御盤を作るんです。不破さんの能力と、僕の能力で」
「新しい制御盤!?」
普通では全く思いつきそうにもない発想。それはそうだ。情報機器製造に関するスペシャリストで、設計図から何からすべて頭に入っていて部品も揃っているならともかく、その列車の中には誰一人そんな人間もいないし、部品も積まれていない。不破が素っ頓狂な声で白神の言葉に鸚鵡返ししてしまうのも無理は無かった。白神は続ける。
「制御盤の配線を書き換えられて列車が制御を失ったというのならば、さらにこちらで上書きをするんです。僕なら、どこを変形させてどこへ繋げればいいかわかる。ですから、不破さんがこのマシンヘッドの配線をすべて無効に書き換え、この列車のコントロールを取り戻すんです!」
「……なるほど、そりゃあ名案かもな。だが、宗助はどうなる! どうあがいてもアイツじゃミラルヴァに太刀打ちできん! お前も知っているだろう……奴はフラウアの時のように、まぐれや奇跡でなんとかなる相手じゃあないぞ!」
「冷静になってください! 一分後、いいえ、五秒後にはもう、列車は脱線するかもしれないんです! そうなればすべて無意味になります!」
不破の言葉に、白神が再び大きな声で反論する。白神とて、宗助を放っておいて良いとは微塵も思ってはいないだろう。
「生方さんが心配なのはわかります! 僕だって彼が心配です! だけど、この操作盤を作り変える事が出来るのは不破さんだけです! 今すぐこの操作盤を取り戻さなければ、どのみち全員無事に帰還する事はできない!」
「っ……!」
至って正論だ。反論する余地がないほどに。不破は拳をきつくきつく握りしめる。
「思い出してください。フラウアは生方さんを殺そうとはせず、連れて帰ろうとした。奴らは、理由はわかりませんが、生方さんを殺すことはしません。最悪を想定しても、彼は殺されない。今すべきことは、一刻も早く列車を止めることです!」
不破は何も言わず、ただ白神の言う事を聞いていた。というよりも、何も返す言葉が無かった。
白神は俯き、苦瓜でも丸かじりしたかのような悔しげな顔で俯き、くそっ、と吐き捨てる。
「さっさと取り戻すぞ、この列車」
不破はそれだけ言って、再び運転手室内に引き返し先程開けた穴へと向かう。白神は「はい」と一言だけ返事をして、不破に続いた。宗助を危険に晒したままというのはやはり抵抗があるのだが……だけど不破は、先程まで絶望に塗れていた心に、少しだけ光が差し込むのを感じていた。
*
「……震えているぞ」
「……気のせいだ」
「お前の膝の話をしているんじゃあない。お前の右耳についている通信機の話だ。出たらどうだ、出なければ死んだと勘違いされて、見捨てられるぞ」
「出た瞬間を狙って襲ってこないとも限らない」
「……ほう」
宗助とミラルヴァが短い言葉で会話を続ける中、宗助の発言を興味深そうな表情で受け取るミラルヴァ。嬉しそうな表情で、彼はこう言った。
「安心しろ。意表など突く気もないし、必要もない。いつでも殺せるからな」
「…………っ!」
宗助の身体の隅から隅までを、ゾワリと凄まじい寒気が走り抜けた。全身の肌が粟立つ。思わず、少しだけ身を引いてしまう。吹き込む風が、一層強くなった気さえした。
(なんだ、なんなんだこいつは……! なんなんだ、この……、……どうしようもない、圧し潰されてしまいそうな殺気は……!)
吐き気すら催す迫力、圧迫感。
(こいつと、まともに手合せしようとしてはいけない……)
宗助の生存本能が、そう警鐘を鳴らした。緊張感と恐怖のあまり、敵に指摘されて初めて、通信機の震えに気付いたくらいだ。
「……ふん」
そんな宗助を見かねたのか、ミラルヴァは一つ息を吐く。
「向かってこないなら、俺は遠慮なく目的を果たさせてもらう。尻尾を巻いて逃げるか、そこで指をくわえて見ているか、好きな方を選べ」
ミラルヴァはそう言って、自らが開けたでかい穴から、貨物室へと入っていった。
「……っ! ぷはっ、……はぁっ、はぁっ!」
ミラルヴァの姿が視界から消えると、何分間も水の中に閉じ込められていた人間がようやく水上へと顔を出したような解放感があり、必死に口を開いて酸素を肺にかき集めた。
宗助は震え続ける通信機に、こちらもまた、震えている手を伸ばす。まだその装置に慣れていない為、手探りでボタンを探す。二度、三度、指で触りながらボタンの存在を探り当て、それを押し込んだ。
「……こ、ちら、生方」
『生方君!? 良かった、繋がったっ、海嶋だ! 無事か!?』
「ええ……。車掌も自分も、無事です」
『良かった! 生方君、その列車にミラルヴァという男が乗り込んでいる。金色の髪に赤い瞳が特徴だ。そいつは君はおろか、不破君でもまともに戦って勝てるかどうかわからない様な奴で……とにかく、遭遇したら距離を置くんだ』
海嶋の声を聞きながら、ミラルヴァの持つ殺気を思い出す。わざわざ口で言われなくとも、宗助は実際に目の前で、その圧倒的な何かを感じ取っていた。
「……そいつは、今。すぐ近くに、居ます」
『いっ?!』
イヤホンから、海嶋の度肝を抜かれたような声と、その背後でざわつく声が聞こえてくる。宗助は、そのミラルヴァという男が言っていたことをありのままに海嶋に伝える。
「奴の……奴の目的は、カレイドスコープごと、この車両を、奪う事だと、そう言っていました……あれは実験作で失敗作……資材が欲しい、だとかで……今、貨物置場の中に……」
『接触したのかっ。……いいか、生方君。奴からすぐに離れるんだ。一両目に不破君と白神君がいる。そこに合流するんだ。そいつはとにかくヤバイ。やりあっちゃだめだ。列車やカレイドスコープは奪われても何も問題は無い……解析はもう終わってる! だけど、君に何かあったら……』
ミラルヴァに与えられた緊張感が冷めぬまま、宗助は海嶋の言葉を脳に取り入れつつ、考える。護衛として、この列車に乗った自分は何なのだろうか、と。皆がこの作戦を見守っている中、強い敵が現れたから逃げて、ただただ不破や白神が解決してくれるのを待つというのか。
「……このまま、奴が好き勝手するのを黙って見ていろ、って事か……」
誰に言うでもなく、悔しそうに呟いた。それじゃあ、何の為にここに居るのかわからない。
『生方君……。君の気持ちはわかる。だけど今回ばかりは相手が悪い、退く勇気も必要だ。不破君も言っていただろう? これは命令だ。車掌と共に一両目に退避するんだ』
なんとか言葉を選んで、諭すように話す海嶋に対して、宗助は何も答えない。彼は思い出していた。先程の男と対峙した時の、その心の底まで凍りつかされたような緊張感と、恐怖を。先程までのこの場所に、自分の未来は一切存在していなかったようにさえ感じた。
そして、ミラルヴァの放った言葉達の意味を、少しだけ遅れて理解する。
「マシンヘッドを作るための、資材……?」
呼吸が浅くなり、動悸が早まる。先程までは無かった、新たな気持ちが、宗助の中に灯りはじめる。車掌の方へ顔を向ける。宗助の顔は、手探りで暗闇を歩いているような、不安でいっぱいの顔だった。少し息を吸って、隣で腰を抜かしていた車掌に向かって宗助は言う。
「……車掌さん。すぐに一両目へと避難してください。不破さんと白神さんが居ます」
「……き、君は?」
「俺は、アイツを止めてみます。……勝つのは無理かもしれないけれど、時間稼ぎならなんとかできるかもって、思うんです。奴は時間が無いと言っていました。その少ない時間くらいは――」
続きを言いかけた時、イヤホンからこれまでにないほどの大音量が流れる。
『なっ! 何を言っているんだっ、君も避難しろ! 時間稼ぎなんて『ちょっと宗助ーッ! バカ言ってないで命令に従いなさい! 死にたいの!?』
最初は海嶋の声、途中から千咲が通信に割り込んできて、自分の発言と、これからしようとすることに対して制止の言葉を投げかけてくる。
宗助は静かに、腹の底から絞り出すような声で返答する。
「……奴は、マシンヘッドを作るための資材としてこの車両ごと調達すると言っていた。この大きな車両を丸ごと盗んだら、どれだけのマシンヘッドが作れる?そして、作られたそのマシンヘッドは、どれだけの命を奪う可能性を持っている? 命を狙われる人は、自分の近しい人かもしれない。家族だとか大事な友人だとか……」
宗助の脳裏には、『誕生日おめでとう』というプラカードを抱えた妹と父親の姿があった。
大学での新生活を嬉々と語る友人がいた。
研究所で出会った人たちの笑顔があった。
クレープを美味しそうに頬張る少女が居た。
迷子から再会して喜び合う親子が居た。
ステージで懸命に歌う、昔の恋人の姿があった。
沢山の守りたい人が居る。だから、立ち向かわずにはいられない。
「そんなのは。そんなのは絶対に御免だ。だから、俺が止める」
宗助は、ようやく一歩、ミラルヴァが開けた穴へと踏み出す。一歩、二歩、三歩、どんどんと近づく。だが、その行動を千咲は勇気と捉えない。ただの無謀だと憤る。
『それでアンタが死んだら周りが迷惑すんのっ、隣で岬が泣きそうな顔してんのっ、よく考えろ馬鹿! とにかくあの金髪野郎は無理なの! なんでわかんないの!?』
「俺が死ぬとは限らない」
『あんた言ってることが矛盾してんのよ! とにかく――』
「ごめん」
千咲の説得を最後まで聞くことなく、宗助は駆けだしていた。心と体の動きが不一致という、不思議で奇妙な気持ちを感じながら。




