トレインジャック 2
宗助たちがトラブルに巻き込まれる三十分ほど前の事。
瀬間岬はオペレータールームにやってきていた。凄まじい勢いでキーボードを叩いていた桜庭は、岬の来訪に気付くと手を止めて話しかける。
「おーい、岬ちゃん。こんちはー」
「あ、こんにちは、桜庭さん。お邪魔しています」
岬は挨拶を返して、腰から曲げてお辞儀をする。そんな岬を見て小春は
「いいよいいよ! そんなの、ここも岬ちゃんの職場でもあるんだからさ!」
と言って笑う。そして、「それにね」と小声で付け足す。
「むしろ、岬ちゃんが居る方が、男たちがしゃきしゃき働くんだから」
「なんでかは知らないけどね」と言いつつ小春が周囲ににらみを利かせると、こっそり岬を見ていた男性陣は咳払いなんかをしつつ、慌てて自らのモニターに顔を向けてカタカタと作業を始める。それを見て、満足そうな様子で「ねー」と言い、子供っぽい笑顔を見せる小春に、岬もつられてくすりと困ったように笑ってしまう。
「そうそう、今日は生方君たちが帰ってくるね。帰りも何事もないといいんだけどね」
「はい。本当に。きっと慣れない環境で疲れているだろうし……早く帰って来てくれるといいですね。……って、どうしたんですか?」
岬が小春を見ると、目をきらきらさせて、岬を見ていた。少し不気味だ、とは本人にはとてもじゃないが言えない。
「……岬ちゃんは素直でいいなぁ。このへんが千咲ちゃんとは違うわ。癒されるわぁ。あぁ、癒される」
「あはは……千咲ちゃん、なにか言ってたんですか……」
「いやぁ、別にぃ?」
意味深な言い方をして眼を細くして頬をほくほくと赤くしている小春に、岬は引き続き少し遠慮がちに笑う。小春はさらに続けて言う。
「あ、そうだ! 昨日の晩、ちゃんと生方君に電話した?」
「……へ?」
「なんか海嶋君にさ、不破さんから『ちょっと宗助がブルーになってるから、誕生日を祝いがてら元気づけてやってくれー』って電話があってさ。岬ちゃんのとこにもそんな電話がきたのかな~って」
小春はわざと低めの声で顎をしゃくれて不破のモノマネっぽく喋る。全く似ていなかったが、しかし岬にはそんな事を突っ込む余裕もなく狼狽していた。
「えぇっ、えっと、いや私は、その、不破さんからは、そんな話聞いていませんけど。で、でも電話はしたかっていうと、……しましたけど、でも別に、それはそういう事じゃなくて、仲間として、えっと……」
「あはは、慌てない慌てない! 電話してたくらいで冷やかさないからさぁ! かわいいなぁもぉー!」
顔を赤く染めてしどろもどろに喋る岬を、楽しくて可愛くて仕方がないと言った様子でどぉどぉと窘める小春。笑いながら彼女は思う。
(ふひひ……こりゃあひょっとしたらひょっとすると、岬ちゃんに少し遅い目の春がきそうだぜ……。曖昧な態度を貫いている千咲ちゃんと違ってこっちはガチ!)
小春がによによと笑いながら岬の頭をわしわしと撫でていると、先程少し話題に出た一文字千咲もオペレータールームにやってきた。
「お疲れ様です」
「お、千咲ちゃん、ちわーっす!」
岬の頭をなでながら挨拶する小春を見て、千咲は眉間に皺を寄せてこう言った。
「桜庭さん、ちゃんと仕事してんの?」
「……えっと、これからするとこっす……」
*
オペレータールームには稲葉や宍戸等、数名の隊員も待機状態として集合しており、彼らの見守る中不破たちの帰還へのバックアップが開始された。
午後一時ちょうどに不破から『研究所を出発した』という旨の連絡があり、雪村司令がそれに応えていた。
特に問題なく出発した列車に対して、そこにいた誰もが皆、無事彼らが二時間後に帰還することが規定事項のように感じていて。アクシデントが起こらないとは限らない、というのは大前提なのだが、それでも、わざわざ嫌な想像ばかりするものでもない。
「列車、地点3209を通過しました。レーダには特に異常は見当たりません」
「了解」
オペレータルームの人々は、小刻みに連絡を取り合い過剰とも思えるほど列車の動向を逐一マークしていた。
「ね、千咲ちゃん。なんとか今日、宗助君にプレゼント渡せそうだね」
岬が小声で千咲に話しかける。一応は任務中なので、おおっぴらに私語をすることはあまり褒められたものではないからだ。千咲も小声で応対する。
「ん? ああ、そうね。結局サプライズは思いつかなかったけど。自分の発想力の無さが嫌になるわ」
「ふふ、普通に渡してもきっと喜んでくれるよ」
「喜ばなかったら、やっぱり投げ込み千本――」
「千咲ちゃん」
「冗談だってば」
千咲は両手を上げて降参のポーズを作ると、岬は息を吐いて仕方なさそうに「もう」と呟く。そんなリラックスムードのオペレータールームが、不安で覆い尽くされるのに時間はそうかからなかった。きっかけは、不破からの通信連絡。
『列車が理由もアナウンスせずに急に止まった』
「こちらからも列車運転手室へコンタクトを図ってみます」
連絡を受けて、まず秋月が素早い手つきで通信機器を操作して運転手室に連絡をかける。
「……………だめ。繋がらない」
『連絡に出ない』のではなくて、『連絡そのものが繋がらない』。二度目も試してみる。繋がらない。三度目。繋がらない。
「……っ、なんなの、これ……」
「列車のシステムネットワークに接続して、こちらで問題を洗い出してみますっ」
小春がガタガタと強めにキーボードを叩いて、列車を管理制御しているネットワークに対して接続を試みるが、あっさりとアクセスは拒否される。門前払い。現状を確認する為のプロセスを経ていく度に、不安と動揺が、その部屋に押し寄せる。
人の動きが慌ただしくなる。稲葉や千咲ら待機している前線の隊員達も、心配げな顔でモニターに視線を釘づける。
(一体何が起こっていて、これからさらに何が起こるっていうの……?)
ここで苛ついても現状には何も良い影響を与えてくれないのは理解しつつも、小春は内心で腹立たしげにそんな言葉を浮かべる。喉の奥からせり上がってくるような緊張感は到底拭えそうにない。だが、追い打ちをかけるように、事態はどんどんと悪い方向へと進行していく。
「……え?」
その声は、誰が発したものか。なんとも間の抜けた声だった。しかしその声で、皆の視線が、何事かとメインモニターに集中する。内部の映像が取得できない為、ただただメインモニターに航空写真で停車した列車を映していたのだが、その列車に近づく一つの影があった。
「司令、何かが列車に接近しています! 数は一つで、これは……人間? 拡大します!」
海嶋が言うと、メインモニターがその人物を焦点にどんどん拡大されていく。田舎道の草原を凄まじい勢いで駆けていくその人影を追いながら。そして、その人影の正体が、はっきりと映し出される。
「……ミラルヴァ……!」
稲葉は動揺を隠しきれない様子で、その男の名前を呟いた。スワロウの戦士達もオペレータールームの人々も、その金髪ライオンヘッドの大男を知っている。その男とスワロウの戦士達は何度もあい見えて尚且つ、こうして立ちはだかろうとする敵。それが意味するところは一つ。その男が一度も敗北していないという事実に他ならない。フラウアとてそうなのだが、フラウアは『退路を作る事が上手い』のであって、彼とこのミラルヴァという男とは、『生き残る』という言葉の意味が全くの別物になる。
ただただ純粋な強かさを持つその男から『勝機』と呼べるものを見出す事ができた人間は、前隊長の天屋公助の他にいない。岬も千咲も、想定外の人物の出現に戦慄の表情で固まっていた。
「なぜこいつが……?」
宍戸は、表情を少しだけ歪め、眉間に皺を寄せる。ミラルヴァは列車の最後尾である五両目に足をかけると、軽やかな身のこなしで列車の天井へと駆け上がった。
「列車に、乗り込みました!」
「……! 雪村司令、出動許可を。俺が出ます」
「むう……。しかし稲葉。ここからでは遠すぎる。今からでも一時間以上はかかるぞ。向こうの支部にも支援要請を――」
稲葉の提案に対する答えを雪村が言い終わる前に、事態は次なる様相を迎える。
「列車が走行を再開しました! 凄まじい速度の上昇率です! ……概算ですが、既に時速150㎞を超えて、……いや、160、180……間もなく時速200㎞に到達しますっ」
海嶋の状況報告に、再びモニターに視線が集中する。暴走し始める列車と、乗り込んできたミラルヴァ。はたしてこの二つの事実は偶然か否か。




