研究所を後に
それからもやはり何もトラブルもなく、カレイドスコープはあの重厚な鉄の容れ物に収納されて、今は列車に乗せるために一時的に車庫の隣にある倉庫に保管されている。電子パスコードにより厳重にロックされ、誤って落下させた衝撃で開くなんてこともまず無い。大砲を打ち込んでも破れない(らしい)。後は、それを列車に乗せて、そのまま帰還するのみだ。
「って訳で、白神、宗助、長居は無用だ。すぐに帰る準備を整えてこい。もうそんなに時間もないぞ」
「え。時間が無いってどういう」
「今が十一時半を少し過ぎた所。十二時から積荷点検と車両点検。午後一時には出発したいと言ってある。午後三時アーセナルに到着が目標だな。そんで、任務の安全管理上なるべく暗くなる前に帰りたい。点検中に昼食は済まして、十二時半には列車に乗り込んでいる状態で居ろ。要するに、あと一時間で準備しろって事だ」
「い、急ぎます!」
不破の早口な説明を聞いて、宗助は焦りの色を隠さずにそう返答した。傍から見ればかなり無計画かつ理不尽なスケジュールの立て方のようでもあるが、元より『解析が終わり次第帰還』という話だったし、陽が落ちてからの移動となると色々とリスクが上昇するため、陽が落ちるまでにアーセナルに戻りたいというのもある。無理やりで突然なスケジュールも、ある程度仕方のない事ではあった。
なんにしろ、スケジュールに間に合わせる為にダッシュで居住区に向かう。
それから昼食をかきこみ荷物を纏めて、無事予定時刻までに列車に積み終える事ができた。それどころか、かなり急いだ賜物で時間が少しばかり余ったため、現在はプラットホームで見送りに来た数名の研究所員達と雑談を交わす事に時間を使っていた。宗助、白神、亜矢子の三人で立ち話をしている。
「――それで、ここって、一回出る度にいちいちボディチェック受けないといけないのが面倒くさいんですよね。私も一回チェックする側で見たことあるんですけど、予想以上に体のライン出ますからね、あれ」
「すいません、外まで見送りに出て来てもらっちゃって」
「あ、ごめんなさい、そういうつもりで言ったんじゃないんですよ。ただ単に、ちょっとコンビニ行ってくるっていうのもめんどくさいって訳で」
「ははは。……亜矢子さん、それにしても、三日間、お世話になりました」
「んーん。生方君、白神君も、今回はあんまりお構いできませんでしたが、次はもっとゆっくりしていって。次は京都市内まで観光案内してあげるし、おいしいわらびもちを出してくれる店があるんです。鯉が庭で泳いでいるおしゃれな店でね、外国人客が沢山いますけど」
「それはそれは、楽しみにしておきます」
白神がにこやかに答えた所で、不破が二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、白神、宗助、こっちこい。今から列車責任者から説明がある」
「わかりました、すぐに行きます。それじゃあ亜矢子さん、お元気で」
「はい。お互い、これからもがんばりましょう」
亜矢子に背中を見送られながら、宗助と白神は不破の元へと駆けて行った。その場で立ち尽くして彼らの背中を見つめる亜矢子は、ふと思う。宗助の背中が、初めて見た時よりも少しだけ頼もしく見えるな、と。
「生方君、この三日で何かあったんですかね」
『なんにしろ、また会えるのを楽しみにしていますよ』と、言葉にはせず、ただ、その想いだけをそっとその背中へと投げた。
*
年季の入った初老の運転手と少し若い男性の車掌、そのほか同乗するスタッフに挨拶を済ませ、列車に乗り込む。復路の列車は、往路に乗ってきた列車と少し違う間取りであるので、列車の構造を確認して回る事に。全体的に進行方向の右側が通路になっており、左半分が貨物スペースであったり客室スペースであったりで、貨物スペースは通路の反対側の壁全体が大きく上に開くようになっており、荷物の積み下ろしが非常にスムーズにいくようになっている。走行中に誤って開くことの無いようセーフティロックもかけられている。
時刻は十二時五十六分。出発予定時刻まで残り四分。積荷も車両点検も既に終了して、後は列車自体の出発準備を整えている状態である。「ボディーアーマーはちゃんと装備してるだろうな?」「通信機とインカムの調子をちゃんと確認しとけよ」などと不破にお節介を焼かれながら、出発の時を待つ。
宗助がふと窓の外を見ると、研究所職員の人々が先程よりも更に増えて十数名、ホームで見送りにやってきていた。
すると若い車掌が三両目の不破たちが居る客室車両までやってきて、出発する旨を伝えて、また五両目の車掌室へ戻っていった。
発車を知らせる汽笛が鳴り、列車はゆっくりと走り出した。窓の外で手を振る研究所員達に、そのまま手を振って返す。列車はゆっくりと速度を上げていき、そんな彼らの姿もすぐに見えなくなっていく。
「こちら不破。只今研究所を出発。到着予定時刻は午後三時十五分」
『こちら本部雪村だ。問題無い。気を抜かず任務に取り掛かってくれ。よろしく頼む』
「了解。通信終わる」
不破が本部に連絡をし終えると、宗助と白神に向き直る。
「そんじゃああと二時間か、改めてよろしく頼むぜ、二人とも」
「はい!」
「お願いします」
車内の案内電光掲示板に、只今の速度、156㎞/hと表示されている。列車に揺られながら、宗助たちは少しだけ言葉を交わしていた。特に他愛のない物ではあったが、ずっと黙っているのも逆に具合が悪いのだ。
そして出発から二十分も走った頃だろうか。窓から見える景色も市街地のそれから田んぼだとか草原や山に変わる。
「……ん?」
不破が、不審げな顔で外の景色に目をこらす。確かな違和感。それは宗助も白神も同時に感じていた。別段、外に何か不審な物が存在した訳では無かった。それではなぜ外を見るのか。その答えは。
「……なんでこんなところで減速するんだ?」
突然列車がぐんぐんと減速し始めたのだ。今まで一瞬で過ぎ去っていた窓の外の景色は、いつしか彼らの視界に長く留まるようになり、そして……。減速し続けて、ついに景色は、動くことを止めた。
「……止まった?」
宗助が呟く。現実に、彼らが乗った列車は田舎道のど真ん中で完全に走る事を止めた。もちろんそこは停車駅でも休憩所でもなんでもない。暫く、三人の間を沈黙が居座った。
「列車に、何かトラブルでもあったんですかね」
少しして、宗助が質問の言葉を投げかけたが、その答えを不破や白神が知る訳もなく。
「……それにしたって、車内アナウンスの一つでもかけたらいいはずだ。だが、何の音沙汰もないっつうのはどういう事だ」
「……どうしましょう。運転手室まで様子を見に行きみますか?」
白神が真剣な顔で不破に指示を仰ぐ。顎に手を当てて考えるそぶりを見せていた不破だったが、俯いていた顔をすっと持ち上げると、通信を始めた。
「こちら不破だ。本部応答願う」
『本部桜庭です。どうかしましたか』
「列車が突然停車した。何かトラブルの連絡は来ていないか?」
『えっと、列車の方からは、特に何の信号も連絡も送られていませんが。停車したって、急ブレーキとか、そういった類ですか?』
「いいや、突然と言っても至って普通に、ゆっくり止まったんだが……そうか、わかった。様子を見ながらこちらで直接確認する事にする」
『はい。くれぐれも気を付けて』
「おう。通信終わる」
通信の内容は、白神の物にも宗助の物にも届いており、その短い会話は、これが異常事態だという事を明確にする。
「よし、行動あるのみだ。運転室に様子を見に行こう。白神、同行してくれ。機械系のトラブルなら、お前のアドバイスは何よりも的確だからな」
「了解」
「宗助は、四両目の貨物室へ行って貨物を見張っていてくれ。止まっている列車に妙な連中が乗り込んできても面倒だ。一応な」
「りょ、了解!」
「万が一何かあったら、これで連絡してくれ。使い方はわかってるよな」
不破は自らの耳に装着している通信機のインカムを親指でくいくいと示す。
「はい、問題ありません」
「よし。それじゃあ、行くぞ白神。しっかり頼むぞ、宗助」
「は、はいっ」
「そう力むなって。おし、行動開始だ」




