ダブルドライブ 5
宗助とリルは、先程襲撃にあった場所から一分ほど走り続け、ホームセンターに入る。そこは敷地面積も広く、背の高い棚や様々な道具があり、かくれんぼをするにはおあつらえ向きだ。
一旦立ち止まり、自分達が駆け抜けてきた方向へ意識を向ける。透明の男の気配はまだ追ってくる様子はない。だがしかし、流石にあの程度でダウンしてくれるとは宗助も思っていない。
気を抜けば弱気な自分が顔を見せそうになって、その度にリルを見る。彼女には今自分しか頼れる人間がいないのだと自らに言い聞かせ、勇気を絞り出す。「痛い」だの「辛い」だのは、暫く禁止だ、と戒めた。
(奴は必ず追ってくる。もし、騒ぎに乗じてリルを誘拐しようというのなら、奴らにもあまり時間は無いはず……!)
「リル。もう少し奥へ行こう。奴を迎え撃つ用意をする。っと、その前に……」
先程から、千咲との通話を無理やり切られるのは何度目だろうか。宗助は再度携帯電話を取り出す。まだ、彼女との話は終わっていない。
*
電話から入ってくる音声、言葉の流れに、千咲は全くついていけない。電話の向こうの宗助は「襲われている」とか「静かに」とか言っていて、突然通話が切れた。他の誰かと一緒に居るようだが、「リル」という名前と微かに聞こえる声からして恐らく幼い女性だと予想できる。外国人なのか、あまり馴染みの無い名前、くらいの感想しか浮かばなかった。
だが彼女としても、他人の事をずっと気にしていられるほど状況は甘くない。頭から血を流し気絶している岬の応急手当もしなければならないし、そして―
「この数字……」
千咲は鬱陶しそうに上を見る。自らの頭上に点った赤い数字が、電話する前までは【1000】弱だったのが、【889】まで減っている。
「千弱って事は、ひとつ減るのが一秒としたら、十五分ちょい。これがゼロになると……」
それ以上先を考えるのは憚られた。先程無惨な最期を遂げたばかりのあの男を見ていれば、その結果はすぐに理解できる。……ゼロになると、数字の「主」は何らかの事故に巻き込まれるのか、それとも、想像はつかないが、とにかく、死ぬ。
本部に連絡した際、応援部隊と応急救護部隊の要請は行っているのだが、彼らが来るその前に彼女には片を付けなければならない事ができたらしい。そんな風に思案を巡らせていると……。
『なぁ~……』
どこからともなく男の声が聞こえてきた。
「……!」
『わかってるんだろう? その数字の意味。気分はどうだ? ……あと十五分足らずの命になった気分は。詳しく聞かせてくれよ』
千咲は即座に戦闘態勢を作る。姿勢を低く、肩幅より少し足を開き、前後左右すべてに気を配る。武器を持っていないが、たとえ無くても充分に戦える技術と力を彼女は持っている。
どこからでもかかってこい。むしろ敵から来てくれたなら好都合だ。そんな風に考えつつ周囲を睨み散らす。しかし、不思議なことに、どこを見ても誰もいない。
「……? この声は、何処から……?」
その声は、近くにいるような、遠くにいるような、物陰に隠れているような、直線的に耳に入ってくるような、要するに掴み所がない。何にしろ、相手の姿が自分の視界内に無いという事だけは確かだった。
それよりも。
敵とやらは現在宗助と対峙していると考えていたのだが、何故ここにいるのか? という疑問が湧く。もしかすると、宗助は敵にやられてしまったのだろうか? 幾つかの良くない憶測が彼女の頭を過る。
(でも、こっちに敵が現れた以上、雑念は振り払って、全力で応戦するまで!)
どこかに上手に隠れているのだろうか、だが、それなら何故わざわざ話しかけてくる? このまま引き続きベラベラとお喋りをしてくれるなら、好都合である。その声の位置から隠れている場所が割り出しやすい為だ。そう考えた千咲は、問いかけに応じる事にした。
「突然の天井崩落といい、さっきの男の数字も、アンタの仕業? 宗助はどうしたの?」
『……おいおい、質問に質問で返すなよ……。へへへっ、会話ってもんを知らねぇのか?』
今度は、なにが面白いのか薄汚い笑い声交じりのそんなセリフが聞こえた。まだ声の発生源は掴めない。
「会話ってのは、お互いまず自己紹介して、顔と顔を突き合わせてやるもんよ。小学校で教わらなかった?」
千咲は平静を保ちつつ、何処からか聞こえる声に言い返す。
『その数字の意味、わかってんだろって。死ぬんだぞ。もっと怖がれ、泣け、叫べよ。さっきの男のように』
千咲の強気な態度が気に入らないのか、今度はつまらなさそうな声で語りかけてくる。相変わらず、声のする方向に人間は見えない。
「……この数字がどういうものかっていうのは、理解できてる。そうね。元凶がお前なら、お前を二度と喋れないくらいのボコボコにぶちのめせばどうなるかなっていうのに、今は興味あるかな」
千咲は引き続き、あたかも余裕綽々の態度でそう言った。ここでおびえたり焦ったりする姿を見せるのは彼女のプライドが許さない。気持ちだけでも優位にいようと千咲は思っていた。
『ふん。気の強い女だな……。まぁ、そういう奴が、数字が0に近づいていくにつれて恐怖に負けて泣きわめく様を見るのは楽しいもんだが……』
「私は死ぬその瞬間まで、負けを認めて降参したり、嘆いたり恐れたりしない。絶対に。悔しかったら姿を現して、直接私を泣かせてみなさい、腰ぬけ野郎」
千咲は、声が聞こえた方向を睨みつけて、そう言い放った。
『……いつまでそんな事を言えるか……ほうら、850を切ったぞ? これからどうするつもりだ? その女を放って俺を倒しに動くか?』
「……。あんた、当然だけど、やっぱり私が見える位置にいる訳ね」
千咲は握りこぶし大の瓦礫を拾い上げ、凄まじいクイックモーションで声の聞こえる方向へ投げつける。瓦礫は壁に激突して、乾いた音を立てて砕けて落ちた。
「こんなんじゃ、尻尾は出さないか……」
千咲はチッと舌打ちをして、再び周囲を警戒する。
『無駄無駄。せいぜい、足掻け……』
その言葉を最後に、声は途絶えた。
「……宗助、あんた無事なんでしょうね……!」
千咲は苛立たしげに呟いた。残されたカウントは、【830】。
その時、彼女の携帯電話が、本日何度目かの着信メロディを奏でた。取り出した携帯の液晶に表示された名は、たった今無事なのかと心配していた生方宗助のものだった。
「……無線とインカムの便利さが身に染みるわ」
軽口を叩きながら通話を繋ぐ。
『一文字、何度もすまん』
「まったくよ。それで、何があったかアンタが先に話して。簡潔に」
『あぁ、さっきの敵にまた襲われていた。今はまた距離を置いたところだ。敵はやっぱり、能力持ちだった。透明になれる奴だ』
「透明になれる?」
受話器から聞こえてくる声を、千咲はそのまま復唱する。
『あぁ。姿は完全に周囲に溶け込んでいて、目で見つける事はほぼ不可能だ。だが当然、触れる事は出来る。気配だとか音だとかで感知するしかないな』
「なるほど……今さっきのはそういう事だったのね」
宗助の報告に対して、納得した様子で千咲が呟く。
『さっきの?』
「あぁ、私の方は、さっきそんな感じの野郎に、変な呪いかけられちゃって。ぼそぼそと気持ち悪い声でさ。あと十分ちょいで死ぬって呪いらしいんだけど」
『死……!? え!?』
千咲があまりに淡々と述べるので、当人である彼女よりも宗助の方が焦りを表に出す。
「目の前で同じ呪いかけられた被害者が割とエグめな感じで轢死したから、効果は確かみたい。そっか。透明じゃ、いつかけられたかわかんない訳だ。不覚だったわ」
『お、おい、なんだって!? 死人が出てるのか!? っていうか、何を落ち着いてるんだ、早く解除しないと!』
「実はそこまで落ち着いてなかったりもするんだけど……落ち着こうとしているだけ。まぁ……たぶん、敵を倒せば解除できるからそのへんはシンプルかな」
『じゃあ何か? あの透明になれるあいつは、二つの能力を持っているって事か!?』
「……ダブルドライブって奴ね。……でも、あんたもドライブが使えるならわかると思うけど、そんなのは無理。息を鼻で吸いながら同時に口で吐くくらい無理。でも一時期、可能なんじゃないかって研究はされていた事はあったけど。どうなったのかな、あれ。二重人格の持ち主とかね」
『ダブルドライブ……。いや、でも。そうなら、なんでその二つ目の呪いとやらの能力で、お前を狙う必要があったんだろう。それこそ、刃物かなにかで一刺しすりゃあいいのに。この敵の目的はわかっているんだ。それを邪魔している俺はともかく、お前が狙われる理由はない』
「確かに、言われてみれば……」
宗助の挙げた疑問点は尤もなものだった。わざわざ十分後に死んでしまう呪いをかけなくとも、透明になる能力で忍び寄って殺せばいいだけの話。相手の目的が不明だ。
『まぁ、今から俺はもう一戦交える事になる。それで最後だ。十分以内にあいつをぶちのめして、締め上げて聞けばいいさ』
「ちょっと待ってよ、敵の目的ってなんなの?」
『それは。……今、俺はある女の子と一緒にいて、この娘を連れ去るのが目的らしい。理由は知らないけど』
それを聞いて千咲が思い浮かべるのは、さきほどの電話で断片的に聞こえてきたリルという少女の事。だが、その話を聴いた千咲からすれば、ますます自分が狙われた理由がわからない。しかし理由が何であれ、自分達の安全を確保することが今は最優先である。つまり、敵を倒す。
「とりあえず……そうね。あんた一人じゃまだ闘うのきついだろうから、私もそっちに行く。私はほとんど無傷だし、闘える。あんた今もまだ四階に居るの?」
一人で戦う気満々の宗助に対して千咲はそう提案し、移動しようとした。だが、携帯電話のスピーカーから返ってきた宗助の言葉はその足をピタリと止めるものだった。
『――おい、一文字』
えらく重たい声色だった。今まで千咲が聞いたことがないような重く低い声色。
『お前が本当は落ち着いていないのはわかった。お前がこっちに来て、それで岬はどうするつもりだ。かなり重傷なんだろ? 焦る気持ちはわかるけど、お前が傍にいてやらないで誰が岬を守るんだ』
そこまで言って、宗助は一旦言葉を切る。千咲はその言葉にはっとする。自分が今何を言ったのかをすぐに理解して、胸の奥がきゅっと締めつけられる感覚に見舞われた。
――何が落ち着こうとしているだ、全く冷静ではないではないか。
自己嫌悪に襲われる。訓練しているとはいえ、まだひと月そこらの新入隊員が、正体不明の敵に対して戦おうとしているのを助太刀に行こうとするのは当然のことだろう。
だが千咲は、重傷の岬を置いて自分にかけられた呪いを解除し、最優先で助かろうとした事実が、自分で信じられないのだ。
言葉を失う千咲に、電話の向こうの宗助は強い口調で続けてこう言った。
『そんな事も判断できなくて、何があんた一人じゃ闘うのはきついだ、笑わせんな。俺だって、いつまでも一人で何もできないわけじゃない』
それは怒っているというよりは、子供が強がるような口調だったのだが、それでも言葉に充分力は篭っている。
『お前らの事は、必ず俺がなんとかする。敵は絶対倒す。必ず、命に代えてもだ! もう決めた。……だからお前はそこで大人しく、岬の傍を離れず救援が来るのを待ってろ!』
千咲に、金づちで頭を叩かれたような衝撃が走った。この電話の相手はほんの一ヶ月前あれほどに受け身だった生方宗助という青年なのだろうかと、そのギャップにガツンと来た。
(……任せてみたら、面白いかも)
千咲は単純にそう思った。彼女自身の命すら賭かっているというのに、この青年の成長していく様を、隣で感じていたいと思ったのだ。
「――命に、代えてなんか……」
『……なんだって? 聞こえない、何か言ったか!』
「……っ、相打ちだとか命賭けたりしなくても、仲間や女の子の一人や二人くらい、守ってみろ! っつってんの! アホ! かっこつけんなバーカ!」
恐怖、焦燥、後悔、失望……そして希望。千咲は、次から次へと湧いて出る様々な感情が処理できなくなって、ついにはただただ頭に浮かぶ言葉を受話器越しに宗助へと思い切り叩きつけた。
『……ああ、そういう事ね……』
こんな状況だというのに、宗助からは苦笑い混じりの返答がこぼれてきた。
「……それじゃあ……任せた、から……」
『あぁ、まかせとけ』
「ねぇ」
『んん?』
「……ガツンと言ってくれて、助かった」
ほんの少しの間が空き、そして。
『お礼は、全部終わったらまとめて聞くよ』
いつもの宗助の、低く優しい声で言葉が返ってきた。




