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machine head  作者: 伊勢 周
5章 放浪少女
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救援


 近くにあるガラス窓に映る自分の姿を見た千咲は、そのまま地面にへたり込んだ。


「……良かった……間に合った……。間に、合った……!」


 彼女は、その命を噛みしめるように呟いた。千咲の頭上には、もうあの忌々しい赤い数字は浮かんでいないのだ。


『もしもしっ、おい、何があったんだ! 早く本体を探さないと―』

「もう、大丈夫……。私はもう、大丈夫だから……」

『大丈夫って……』

「敵は、倒したから……。カウントも、消えたから……」


 そう言った途端、千咲の手と足と、そして声は震えだした。


「だから、もう、大丈夫……!」


 震えが止まらない声のままで、たった一つ、それだけ伝えた。それ以上喋ろうとしても、喉が締め付けられるようで自由が利かず、目頭が熱くて、上手に言葉が出てこないのだ。その原因は、たった一つ。ただ単に、怖くて、怖くて、仕方がなかったから。

 これまで死を間近に感じた事は何度もあった。それでも今まで、こんな気持ちになったことは無かった。

 千咲にとって、何の意味もなく何も守れず、ただただゆっくりと訳もわからないまま底なし沼にはまっていくように死んでいく事が、心の底までが冷え切るような恐怖であったのだ。その恐怖に負けたくなくて、どれだけ残された時間が少なくなろうと、気丈に、自らを奮い立たせていた。

 だが、その恐怖から解放された途端彼女の中で何かが決壊して、気付けば次から次へと涙が溢れ出していた。流れる涙を拭おうともせず、岬の寝ているソファの傍に所謂体操座りで、まるで敗戦後のボクサーのようにうなだれていた。

 携帯電話を持つ手だけは耳から離さずに。


『そうか……。これで敵は全部倒したってことか』

「……」

『……泣いてる?』

「………っ」


 言い当てられる。

 そんなことをしても電話の向こうの宗助には見えるわけがないのに、千咲は静かに涙を流しながら、力なく首を左右に振って否定する仕草をする。


 ――自分は、これくらいで泣くような弱い人間じゃない、これくらいで、これくらいで。これくらい……。


 千咲の頭の中は、まるで台風が通り過ぎた後のように、晴れ渡っていたのだけれど、足元を見ればめちゃくちゃで。そんな訳がわからない気持ちになった事自体、初めての事だった。ろくな返事をよこしてないのに、宗助からはちゃんと言葉が返ってくる。


『…………ごめん。いいよな、どっちでも……。お前はもう、大丈夫なんだろ。あとは岬が、無事になんとかなるのを、祈るだけだな』

「……うん……」


 ようやく、声がでた。



 宗助とレスターの最後の命のやり取り。そのすぐそばにいたリルはそのとばっちりを受けて、消火剤の粉塗れになってしまっていた。粉末が鼻に入ったのか、くしゅんと一度小さくくしゃみをして、恨めしそうに口を押えている。

 リルが辺りを見回すと、透明化が解除された関係で、扇風機やら(宗助の能力が空気を操るものであるとある程度予測していたらしい)オーディオスピーカーやら、凶器の刃物がゴロゴロと転がっており、さらに床はあちこちに宗助がばらまいたペンキと消火剤に塗れており、ところどころには血が飛び散って、さらにすぐそこには大男が大の字になってダウンしているという、なんとも混沌とした光景が広がっていた。


 商品棚にもたれかかっている宗助の肩と足には、刺さっていたナイフの透明化が解除されていた。傷口が見えていた時よりもある意味痛々しい。

 その宗助はと言うと、ひどく狼狽していたかと思えば、今は少し落ち着きを取り戻し、優しい口調で一つ一つの言葉を丁寧に電話に向けている。


 リルの心の中には、感謝と罪悪の気持ちがこれでもかという程渦巻いて、目の前の傷だらけの青年に、何をどれだけしてあげれば良いのかわからずにいた。彼女の頭の中の辞書には、その気持ちを表し切れる言葉はどこにも無かった。

 宗助は相変わらず、棚に背中を預けて携帯電話で話をしている。その声色は優しいが、顔に張り付いている表情は彼の肉体に襲いかかっているダメージの痛々しさを表していた。呼吸も浅く早い様子で、時折手放しそうになる意識を無理やり手繰り寄せているように見える。

 リルは、靴や服が汚れるのを厭わずよろよろと宗助の傍まで行き、膝から崩れるようにへたり込む。電話を持っている宗助の右腕の袖を、両手の指先でちょこんと抓んだ。


「リル。……服に、血とか、……ペンキとかつくぞ。ついたら、落ちないぞ」


 宗助が携帯から少し顔を離して、この際どうでも良い忠告をする。リルは袖を抓んだまま離さず。涙声で訴えかけるように言った。


「そんなの、より、自分の心配、してよ……! ばか……!」


 馬鹿と言われた宗助は少し苦笑いした。


「……あぁ、ごもっとも……」



          *



 少し心が落ち着いてきた千咲は、お互いの現状を再確認するため、宗助に会話を振る。

「……あんたさ、だいぶ辛そうに呼吸してるけど、どこか怪我したの?」

『そりゃあ、新人に……無傷で勝てって方が、酷な話だって……。あぁ、救急部隊、まだ……』

「もうすぐ近くまで来ていると思う、怪我の状況を教えて。そんなに酷いの?」

『怪我、の、状態……? ……俺、ふぅ……あれだ、……さすがに……ちょっと……』


 その後に、どさ、ガチャガチャ、だとかいう音が聞こえてきて、代わりに宗助の声は返ってこなくなった。


「……ちょっど……?」


 鼻声で間抜けな発音になってしまったが、電話の向こうの異常にそんなことは気にしていられない。電話機にぴったりと耳をくっつけて、少しでも状況を探ろうとする。


――止めを刺し損ねた敵に襲われたのか? もしかして三人目の敵がいたのか?


 ネガティブな想像が、千咲の中で膨らんでいく。スピーカーから微かにだが、「宗助、宗助」と彼の名前を懸命に呼ぶ女性の声が聞こえてきた。その声は、先程宗助に紹介してもらったので知っている。リルだ。


「もしもし!? ええっと、リル、さん!? この電話、出て!!」


 千咲は、宗助のすぐ近くにいるらしいリルに呼びかける。三秒も待たずに、必死な様子のリルの声が返ってきた。


『ち、千咲さん!』

「宗助、どうかしたの!?」

『血が、血が沢山出て、倒れて! ど、ど、どうしよう!』


 どうやら、新たな敵に襲われたという線はないらしい。その事実には安堵しつつも、『あいつは敵を倒したら毎回自分も倒れる体質なのか』と頭の中でツッコミを入れながら、しかしリルの慌てぶりからしても、宗助の負傷の方は尋常ではないらしい事を察知し、最善の答えを探す。


「落ち着いて。宗助は、切られて血が出てる? それとも刺されたりした?」

『ど、どっちも!』

「ど…………」


 どうしたものか、と千咲は頭を回転させる。


(この子に手当てしてもらうのが一番なんだけど……)


 しかし、この電話越しの少女に、応急手当の知識があるのかどうか。適切な道具もあるかどうかわからない。もしあったとしても、軽くパニックを起こしている彼女には頼めそうにもなかったし、千咲も岬の傍を離れる訳にもいかず、その場に縛り付けられている。戦闘には勝ったはずなのに思わぬところで問題が起こってしまい、千咲は再び混乱する。


(やっぱり、私がこの子に、電話越しに指示して手当てさせるしか――)


 そう決意したその時だった。


「千咲!」


 大きな声が彼女の名を呼んだ。ホール中に響き渡るその声に千咲は振り返る。


「大丈夫!? 遅くなって悪かったね!」

「平山先生!」


 駆け付けたのは、医務室長・平山だった。数名の医療救護班を率いている。平山は、血を流し顔面蒼白の状態で横たわっている岬に駆け寄る。


「先生、岬が大変でっ!」

「見ればわかる! この子は私に任せて、ほら、沢山連れてきたから、アンタはアンタでやることやんなさい!」

「はいっ!」


 千咲はすぐ、平山の率いる医療救護班に顔を向ける。


「今から別フロアーで負傷している隊員、生方宗助の救護と、彼と共にいる民間人の保護へと向かいます! 保護作戦において、私が指揮先導をします! 平山先生、助手は幾つ必要ですか?」

「三人いりゃ運べる。あとは連れてって構わないよ。島原、吉峰、藤原、あんたらはこっち手伝って! あとは千咲に付いて行ってやりな」

「了解!」

「それじゃあ――」


 千咲が宗助の元へ向かおうとしたその時、医療救護班に少し遅れて、人影が駆け込んできた。


「不破さん!」


 医療班と別働ほ不破要だった。不破は周囲を見回すとある程度現状が把握できたのか、千咲に話しかける。


「待たせたな、処理班と騒動のカムフラージュをしていたんだが、手間取ってな。千咲、無事で何よりだ! 岬は、ちょっとやばそうだな……宗助は!?」

「宗助は、三階のホームセンターに居ます! 出血がひどく、意識を失っています! これから救助に向かうところです! 不破さんも同行してください!」

「わかった。移動しながら話は聞く。行こう」


 千咲は携帯電話に向けて「今そっちに向かうから、大人しくその場で待ってて」とだけ告げて通話を切り、久し振りに携帯電話をポケットにしまう作業をして、「案内します」、と言って不破と救護隊員、武装部隊らを率いて走り出した。



          *



 リルは倒れる宗助の傍で、通話の切れた携帯電話を握り締めて座り込んでいた。少し離れて倒れているレスターはピクリとも動く気配が無い。


「死んだら、ダメだよ。もうすぐ助けに来てくれるみたいだから、絶対助かるからね」


 自分が身に着けていた上着のカーディガンを布団のように宗助にかけて、ひたすら彼の身体をさすり続けて、血を失い冷たくなっていく身体を必死で温めてようとしていた。しばらくすると通路の先からバタバタと幾つもの足音が近づいてきた。


「宗助ーッ、あそこだ、居た! って、なんじゃこりゃあ!」


 現場にたどり着いた不破が、驚きの声を上げる。血だらけで倒れる宗助は勿論、一面にペンキや粉末消火剤がぶちまけられており、扇風機やラジカセ、木材が無造作に散らばっているのだから、一体この場所何があったのか、すぐに理解できる人は少ないだろう。


「生方宗助の救助、そこのコートの男の身柄を確保、民間人の保護! 迅速に!」

「了解っ」


 処理班はコートの男の身柄を確保し、救急部隊は宗助の手当てをてきぱきとこなしている。千咲と不破は、ペンキやら何やらでべたべたな状態のリルに駆け寄る。


「あ、あなた達は?」


 近づいてきた不破と千咲と、手当てされている宗助との間で忙しなく視線を往復させながら、おどおどと警戒した様子を見せるリルに、千咲は出来得る限りの優しい笑顔を見せる。


「あなたが、リルね」

「……え、あ、その声。ち、千咲さん?」

「ん。もう大丈夫だから、安心して。がんばったね」


 そして千咲は、小さく震える彼女を抱き寄せて、頭を優しく撫でた。その横で不破は無線で基地に連絡をとる。


「あー、こちら不破だ。司令室、聞こえるか」

『こちら桜庭です。状況をどうぞ』

「犯人と思われる二名は捕縛。瀬間岬、生方宗助両名の保護も完了。岬は頭部を強く打って昏倒。宗助の方は外傷多数、なかなかの重傷だが、……医療班の見立てではなんとか大丈夫そうだ」

『生方君と一緒にいると言っていた一般人女性は?』

「そっちも保護したよ。特に目立った外傷もない。ただ、疲労の色が濃い。当然の話だろうが……」

『……記憶は』

「ん?」

『その、生方君が守った彼女の記憶は……』

「……あぁ、こちらでいくつか話を聞かせてもらって、こっちで判断するよ。それじゃあ、護送車と救急車は先に帰還する。俺たちは少し遅れる。以上」

『あ、ちょっと』


 不破は半ば無理やり会話を切るとそのまま通話も切り、リルに向き直る。


「宗助の傍についていてくれてありがとう。君を自宅まで送りがてら、少し話を聞きたいんだが大丈夫だろうか」

「え、あ、はい……」

「ありがとう。千咲、悪いが一緒に来てくれないか? 俺だけだとこの子も不安だろうし」

「はい、勿論」


 不破の頼みに二つ返事で了解し、千咲は再び宗助の方へ目を向ける。ちょうどキャスター付の担架で運ばれていくところだった。千咲は、救急隊員に運ばれていく宗助を見送りながら、誰にも聞き取れない声で「ありがとう」と、感謝の言葉を投げかけた。そこに、様々な想いを込めて。


「おーい、さっさと行くぞ!」

「あ、はい!」


 呼ばれた千咲は、慌てて駆けだした。






【設定資料】


【レスター】

スキンヘッドに入れ墨が特徴の大男。

触れたものを透明にするドライブ能力『インビジブル』の持ち主。

大きすぎる物体は透明にすることが出来ないが、持続時間自体は非常に長く、半日以上透明のままにしておくことが出来る。存在そのものを消す能力ではないため気配や音は消すことは出来ない。

自分の肉体は常に触れているためすぐに透明のon/offが可能だが、衣服等身につけているものは逐一触れなければならないのが難点。


【ナイトウォーカー】

不健康な痩せ方をした、青白い顔色の小柄な男。

触れた人間を問答無用で死に至らしめる『センテンスオブデス(死の宣告)』の能力を持っている。

但し触れてすぐ死ぬわけではなく、触れられた人間はまず頭上に赤い数字が表示される。

その数字は1秒毎に0に近づき、0になった瞬間に何らかの事故や事件、病気に巻き込まれて必ず死ぬ。

数字の大きさについては人間毎の精神力に比例し、一般人であれば2~3分で死に至る。

解除するには本体が任意で解除するか、もしくは本体を気絶させるしかない。

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