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machine head  作者: 伊勢 周
6章 生方宗助、初任務
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バースデイ


宍戸ししど


 アーセナルの廊下を不機嫌そのものな表情で歩く長身の男の背中に、稲葉が声をかける。宍戸と呼ばれたその男は呼びかけに反応し振り返る。


「なんだ」

「おいおい、久し振りに会って、第一声がそれか。手厳しいな」

「久し振りという程でもないだろう。一年も経っていない」


 隊内の殆どの人間が出会えば畏まる稲葉相手に、こんな口の利き方をするこの宍戸という男は一体何者か。彼は、特殊能力部隊副隊長・宍戸(しのぶ)。その初対面なら誰もが気後れしそうな危ない目つきを備えた強面と乱雑に持ち上げられた前髪、そんな外面から想像できる通りのストイックさを持ち尚且つ他人にも同様に厳しいため、 各支部を回り教育状況や風紀の見回りなども担当している。


 彼に備わったドライブ能力を先に説明しておくと、一言で言ってしまえば『触れた物を自在に操る能力』で、その能力の特性上銃を使用する。この能力にも色々と長所や短所、制約があるのだが、ここでは割愛する。彼個人の身体能力や格闘能力も非常に高く、戦闘においては稲葉と同等に周囲から信頼を得ているのだが、人柄という面では少し敬遠されがちである。


 宍戸は、つい先日まで海外支部の見回りに駆り出されていた。それは日本だけに留まらず、中国、香港だとか台湾などのアジア周辺諸国、アメリカやメキシコだとかの中南米だったり、果てはイギリスやイタリアなど欧州へ、それぞれ一か月単位で飛び回るかなりのハードワークで、近頃では彼の所属先であるアーセナルに滞在する時間の方が短いくらいである。


「まぁそう言うな。見回り、ご苦労だった」

「帰ってくるなり休み無しで尋問室行きは少々苦労した。この部隊しごとはいつも眠らせてくれん」

「全くだ。そういえば、話は変わるが宍戸は生方には会ったのか?」

「生方? ……あぁ、新しく入った人間か。擦れ違いだったな。あちこちで若い隊員どもが黄色い声で奴の評判を喚くもんだから、名前ももう覚えちまった。そんなに出来る奴なのか」

「あぁ。きっと気に入る」


 二人の会話は続く。傍から見れば大男の強面が二人廊下で談笑している(笑っているのは稲葉のみだが)というなんとも通りにくい空間を作っているのだが……普段は多くを語らない部類である稲葉にしては珍しく、この宍戸と話す時は饒舌であった。




 五月十九日。時刻は午後十一時を超えた頃。ライブから帰所した不破は自室でアーセナルのオペレーターの一人、海嶋と電話で会話を交わしていた。


「海嶋、頼みが有るんだ。それほど難しくない頼みごとだ」

『君の頼み事で面倒じゃなかったものは今まで無かった気がするんだけど』


 軽い口調で言う不破に、電話の相手は慣れているらしく冷静な口調で皮肉をぶつける。


「そう言うなって、いや今回は本当に大したもんじゃない」

『いいから、要件を早く言ってくれよ。まだ一応仕事はあるんだ。急ぎの用?』

「あ、あぁ。いや、実はだな、宗助の奴が――」




 一方その頃、宗助は自室のベッドにぐったり倒れこんでいた。


「……あー……つかれた」


 喉を僅かに震わせるだけの小声で呟いた。

 初めての任務、唯でさえ気が張っている中、白神の不思議な能力に触れて、妙なカミングアウトまで聞かされて、その上昔の恋人に出会って、その彼女のコンサートに出向いて。

 まるで嵐のような二日間だった。こうして部屋で休んでいてようやく、脳の回転が追い付いてきたくらいだ。


(大人になるって、こういう感じなのかな……)


 特に意味もなく室内を照らす蛍光灯に右手をかざしてみる。

 ひと悶着もふた悶着もあったが何はともあれ、自らの曖昧だった過去にきっちりとした終止符を打つ事はできた。少し一方的ではあったが、それはお互い様というものだろう。他にもまだまだ沢山の懸案事項を抱えているけれど、きっとなんとかできる、と前向きに考える。それは楽観的になっているのではなく、なんとかしてやるという挑戦心だ。

 だが……、かといってすぐに一○○%心の切り替えが出来る程大人でもない。前日に感じたようなもやもやとした気持ちはもう微塵もないが、心のどこかに小さな穴が開いたような、何とも言えない寂寥感を抱えていた。


「はぁ……」


 ため息が一つ。無性に誰かと話をしたくなっていた。だけど部屋を出て不破の所に行くのも、むしろ布団から起き上がることすら億劫に感じる程宗助は心身共に疲れていた。


(そうだ……携帯……)


 枕元に乱雑に置かれた制服のジャケットの右ポケットから携帯電話を取り出してみる。電話もメッセージも届いた通知は無い。携帯電話の待ち受け画面が示すのは、日時が五月十九日、時刻が午後十一時半に差し掛かろうとしているという事のみ。

 ここで、宗助は何かを思い出して「あ」と一声こぼした。


「もうちょっとで、誕生日か……俺」


 そう。あと三十分強で、彼はめでたく誕生日を迎え、齢十九歳となるのだ。今日に限って、宗助はなぜかそれを他人事のように感じていた。




 同時刻。アーセナルの女性寮自室にて瀬間岬は迷っていた。彼女の右手には私用の携帯電話。

 彼女は、電話をしようかどうか迷っている。では、誰にどういった内容の電話をしようと迷っているのかというと……。岬は先程から、携帯電話を何度も操作し、とある画面を出しては消して、出しては消して、という行為を繰り返していた。むしろその行為に没頭していた。

 彼はもう寝ているだろうか。起きていたとしても、突然こんな時間に電話をして迷惑ではないだろうか。電話したとして、一体何を話せばいいのか。だけど、少しだけでもいい。


(話がしたい。……かも……しれない……)


 岬は寝間着姿で寝床に腰を下ろし、そのような事をああでもないこうでもないと自問自答、たった一度通話ボタンを押す事さえ出来ずにいた。


(………うん、そもそも、今日はまだ十九日だもん。今電話しても仕方ないよ。うん)


 岬が電話をかけようとしている人は、任務でアーセナルから離れている宗助である。ほんの一ヶ月前に出会ったばかりなのに、彼は岬にとってもっとずっと前から一緒にいたかのように錯覚させられるような人で、放っておけば無茶ばかりする危なっかしさがある人。

 連絡先こそ交換したものの、出会ってから殆ど毎日のように顔をあわせているから、わざわざ電話やメールといった媒体でやりとりをする必要がこれまで皆無であったため、電話で会話するという機会はなくて、この事実が妙に彼女を躊躇わせてしまっていた。


「うぅ……んー……」


 電話を胸に抱きしめて呻いている。そうこうしている間に時間は刻一刻と流れていく。訪れようとしているのは、生方宗助の誕生日である。

 何故電話をしてまで彼の誕生日を祝ってあげたいのか、岬は自分自身でもその質問に対しての答えがいまいちハッキリとしなかった。だが、祝いたいものは祝いたいで良いじゃないか、という事で、彼女の中ではその議論は終了している。

 ただ、理由を探して掬いあげるならば……彼は、なんとなく周囲の人間を応援したくさせるのだろう、と岬は思う。

 これまで毎日のように訓練などで大小様々な怪我をしては医務室にやってきて、その度に岬は怪我を治し、頑張ってねと背中を優しく押すのが習慣だった。気をつけろと言っているのに毎度のように服を汚して帰って来るやんちゃな子供を持った母親はきっとこんな気持ちなんだろうなとか思いつつ(一応宗助の方が年上ではあるのだが)彼との日々を過ごしていた。


 宗助が出張任務でアーセナルを離れてからというもの、たった二日しか経過していないというのに、毎日顔を合わせていた人が居なくなった事で「自分がいなくて大丈夫かな」などと少し傲慢な考えが何度も頭を過り、「もし大きな怪我をしていたらどうしよう」と不安に駆られたり、それはもう心配したものだった。

 兎に角。

 どうせお祝いの言葉を伝えるのなら、他の誰よりも早く一番に伝えたい。そんな妙な対抗心と、突然電話して変に思われても嫌だなという羞恥心がせめぎ合っていて、ついには、残り五分で今日が終わるという所まできていた。


「……」


 今日だけでもう何度目かもわからないが、携帯電話の液晶が示すのは生方宗助の電話番号。岬ははぁーと長い溜息を吐きながら、携帯電話を胸に抱いたまま横向きでベッドに倒れ込んだ。


「そうだ。お化粧、した方がいいかな」


 枕に顔を埋めてぽつりとつぶやいた後に、自分の発言の訳のわからなさに気付き少し頬を赤らめた。



          *



 さて、自らの誕生日を完全に失念していた宗助だったが、彼の誕生日までもう残り十分を切った。

 夕方の打ち合わせで「順調ならば明日の午前には解析作業は完了し、午後には研究所を出発する」というプランを基本線として進んでいる事を思い出した。しかし宗助は内心「ここまできたら翌日も絶対に何かあるのだろうな」と、この二日の謎イベントの数々に少々疑心暗鬼になっていて、やはり(というか当然なのだが)誕生日くらいは平穏に過ごしたいものだと願っていた。嬉しいハプニングやサプライズなら歓迎なのだが……。


 それはそうと、先程まで寂しさと脱力感に襲われていた為それを緩和してもらおうと誰かに連絡を取ろうとしていたのだが、連絡するための手段である携帯電話を操作する指を止める。

 もしこのタイミングで誰かに連絡をいれたら、いかにも誕生日を祝ってくれと言っているようなものではないかと感じた。お祝い強要と思われたくないので、自分から誰かに連絡する事ができなくなってしまったのだ。

 寂しさを紛らわせるには、もう誰かからの連絡を待つしかない。「もう誰でも良いから連絡して来てくれないだろうか」などと考えてから、こんなに寂しがりで自分勝手な奴だっただろうかと自分を嘲笑う。こんなことを考えている割に、自分自身は周囲の人間の誕生日をまだあまり覚えていないのだから。


 しばらく携帯電話を意味もなく操作していた、その時。画面が一瞬ぱっと真っ黒になり、そしてすぐに、アドレス帳に登録していない謎の番号からの電話着信が画面に表示される。


「ん……誰だこれ?」


 静かな部屋に、バイブレーションの音が鳴り響く。普段の宗助なら相手にしないのだが、その日は彼も、なんだか妙な期待と不安を抱かされてしまっていて、おそるおそる応答した。すると。


『やっほー、うぶかたくん!』


 えらく元気のよい、受話機から話し手が飛び出してきそうな程の弾んだ声が宗助の携帯電話のスピーカーから飛び出した。


「えっと、その声、桜庭さんですか?」

『おうさー! だいだいだいだい大正解っ! そんなに私の声が恋しかったのかなぁ!?』


 そもそも知り合いにこんなテンションの高い女性は見当たらない宗助にとって、それだけで割り出すのは簡単だったのだが、それは心にしまっておく。


『それじゃあ、続いて第二問! 準備はいいかぁ!? じゃじゃんっ、私があうっ!』


 悪ノリをはじめた小春だったが、受話機の向こう側でガッという鈍い打撃音と彼女の小さい悲鳴が漏れ、第二問はそのままお蔵入りとなった。


『あーもしもし、生方君? 海嶋だけど。こんばんは。元気にしてる? 報告では今のところ何もトラブルは起こって無いみたいだけど』


 そして、小春に代わり海嶋が電話に出てきた。後ろで「あんたはなにをやりたいのよ」「いいでしょちょっとくらい……」なんてやり取りが聞こえてくる。


「海嶋さん。どうも、こんばんは。どうしたんですか?」


 まさか彼らが自分の誕生日を祝ってくれるだろうとは思っておらず、何か特別な要件でもあるのか? なんて考えた結果宗助はこんな質問をする。


『あぁ、いやね。あと数分で生方君の誕生日だって話が出てさ。時間が出来たから、一言お祝いを伝えようってなってね』


 宗助はその言葉を聞いても、しばらく意味が理解できず、そして数秒後に漸く、腹の底から何かが込み上げてくるのを感じていた。ただ単純に、嬉しい。その嬉しさをどう表現していいか解らず、返す言葉を失ってしまう。


「あ、ありがとうございます! 嬉しいです、すごく!」


 まるで日本語を覚えたての外国人のようなたどたどしい言葉で、謝辞を述べる。


『そう言ってくれると電話した甲斐があったな。他の奴にも変わる、ちょっと待ってくれ』


 一旦言葉が途切れ、がちゃがちゃと妙な音がして、しばらくして今度はまた別の女性の声が飛び込んでくる。


『こんばんは生方君。お誕生日おめでとう。って言ってもまだあと何分か後か。しっかりやってるみたいで、安心したわ』

「秋月さん。ありがとうございます、こんな遅くにすいません」

『いいのよ、今からまたひと仕事あるし、生方君のためとあっちゃあ、たとえ寝ていても起きるわ』

「はは、それはどうも。お世辞でも嬉しいです。お仕事大変ですね」

『お世辞なんかじゃないのに。それに、仕事に関してはお互い様。私からしたらむしろ、前線の人の方がよっぽど大変だと思うし……。更新された移送計画書を見たけれど、明日帰って来るんでしょう、無事に帰ってくるのを待っているわ』

「はい。気を引き締めて頑張ります」

『うん。それじゃあ、海嶋君に戻すね。おやすみなさい』


 少しだけがちゃがちゃと音がして、再び海嶋が電話に出てくる。


『生方君』

「あ、はい」

『あんまり君に夜更かしをさせるのも悪いし、そろそろ切るよ。明日も一日頑張ろう。お互「海嶋くん、わたしまだお祝い言ってないんだけどー!」……ごほん、お互いね』

「はい。……本当にありがとうございました」

『「生方くん、お誕生日おめでとー!」あぁ。これからも、よろしく頼むよ。しっかりね』

「桜庭さんにもありがとうございますとお伝えください。お疲れ様です、失礼します」


 宗助は通話終了ボタンを押すとそのまま携帯をベッドの上に放り捨てて、ニヤついてしまうのを抑えられずに、その顔ごと枕に押し付ける。



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