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machine head  作者: 伊勢 周
5章 放浪少女
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ダブルドライブ 4

 左腕に負った傷から流れ出る血が、腕、肘、手、指先を伝って床に落ちる。ジャケットにじくじくと血が染みていくが、脱いでいる隙も無い。宗助は慌てて近くの壁に背中を付けて、携帯電話は素早くズボンのポケットにねじ込む。受話部分から、携帯電話の持ち主を心配する声が聞こえたが、それに応える余裕すら宗助には無い。

 透明人間を相手にしているというこの状況に対する考え方は、相手の位置がわからない野外戦と同じ。宗助自身に経験は無いが、知識くらいはある。出来る限り死角を少なくして、より狭い範囲に索敵を集中させるのだ。そしてリルにも注意を促す。


「リル、壁に背をつけて、襲って来る可能性のある方向を少しでも潰そう……。信じられないかもしれないけど、今襲ってきている奴の姿は目で見る事が出来ない……透明人間らしい」

「とっ、とう、めい? ……見えない……!?」

「透明でも存在そのものまでは消す事は出来ないし、感覚を研ぎ澄ませば目に見えなくても気配を感じ取れる。……多分。とにかく周りに集中するんだ」

「えっ、えっ!?」


 リルはというと、「突然そんな事を言われても」と言いたげな顔で困惑するが、しかし宗助の言う通りにする他に道は無い。言われた通り、宗助の左隣の壁に背中を付けて、持っている感覚全てを総動員して敵に備えようとする。

 だがしかし、この状況。集中しろといわれても、彼女の頭には恐怖と混乱ばかりが先行してしまい、集中など出来たものではない。それでも出来るだけ物音を立てないように、静かに、「動かない」という事に集中する。呼吸の音や、血が滴る音さえ耳に届く程に、静かにする。


 宗助に限れば、第七感とでも言おうか、宗助自身もはっきりとした自覚は無いのだが、ドライブを鍛錬する事で「周囲の空気の動き、流れを読む」感覚、そして「音などの空気の振動を読む」感覚が常人よりも研がれ鋭くなっている。その為、相手の姿は見えなくとも、曖昧ではあるがその感覚が存在を教えてくれている。


 人間は「動き」と、それに伴う「音」の塊である。呼吸音や心拍音、骨の軋みや足音に衣擦れの音など、どれだけ隠そうとしても、生きている限り必ず音を生み出してしまう。その「生きている音」を感知して、あるいは人間が作る僅かな空気の流れで宗助は、なんとなく敵の位置を把握できている。


 だがしかし、 敵も一筋縄ではいかない。

 自らの能力をより有効にする為に音や気配を殺す訓練を積んでいるのか、その生きている音が、宗助自身やリルの放つそれよりはるかに小さい。そしていくら音や空気で感知できるとはいえど、どうしても普段から頼り切っている視覚をメインにしてしまいがちで、その相手の位置もなんとなくの域から出ない。

 なんとなく把握できている。言い方を変えれば、なんとなくしかわからない。ただ宗助は、その透明な敵は、自身の『右側』のどこかに居るという事だけは確実に掴んでいた。


(距離は近くも遠くもない、かな。……動いている様子もない)


 相手からすれば「何故か」自分の存在と正体を感知され攻撃をかわされたのだから、慎重になるのは当然であるが、宗助からすれば敵に動いてもらいハッキリと気配を感じとりたい。

 一か八か。宗助は敢えて口に出してこう言った。


「アンタ、さっきのコート着てたおっさんか? まぁ、どちらさんかなんてこの際気にしなくていいか」


 目を瞑って一つ間を置き、不敵な笑みを浮かべながら続きを喋る。


「左だな。お前は今、俺から見て左に居る。そうだろ? 腕の傷があるから、左側の方が襲う時に有利と踏んでいるのか? 残念ながら、こんな傷、全くお前の有利になることなんてない、かすり傷だけどな」


 またしてもカマをかける。

 勝ち誇るように勇ましく、右と判っていながら左と言い切る。そしてそのまま、じっと左の方ばかり気にする素振りを見せる。少し下手な演技であったが、リルはそんな宗助の言葉をそのまま信じて左を凝視している。

 宗助がなぜこんな演技を打って出たのか。相手が透明である以上、自分から攻撃するというのはリスクが高いと判断したのだ。何となくでしか位置が分からない敵を、なんとなく攻撃してみる、なんて事は自殺行為であると認識している。

 圧倒的に相手が有利なこの状況で、少しでも生き残れる道を探す。


(相手からあえて攻撃させて、かわし、位置を把握出来たらそこを叩く)


 宗助は、この透明の男の正体は先程のコートの男だと断定している。理由といえば、この透明の人間とコートの男、音や空気の感じが同じという、たったそれだけなのだが、事態の一連の流れからしても同一人物と考えて差し支えないだろう。そしてコートの男は、どういう理由かは全く不明だが、リルを殺すつもりではなく連れ去ろうとしているという事も理解している。

 そして、敵の視点で考えてみる。この局面で彼女を無理矢理掻っ攫おうとすれば、その瞬間にはいくら透明であろうと自分の位置を宗助に晒す事になる。そうなれば間違いなく宗助は攻撃を叩き込む事ができるし、リルを連れ去ろうにも彼女を抱えたままでは視覚的にもバレるし、彼女に大声で騒がれてはなおの事透明になる能力の意味を成さなくなる。

 これらの事から、敵は最初に自分を確実に仕留めにかかってくるはず、という考えにたどり着く。宗助は首を左に向けながらも、意識は全て右に向ける。どのようなタイミングで次の攻撃を仕掛けてくるのかと、今か今かと待ち構えていた。だが……


(まだ、動かないな……)


 敵は動かない。そのあたりにいるのは判っているのに、自分からアクションをとれないもどかしさを感じる。


(一か八か……もう少しエサをまいてみるか)


 左足を小さく一歩前に出して、壁から背中を離す。


「今、ハッキリとわかったぞ、そこだな……?」


 そう言って、ゆっくり歩幅を小さくしてゆっくりと歩き、透明な男に対してあえて背中を向ける。……その時。


(……! 動いたっ!)


 微弱ではあるが、確かに自分の方向へ空気の流れが動き出した。一歩、二歩、三歩。極端に小さいが足音だが確かに宗助の耳と肌にその空気の震えは届いていた。


(だけど、まだ……少し遠いか……?)


 そう感じたので、宗助はまだ接近に気付いていないフリを続ける。

 だがしかし、ここで宗助は自らのソレがなんとなくの感覚であるというのに、過信してしまっていた。頼りになる物がそれ一つだけだったという事もあるかもしれない。よくある感覚と現実のズレを、今この致命的なタイミングで自身に発生させてしまっていたのだ。

 既に透明な男は、宗助の真後ろまで迫っていた。


(……? 止まった……。……いや、だけど、まだ遠いような……演技ってバレたのか?)


 宗助はすぐ背後に居るというのに、まだ相手の位置は遠いと判断しており、背を向けたままだ。透明の男は、今しがた宗助の腕を傷つけたばかりの刃物を、彼の背中……心臓の裏側に照準を合わせて振り上げる。それが振り下ろされて、ひゅっという、風を切る音が鳴った。

 そして宗助は、その音を聞き逃さなかった。


(やば――)


 宗助は体を真下に沈み込ませつつ、身体を左回りにぐるりと回転し振り返り、すかさずそのまま回転の遠心力を生かして右拳で空中を殴りぬく。拳に確かな重たい感触が返ってきて、そしてゴッという鈍い音が返ってきた。

 顔面にヒットしたらしい。「うぐえっ」っという間抜けな呻き声が聞こえた後、少し離れた地面にて、何か重い物が落ちるような、ドサッ、という音がした。


「危ねー……でも、攻撃は当たった……! っ!」


 しかし、相手の振り下ろした刃物も、宗助の背中の上部、左肩から右肩へ横一文字に切り裂いていた。ぴっと音を立てて、血が床や壁に飛び散る。


「宗助っ」


 リルから見れば突然宗助の背中に切り傷が現れそこから激しく流血したため、思わず彼の名前を呼ぶ。宗助はよろけながらも態勢を整えて、男を殴り飛ばした方へ意識を向ける。


(このまま素直に、岬と千咲の所に向かうべきなのか!? 向かえるのか!? いいや、この野郎は、きっとどこまでも追ってくる……!)


 男を殴り飛ばした方向から、ずり、ずり、と妙な音が聞こえてくる。地面をはいずるような音だ。ただ単に起き上がろうとしているのか、それとも何かこちらに対する次の攻撃のシグナルなのか。


(今、怪我をして気を失っているらしい岬に、コイツを近づけることだけはダメだ、してはいけない……!)


 宗助がリルの顔を横目で覗くと、相変わらずハラハラとした表情で視線を宗助の顔と周囲と行き来させている。宗助はまた判断を自身に迫る。「安全に仲間と合流」する、というのは、この透明の男が立ち上がってくる限りはさせてもらえそうにない。ならばこのままこの男と何度も神経をすり減らすような命のやり取りを繰り返すのか。それをするとして、全て乗り越えられるのか。


(……、キツい、な……)


 後ろ向きな気持ちが宗助の心に立ち込める。ならば、逃げる。それでは、自分とリルは援助部隊が来るまでこの男から逃げ続けるのか? 逃げ続けられるのか?


(…………。この一か月積んできた訓練は一体何だったんだ……)


 相手が能力者だとわかった瞬間、結局他人に任せて逃げ出すのか?


(一人じゃ、何も守れないのか……! ……違うっ、俺は……俺は!)


 宗助は、頭の中で序列した「今やるべきこと」の優先順位を並び替える。


「俺は……、こいつを今、俺が倒す。それが、最短かつ最適の手順」


 自分は戦える。宗助はその強い決意を以って、逃げようとする弱い自分の気持ちを抑えきった。今、心に迷いはない。

とは言え、この場所でそのまま戦うのはあまりに不利だ。今のわかっていないフリがもう一度通用するとも思えない。


「………。そうだ! 『あそこ』に行けば、なんとかなる……かも。リル、また走るぞ!」


 なにか閃いた宗助は、再度リルの手を引いて走り出した。 手をつないで通路を駆け抜ける。リルは手をひかれながら、不安そうで、そしてどこか申し訳なさそうな顔をしている。宗助はそんな彼女の表情に気付かないまま痛みをこらえ歯を食い縛りながら走っている。


(相手は俺を本気で殺しに来てる……今も、少しでも判断が遅ければ死んでいた。俺は、そんなのを相手に勝てるのか……)

「いや、絶対に、勝たなきゃいけない……!」


 敵はこの後も必ず追って来る。みすみすと重傷の岬の元へ危険を近づける訳に行かないのは先程も決めた通り。千咲と岬に合流するのは、敵を退けてからになる。


(『透明になる事』本当にそれだけなのか。この騒ぎの原因はすべてあの男の仕業なのか? わからない事だらけだ、全く)


 今はただ、仲間から危険を遠ざけ、そして排除するためにひた走る。




 二人が走り去った後の通路。鮮血が地面や壁の所々に飛び散っており、かなり異様な雰囲気を醸している。


「ふぅー。……くっそ、痛てて。あのガキ思いっきり殴りやがって……。こんな事なら、最初から透明化して、無理矢理にでも殺して娘を奪って連れて行くべきだったな……甘く見た俺のミスだ。しかしあのガキ、……何故俺の位置がわかった? 勘ではない。あの動きで、それはわかる。絶対に勘だけであの動きは出来ない」


 誰の姿も見ない通路に、小さな呟き声と、ばし、ばし、と布を手で払うような音が鳴る。


「……。さては、何か能力を持っているな。俺の透明化を理解するのが早すぎる。タイプは近距離か……、中距離戦闘タイプ。普通の奴とは身体能力が違う。だが、単純に拳で殴ってきたって事は、……咄嗟の判断か? ……いや、今は『何故俺の位置がわかったのか』だ」


 透明化が解け、そこに先程私服警備員を騙ったコートの男が現れた。


「……匂いとかか? ……いや、そういう様子じゃなかったな。確か壁に張り付いて、静かに辺りを窺って……」


 そこまでぶつくさと独り言を言って、ふと男は自分の発言を振り返る。


「待てよ……周囲を窺うように……静かに…………?」


 ある一つの予測に辿り着く。


「……音か?」


 地面には、宗助の腕の傷から流れ落ちた血が点々と地面に付着しており、宗助とリルの走り去った経路を示していた。


「おかしいな、ほぼ音は立てなかったと思うんだが……音の消し方が甘かった? いや、音と決めつけるのも早いが……音に準ずる何かを感知しているって線、間違って無さそうだ。どんな能力なのか……。まぁ、慎重に、慎重に。だが……確実に……」


 慎重という彼の口癖で締めて、透明の男、本当の名をレスターというのだが、宗助が僅かに残していった血痕を辿り始めた。


「勝つのは、俺だ……」



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