ヘタクソなウソ
コンサートも終盤に差し掛かる。
彼女のパフォーマンス力は落ちる事は無く、むしろここにきて更に上昇しているように感じられた。だけど、アンコールを経てついに最後の一曲を迎える。
その曲は、失恋の曲で。明るくリズミカルな曲調でありながら、過去に戻りたい、夢を追いかけるために別れを告げたけれど、それでも別れた人への想いが今も断ち切れぬままである、という少々ネガティブな歌詞。
優しさと悲しさが交じり合ったような声色。その表現力が為せる業なのか、まるで彼女の心が自分の中に入ってくるような感覚がした。本当に悩んで、苦しんで、悔いてはいないはずなのに、今もその決断にだけは自信が持てないままでいる。そんな心情が手に取るように感じられた。宗助の周囲の客は泣いていて、あかねも泣いていた。さすがに隣の不破の表情を見るのは憚られたが。
最後の曲も終わり、ステージの照明は全て消され、コンサートのすべてのプログラムが終了したという旨のアナウンスが場内に放送され始める。篠崎あかねの単独コンサートは無事、終了を迎えたのだ。
宗助は、不破と共に帰り支度を始める。
「ライブ、すごかったですね。……来てよかったです。後で白神さんに謝って――」
宗助が不破の方を見ると、宗助とは対照的に不破は複雑そうな顔を浮かべていた。
「……? どうしたんですか、そんな変な顔して」
「変な顔って、おまえなぁ……まぁいい。ちょっくら外に出てから、話がある」
宗助と不破の二人は、会場近くの駐車場に停めていた車の中に戻ってきていた。エンジンはかけているものの、ライトは点灯しておらず走り出す様子はない。
「……あれは恐らく、ドライブ能力だ」
「え?」
運転席に座る不破が突然そう切り出すと、いきなりの話題フリに宗助は付いて行けず、聞き直す。
「彼女の歌声だよ。生で聞いてわかった。俺たちはそういうのに自覚があるから、お前にも多少感じ取れたはずだ。サブリミナル効果とかが近いのかな、あれは」
「……なんだか、なんていうんでしょうか、表現が難しいんですが……心を直接触られたような、そんな感覚はしました」
「それだ、それ。……彼女の歌声には恐らく、人の心をある種の洗脳状態に出来る力がある。歌声にだけだ。心を奪うっつーのかな、共感させるというか。お前の言う通り、表現が本当に難しい」
不破は運転席のシートにもたれかかり、頭をがしがしと掻く。思うように自分の感じた物を伝えられないことにもどかしさを感じているのだ。
「んで、それは篠崎あかねが持つドライブの仕業だと言ったんだ。本人に自覚は無いようだがな」
「あかねに、ドライブ能力が?」
宗助は、ステージで力いっぱい歌を歌い続ける彼女の姿を思い出す。汗を流して走り回って、笑顔いっぱいで、時に泣いて。一人一人の耳に届くようにと、声を絞り出していた姿を。
「まだはっきりとは言えないが、もしドライブの能力なら放っておく訳にもいかない。理由はお前がウチに来た時話しただろ。彼女には、ドライブとは何かってので、少しの間訓練と教育が必要になるかもしれん」
「ドライブ能力か……」
そんな言い方をすると、バトル漫画やアニメみたいな、いかにもものものしい物のように感じるのだが、宗助は近頃、このドライブ能力と言うものに自分なりの見解を持つようになっていた。
それは、ドライブとはきっと人間が持っている様々な才能の一部分に過ぎないのであって、例えば『逆上がりが上手』だとか、『走るのが得意』だとか、根本的な所は 『そういうの』と何一つ変わらないんじゃないだろうか、という考え方である。
もちろん、『歌が上手』というのもその一つだ。
そして、そこから今宗助が思うのは……彼女に「君の歌は、ドライブ能力があるから共感を得られている」と伝えるのは何かが違うという事だ。
彼女の感性と様々な経験をかけあわせてつむぎ出されたのだろう独特な歌詞、細い体を精一杯使って、聴いている人皆に気持ちが伝わるように懸命に歌っている姿。
そんな彼女の頑張りを、『ドライブという能力のおかげだから』という一言で否定してしまうような事なんて、誰にも出来ない筈だと、そう思ったのだ。
だから――。
「ねぇ、不破さん。彼女には、ドライブの事は、伝えないで欲しいんです」
「なんで」
「だって、あんなに全力で頑張っていたじゃないですか」
宗助は微笑んでいた。昨夜の、何かに苛まれるような表情は欠片も無い。
「そんなこと言ってお前、彼女がマシンヘッドに襲われたらどうする。ドライブの才能を持った人間は狙われやすい可能性があるんだぞ」
「守りましょう。みんなで」
「……彼女がドライブで何か事件起こしたら、お前、責任とれるか?」
「それは無理ですね」
「お前なぁ」
呆れたように不破が宗助を窘めようとするが、宗助はそんな暇を与えずに続きを語る。
「不破さんだって、育てた人間に恩をあだで返されたらどうしよう、って思いながら俺や一文字の面倒見てるわけじゃないでしょ」
「む……」
「今はもう付き合っていないし、ほとんど無関係の人間ですけど。彼女の努力を否定してあげたくないんです。彼女は、すごく頑張ったからあれだけの結果が出ている。それでいいじゃないですか」
不破は宗助が言わんとするところをなんとなく感じ取り、そして昨晩宗助が「別れた彼女を、素直に応援できそうにない」と言っていたことを思い出した。
「…………。わーったよ。どういう心境の変化か知らねぇが、リルって子と一緒で、要観察くらいにしとくさ。それでいいか?」
「……ありがとうございます、不破さん」
「お前に礼を言われる筋合いは無い」
不破は窓の外をみながら、そっけない言葉とは裏腹に少し嬉しそうに笑っていた。
*
宗助が携帯の電源を入れると、早速メッセージの受信通知が表示された。篠崎あかねからだ。着信時間はついさっき。自分の連絡先を消さずに置いておいてくれたのかと思うと少しだけ嬉しさがこみ上げてきたが、すぐにその気持ちを打ち消す。しかし、次に文面を見た時には、どきりと心臓が大きく跳ねるのを抑える事は出来なかった。
『今日はありがとう。ちゃんと見に来てくれてたね。ステージからでも見えたよ。それで、ちょっとだけ話がしたいんだけど、会場の裏の通りの所まで来てくれないかな』
しばらく携帯電話の液晶と仏頂面でにらめっこしていた宗助だったが、携帯電話をポケットに捩じ込むと、扉のレバーに手をかけた。
「不破さん、すいません。少しの間、ここで待っていてくれませんか」
「んん? …………あぁ。とっとと行ってこい。最近少し寝不足でな、寝てるわ。俺」
不破は何かを察したのか、相変わらず宗助に目もくれず、座席のリクライニングを倒して寝そべり、言葉だけを彼に投げかける。
「ありがとうございます」
宗助は勢いよく車から飛び出すと、来た道を全速力で引き返し始めた。
軽い身のこなしで、ライブ後のざわつく通りの横をすり抜けて、あかねが指定した裏の通りへと急ぐ。車を出てから僅か三分弱で彼女のもとへ辿り着いた。
「あかね」
宗助が近寄りながら呼びかけると、彼女は振り返った。宗助の顔を確認すると少し微笑んで、二歩、三歩と歩み寄る。風が一脈、ひゅうと二人の間を吹き抜けた。
「……ごめん、急にこんなところに呼び出して」
「いや、そう遠くに行っていなかったから」
あれだけ歌いまくった後だから当然なのだが、少し枯れた声だった。だが、彼女の言葉の歯切れが悪いのは、それのせいだけでは無いようだ。
「あのさ。えっと……。ねぇ、木原君は元気にしてる? しょっちゅう一緒にいたよね、宗助と木原君」
「……あぁ、亮太は、元気にしてるよ」
「あっ、木原君といえばさ、そういえば、昔、木原君と三人で出かけたことあったよね。なんだかちょっと気まずそうにしててさ、流石に私――「なぁ、あかね」
会話を無理矢理斬る様な宗助の声に、あかねは少しだけ体を強張らせる。
「こんなこと話す為に呼び出したのか?」
そして少しだけ、無言の時間が流れる。
「ん……、そうね。今日の感想をね、直接聞きたくて……」
きっとそれも、彼女の本音ではない。宗助はそう思いながらも、彼女の望む通り、コンサートの感想を思うまま述べる。
「すごかった。感動したよ、本当に」
「ありがと。めちゃくちゃ頑張って歌った甲斐があったよ、そう言ってもらえるとさ」
「……最後の曲なんか特に、めちゃくちゃ気合入ってたな。本当に、すごかった。同じ事しか言えないけれど、本当にすごいとしか言いようがないくらい、すごかった。……」
宗助は今喉の奥まで出かかっている言葉を、そのまま続けて彼女に言うべきか言わぬべきか、考える。そんな様子を見て、あかねが不思議そうな顔で尋ねた。
「どうしたの?」
「……いや……。あかねはすごいって思ったんだ、今日。自分の道を迷わず進んでるって。それに比べて俺はどうなんだろうって、考えさせられたよ。すごく」
宗助の尊敬を込めたその言葉には、あかねは少し気まずそうな顔を見せた。
「最後の、曲はね」
「ん?」
「最後の曲は、私の弱さが沢山詰まった曲なんだ。歌えば歌う程、悲しくて情けなくて、今まで来た道を引き返したくなる。それでも私は、どうしてもあの歌から離れられなくて―あれから、二年も経ってるのにね」
宗助は、彼女の遠回しな告白に何も言えず立ち尽くす。
「……宗助、あのね。あの曲はさ、あんな別れの告げ方しておいて、虫のいい話だって、思うかもしれないんだけどでも。私が、あの曲を書いたのは――」
「あのさ!」
ハッキリと大きな声で、宗助は再度あかねの言葉を遮った。
「……後ろを振り返るのは楽しいよな。辛くなったときとか、尚更。けど、なんていうか、あかねは前を向いている方があかねらしいっていうか」
「前を……」
「うん。ずっとあかねは、俺の事情とかお構いなしで俺を引っ張りまわしてただろ?」
宗助の言葉に「なによ、それ」と、呆れたようにあかねは微笑む。
「だから、後ろをちらちらと振り返ってるあかねは、俺からしたらこう、あかねっぽくなくて」
「私っぽくない?」
「うん。もっとこう、前向きな歌を歌っている方が良い。ほら、オープニングの曲みたいなさ、片想いしてます、今を楽しんでます! みたいな曲とかさ!」
「そうかな」
「そう! …………それでこれから、好きな人が出来たりしてさ、その人に歌ってあげたりして! そしたら、絶対そいつは落ちるね、うん、男なら間違いなく落ちる! 女でも落ちるかもな! 正直、俺の知っている中で一番可愛かったよ、あの曲を歌ってるあかねは。いや、ほんとにっ」
宗助は、自分でも何を喋っているのかだんだんと判らなくなってきていた。ただ、あかねがどんな言葉を連ねようとしていたのかは定かではないが、それを言葉にさせてしまうとダメな気がして、とにかく何かを喋りまくった。
そんな宗助を前にしてあかねは唇をきゅっと噛みしめ、そして何かを諦めたように、ふぅ、と息を一つ吐いた。
「……そうだね。書いてみる。前向きな歌で、今を歌った歌」
「……あぁ。陰ながら応援させてもらう」
しばし無言で、見つめあう。
「なんだろう。言いたいことが、あった筈なんだけどな……」
「……もう夜も遅い。人も待たせてるし、俺も戻るよ」
「……うん。来てくれて、ありがとう」
「ああ、こちらこそチケットありがとう。ライブ、本当によかったよ。じゃあ」
そして宗助は、通りの暗がりの向こう側へ、少し駆け足で去って行った。あかねはしばらくその場に立ち尽くして、宗助の去って行った方向をじっと眺めていた。
「またねって、言ってくれないよね。そりゃあそうだ。私が、悪いよ」
あかねはぽつりと呟いた。彼女が閉じたまぶたの裏に映るのは、決して切り離すことはできない思い出。今しがた、過去に甘えてばかりではいけないと言われたばかりなのに、勝手にまぶたの裏に映っていく。彼女の好きな「一瞬」が、幾つも詰まった思い出たちが。
あの、空全体をオレンジで混ぜ返したような夕焼けをバックにした一世一代の告白も。あの、緊張だらけのぎこちないはじめてのデートの思い出も。そして、一方的に告げたあの最低の別れのセリフも。
それらはもう時間が経ち過ぎて、思い出は思い出でしかなくなっていた。あかねは、力なく笑みを作って、空を見上げた。
「……ホントに、ウソ下手だよね」
そんな呟きは、宗助の耳には届かなかった。




